――時は戻り、現在。
ベスティア領の領都フルーランシュにある占領軍司令部の大広間。
長いテーブルを囲む会議の席で、マクシミリアンはエルム・クロウの功績を堂々と主張していた。
堅牢と謳われたバルガ砦を、彼女が一晩のうちに、ほぼ無傷で落としてみせたからこそ、ベスティア領からローゼンベルク王国軍を速やかに撤退させることができたのだ、と。
だが、テーブルに並ぶ生え抜きの将軍たちは、一様に不快げな沈黙を保つばかりだった。
彼らとて、内心ではそんなことは百も承知なのだ。
だが、新参の亡命者に過ぎない女の功績など、プライドが邪魔をして褒め称えるはずもない。互いの顔を見合わせて薄ら笑いを浮かべ、口々に白々しい主張を並べ立てた。
「確かに、王国軍を撤退させる手間は少し省けたかもしれんがな」
「うむ。手を借りぬとも最終的には我々の軍勢だけで、容易に勝利を収めていたはずだ」
口々に言い訳を並べる将軍たちの姿を見かね、テーブルの最上座からエルンスト・フォン・ベルクマンが言葉を挟んだ。
「それ以上の不毛な言い争いはやめたまえ。エルム・クロウ卿の働きによって我が軍の行軍が数歩進んだこと、それに対する『ご苦労だった』という言葉くらいは伝えておこう」
ベルクマンがそうやって形式的な労いで場を取り繕うと、将軍たちもこれ以上頑なに否定し続けては自らの器量を問われかねないと察し、一斉に白々しく同調した。
「そうですな。うむ、ご苦労であった」
「――それが裏切りによる成果だとしても、結果を出したことだけは認めてやろうではないか」
マクシミリアンは内心で深く吐き捨てた。
(一カ月も睨み合いだけして戦況を膠着させていたくせに、よく言う……)
そんな大広間の冷ややかな視線を浴びながらも、エルム・クロウは眉一つ動かさず、沈黙していた。
ベルクマンは喉を鳴らして居住まいを正すと、本題へと切り込む。
「現在、帝国軍は本国からの増援一万とカシュタイン家が率いる五千を加え、計六万五千だ。ここフルーランシュの守備に千を残し、残りの六万四千で出陣する」
ベルクマンの言葉を受け、先刻マクシミリアンへ侮蔑を向けていた男――ブルーノ・ザイデン将軍が、自信に満ちた笑みを浮かべて声を張った。
「エルム・クロウの報告では、敵の六万には中小の領主から掻き集めた寄せ集めが混じっているとか。ならば我ら勇猛な帝国軍の前では、ただの烏合の衆! 恐れるに足りませんな!」
大広間に将軍たちの傲慢な同調の笑いが広がる中、エルム・クロウが静かに、しかし遮るように冷徹な声を落とした。
「――恐れながら。今回の戦において、我が部隊は本隊の前線には加わりません」
「何だと……?」
ザイデン将軍が不快げに眉をひそめる。エルム・クロウはテーブルを見据えたまま、淡々と皇帝の名を出した。
「私はあらかじめ、皇帝陛下より『独自の判断による単独行動の権限』を直々に拝領しております。本隊の指揮下には入りません。これによりアルテール平原では王国軍とほぼ互角の兵数になりますが……」
その毅然とした態度に、将軍たちは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
元より彼らは、亡命者である彼女の部隊を前線に出して手柄を立てさせるつもりなど毛頭なく、後方に予備兵力として遊ばせておく算段だった。そのため、彼女の申し出自体に異論はなかった。
――しかし、新参者が自分たちを飛び越え、皇帝直々にそこまで優遇されているという事実が、面白いはずがなかった。
「だからなんだ。五千抜けたところで、寄せ集めの王国軍に後れを取る我らではない。貴殿のほうこそ、下手に動いて墓穴を掘ることのないようにな」
「我ら本隊の足を引っ張るような醜態だけは絶対に許されんぞ」
吐き捨てるようなザイデン将軍たちの嫌みに対し、エルム・クロウは眉一つ動かさず、無表情のまま静かに頭を下げた。
「――では。私どもは準備がありますので、これにて失礼いたします。……それと、王国軍は後詰にかなりの兵力を割いているようです。前線では、こちらが数で上回るでしょう」
エルム・クロウが淡々と告げて席を立ち上がると、マクシミリアンもそれに追随するように椅子を引く。二人は宿将たちの射抜くような視線を背中に浴びながら、堂々と大広間を後にした。
◇
司令部から連なる長い廊下に出た瞬間、マクシミリアンは抑えきれなくなった不満を露わに声を荒らげた。
