軍事会議の散会後。アドリアン王太子は、ロシュフォール侯爵邸――もとい、今や臨時政府のルミナリア宮廷と化した敷地内で、最も絢爛豪華な一室を与えられていた。
その豪奢な部屋には、今回出兵する各軍団と同数の、一際洗練された鎧を纏う騎士たちが整列していた。
王太子が自らの肝煎りで新設した彼らは、王太子直属の「勲功記録騎士」と呼ばれた。元は王太子の近衛騎士や側近だが、密偵や諜報活動をしていた者もいるという噂もあった。
表向きの任務は、各軍団に随行して「各軍の戦果を公正に評価し、戦後の論功行賞をスムーズに行うための記録役」というものだ。
だが、カイルがこの場にいれば、鼻で笑ってこう吐き捨てただろう。
「――ただの、聖騎士団とセレスの監視役だな」
セレス以外の各軍団に随行する勲功記録騎士などは、聖騎士団への監視をカモフラージュするための、ただの数合わせに過ぎないのだ。
「――其方以外は、一度退出せよ」
王太子が命じると、騎士たちは一礼し、足音を揃えて部屋を後にした。
室内に残されたのは、勲功記録騎士の隊長らしき一人の精鋭騎士のみ。
誰もいなくなったことを確認し、アドリアン王太子は腹心に向ける気安い笑みのまま、その騎士隊長へ密命を下した。
「いいか。戦場へ出た後、頃合いを見計らってセレスたちが防衛している輸送部隊の兵糧に火を付けろ。……あくまでも、戦いに不慣れなセレスの兵による不始末に見せかけるのだぞ」
「はっ。……しかし殿下、そのようなことをすれば前線の諸侯への兵站にも影響が出るのでは?」
「案ずるな、全部を燃やし尽くせとは言わん。セレスに重大な責任を追及するに十分な量で構わんのだ。……それに各軍団に随行している勲功記録騎士に、万が一兵糧が不足した場合は、現地調達の許可証を渡してある」
「略奪なさるのですか?!」
思わず声を荒らげた騎士に対し、アドリアン王太子は目に見えて不機嫌になった様子