「おい、エルム・クロウ! なぜ言い返さない?! 亡命者という立場上、言いづらいのは分かるが」
「無意味なことはしたくないだけよ。亡命者かどうかは関係ないわ」
「無意味なもんか、俺たちがバルガ砦を落とさなかったら、将軍たちは今頃まだベスティア領で睨み合いを続けていたんだぞ。それを主張すれば――」
憤慨するマクシミリアンに対し、エルム・クロウは足を止めることなく、不思議そうに小首を傾げた。
「なぜ、貴方がそこまで怒っているの?」
「そ、それは……っ!」
動揺したマクシミリアンは一瞬だけ言葉を詰まらせ、少し顔を赤くしてぶっきらぼうに言い訳を並べた。
「お前が侮辱されるということは、お前の麾下に入った我がカシュタイン家の部隊ごと侮辱されているのと同じだからだ。……子爵家嫡男としての面子に関わる」
「そう。ごめんなさい。それは悪いことをしたわね」
「いや、別にお前に謝ってほしいわけじゃない」
マクシミリアンは噛み合わない返答に困り、慌てて話題を変えるように声を張り上げた。
「そうだ、それより見返してやるためにも次なる一手だ。まさか、また王国軍の『背後』を狙うつもりか?」
「ええ、その通りよ」
「……っ、本当にやるのか!?」
マクシミリアンは半ば冗談のつもりだった。思わぬ即答に驚きつつも、「ま、まて」と慌てて言葉を重ねる。
「ルミナリアからベスティア領へ向かう王国軍主力の前線を迂回するなら、クレス山脈を越えるルートしかない。あの険阻な山を軍勢で強行突破するつもりか!?」
エルム・クロウはなだめるように言った。
「慌てないで。うちの部隊は貴方の精鋭を含めて騎兵が中心よ。山越えなんて無理な真似はさせないわ。――代わりに、クレス鉱山で鉱石輸送用に再整備された山道を使うの」
「山道……?」
「ええ。あくまで山道だから行軍の速度は出せないけれど、馬車が通れる幅はあるわ。ここからなら正面の主力六万に一切気取られることなく、その背後へ回り込める」
マクシミリアンは驚愕のあまり、どこか的外れな問いを口にする。
「まさかお前、実はその鉱山で働いてたとかいうオチなのか?」
エルム・クロウは、マクシミリアンが冗談を言っているのか本気で驚いているのか量りかねたが、すぐに首を振り、真面目な声音で答えた。
「違うわよ。王都を占領している間に、王立地誌院や鉱山管理局の重要書類をいくつか『拝借』しただけ。出回っている地図には載っていない道だけど、計算上はベスティア領とロシュフォール領の境目あたりに直接、抜けられるはずだわ」
彼女は前方の暗闇を見つめ、確信を込めて呟く。
「たぶん、セレスティーヌの傍にいる『あの軍師さん』も、この隠されたルートの存在までは知らないはずよ」
「……カイル・フォン・ヴァルデンとかいう、あの男爵家の男か。お前、奴を知っているのか?」
マクシミリアンが忌々しげにカイルの名を口にした瞬間、エルム・クロウはわずかに視線を細め、静かに言葉を返した。
あのバルガ砦の夜以降、彼女はマクシミリアンに対してだけ、つい本音を漏らしてしまうことがあった。
「ええ。私の知る限り、誰よりも優秀な軍師よ」
「ふん。そうかよ」
余計な評価を返されたマクシミリアンは、むっとして顔を背けた。
そんな彼の子供っぽい反応を流しながら、エルム・クロウは冷酷な軍人の目に戻った。
「――王国内に潜伏している仲間の情報によると、後詰には聖騎士団およそ八千。こちらの兵力の方が少ないから、戦いは一撃必殺か、一撃離脱になるわね。……できれば今度の奇襲で、セレスティーヌの首を取りたいわ」
感情の消えた瞳の奥の奥に、憎悪にも似た炎が燃え上がっているのを、マクシミリアンは見た。
それは、バルガ砦の城壁の上でほんの僅かに見せた微笑みとは対極にあるものであった。
マクシミリアンは思わず聞いた。
「お前……セレスティーヌに何か恨みでもあるのか?」
エルム・クロウはすぐに答えず考え込んだ。
そして、いつもの表情で言った。
「あら。敵の大将を狙うのはおかしなことかしら? それに恨みがあるのは一騎打ちで負けた貴方でしょ?」
エルム・クロウはマクシミリアンへと鋭く視線を戻し、一切の猶予を許さぬ口調で告げる。
「そんなことより急ぐわよ、マクシミリアン。――ここからは、時間との勝負だわ」
――その後すぐ。エルム・クロウとマクシミリアンが率いる別動の騎兵隊は、帝国軍の本隊に先んじて、静まり返るフルーランシュの街を密かに出発したのだった。
ベスティア領の領都フルーランシュにある占領軍司令部の大広間。
長いテーブルを囲む会議の席で、マクシミリアンはエルム・クロウの功績を堂々と主張していた。
堅牢と謳われたバルガ砦を、彼女が一晩のうちに、ほぼ無傷で落としてみせたからこそ、ベスティア領からローゼンベルク王国軍を速やかに撤退させることができたのだ、と。
だが、テーブルに並ぶ生え抜きの将軍たちは、一様に不快げな沈黙を保つばかりだった。
彼らとて、内心ではそんなことは百も承知なのだ。
だが、新参の亡命者に過ぎない女の功績など、プライドが邪魔をして褒め称えるはずもない。互いの顔を見合わせて薄ら笑いを浮かべ、口々に白々しい主張を並べ立てた。
「確かに、王国軍を撤退させる手間は少し省けたかもしれんがな」
「うむ。手を借りぬとも最終的には我々の軍勢だけで、容易に勝利を収めていたはずだ」
口々に言い訳を並べる将軍たちの姿を見かね、テーブルの最上座からエルンスト・フォン・ベルクマンが言葉を挟んだ。
「それ以上の不毛な言い争いはやめたまえ。エルム・クロウ卿の働きによって我が軍の行軍が数歩進んだこと、それに対する『ご苦労だった』という言葉くらいは伝えておこう」
ベルクマンがそうやって形式的な労いで場を取り繕うと、将軍たちもこれ以上頑なに否定し続けては自らの器量を問われかねないと察し、一斉に白々しく同調した。
「そうですな。うむ、ご苦労であった」
「――それが裏切りによる成果だとしても、結果を出したことだけは認めてやろうではないか」
マクシミリアンは内心で深く吐き捨てた。
(一カ月も睨み合いだけして戦況を膠着させていたくせに、よく言う……)
そんな大広間の冷ややかな視線を浴びながらも、エルム・クロウは眉一つ動かさず、沈黙していた。
ベルクマンは喉を鳴らして居住まいを正すと、本題へと切り込む。
「現在、帝国軍は本国からの増援一万とカシュタイン家が率いる五千を加え、計六万五千だ。ここフルーランシュの守備に千を残し、残りの六万四千で出陣する」
ベルクマンの言葉を受け、先刻マクシミリアンへ侮蔑を向けていた男――ブルーノ・ザイデン将軍が、自信に満ちた笑みを浮かべて声を張った。
「エルム・クロウの報告では、敵の六万には中小の領主から掻き集めた寄せ集めが混じっているとか。ならば我ら勇猛な帝国軍の前では、ただの烏合の衆! 恐れるに足りませんな!」
大広間に将軍たちの傲慢な同調の笑いが広がる中、エルム・クロウが静かに、しかし遮るように冷徹な声を落とした。
「――恐れながら。今回の戦において、我が部隊は本隊の前線には加わりません」
「何だと……?」
ザイデン将軍が不快げに眉をひそめる。エルム・クロウはテーブルを見据えたまま、淡々と皇帝の名を出した。
「私はあらかじめ、皇帝陛下より『独自の判断による単独行動の権限』を直々に拝領しております。本隊の指揮下には入りません。これによりアルテール平原では王国軍とほぼ互角の兵数になりますが……」
その毅然とした態度に、将軍たちは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
元より彼らは、亡命者である彼女の部隊を前線に出して手柄を立てさせるつもりなど毛頭なく、後方に予備兵力として遊ばせておく算段だった。そのため、彼女の申し出自体に異論はなかった。
――しかし、新参者が自分たちを飛び越え、皇帝直々にそこまで優遇されているという事実が、面白いはずがなかった。
「だからなんだ。五千抜けたところで、寄せ集めの王国軍に後れを取る我らではない。貴殿のほうこそ、下手に動いて墓穴を掘ることのないようにな」
「我ら本隊の足を引っ張るような醜態だけは絶対に許されんぞ」
吐き捨てるようなザイデン将軍たちの嫌みに対し、エルム・クロウは眉一つ動かさず、無表情のまま静かに頭を下げた。
「――では。私どもは準備がありますので、これにて失礼いたします。……それと、王国軍は後詰にかなりの兵力を割いているようです。前線では、こちらが数で上回るでしょう」
エルム・クロウが淡々と告げて席を立ち上がると、マクシミリアンもそれに追随するように椅子を引く。二人は宿将たちの射抜くような視線を背中に浴びながら、堂々と大広間を後にした。
◇
司令部から連なる長い廊下に出た瞬間、マクシミリアンは抑えきれなくなった不満を露わに声を荒らげた。
「おい、エルム・クロウ! なぜ言い返さない?! 亡命者という立場上、言いづらいのは分かるが」
「無意味なことはしたくないだけよ。亡命者かどうかは関係ないわ」
「無意味なもんか、俺たちがバルガ砦を落とさなかったら、将軍たちは今頃まだベスティア領で睨み合いを続けていたんだぞ。それを主張すれば――」
憤慨するマクシミリアンに対し、エルム・クロウは足を止めることなく、不思議そうに小首を傾げた。
「なぜ、貴方がそこまで怒っているの?」
「そ、それは……っ!」
動揺したマクシミリアンは一瞬だけ言葉を詰まらせ、少し顔を赤くしてぶっきらぼうに言い訳を並べた。
「お前が侮辱されるということは、お前の麾下に入った我がカシュタイン家の部隊ごと侮辱されているのと同じだからだ。……子爵家嫡男としての面子に関わる」
「そう。ごめんなさい。それは悪いことをしたわね」
「いや、別にお前に謝ってほしいわけじゃない」
マクシミリアンは噛み合わない返答に困り、慌てて話題を変えるように声を張り上げた。
「そうだ、それより見返してやるためにも次なる一手だ。まさか、また王国軍の『背後』を狙うつもりか?」
「ええ、その通りよ」
「……っ、本当にやるのか!?」
マクシミリアンは半ば冗談のつもりだった。思わぬ即答に驚きつつも、「ま、まて」と慌てて言葉を重ねる。
「ルミナリアからベスティア領へ向かう王国軍主力の前線を迂回するなら、クレス山脈を越えるルートしかない。あの険阻な山を軍勢で強行突破するつもりか!?」
エルム・クロウはなだめるように言った。
「慌てないで。うちの部隊は貴方の精鋭を含めて騎兵が中心よ。山越えなんて無理な真似はさせないわ。――代わりに、クレス鉱山で鉱石輸送用に再整備された山道を使うの」
「山道……?」
「ええ。あくまで山道だから行軍の速度は出せないけれど、馬車が通れる幅はあるわ。ここからなら正面の主力六万に一切気取られることなく、その背後へ回り込める」
マクシミリアンは驚愕のあまり、どこか的外れな問いを口にする。
「まさかお前、実はその鉱山で働いてたとかいうオチなのか?」
エルム・クロウは、マクシミリアンが冗談を言っているのか本気で驚いているのか量りかねたが、すぐに首を振り、真面目な声音で答えた。
「違うわよ。王都を占領している間に、王立地誌院や鉱山管理局の重要書類をいくつか『拝借』しただけ。出回っている地図には載っていない道だけど、計算上はベスティア領とロシュフォール領の境目あたりに直接、抜けられるはずだわ」
彼女は前方の暗闇を見つめ、確信を込めて呟く。
「たぶん、セレスティーヌの傍にいる『あの軍師さん』も、この隠されたルートの存在までは知らないはずよ」
「……カイル・フォン・ヴァルデンとかいう、あの男爵家の男か。お前、奴を知っているのか?」
マクシミリアンが忌々しげにカイルの名を口にした瞬間、エルム・クロウはわずかに視線を細め、静かに言葉を返した。
あのバルガ砦の夜以降、彼女はマクシミリアンに対してだけ、つい本音を漏らしてしまうことがあった。
「ええ。私の知る限り、誰よりも優秀な軍師よ」
「ふん。そうかよ」
余計な評価を返されたマクシミリアンは、むっとして顔を背けた。
そんな彼の子供っぽい反応を流しながら、エルム・クロウは冷酷な軍人の目に戻った。
「――王国内に潜伏している仲間の情報によると、後詰には聖騎士団およそ八千。こちらの兵力の方が少ないから、戦いは一撃必殺か、一撃離脱になるわね。……できれば今度の奇襲で、セレスティーヌの首を取りたいわ」
感情の消えた瞳の奥の奥に、憎悪にも似た炎が燃え上がっているのを、マクシミリアンは見た。
それは、バルガ砦の城壁の上でほんの僅かに見せた微笑みとは対極にあるものであった。
マクシミリアンは思わず聞いた。
「お前……セレスティーヌに何か恨みでもあるのか?」
エルム・クロウはすぐに答えず考え込んだ。
そして、いつもの表情で言った。
「あら。敵の大将を狙うのはおかしなことかしら? それに恨みがあるのは一騎打ちで負けた貴方でしょ?」
エルム・クロウはマクシミリアンへと鋭く視線を戻し、一切の猶予を許さぬ口調で告げる。
「そんなことより急ぐわよ、マクシミリアン。――ここからは、時間との勝負だわ」
――その後すぐ。エルム・クロウとマクシミリアンが率いる別動の騎兵隊は、帝国軍の本隊に先んじて、静まり返るフルーランシュの街を密かに出発したのだった。
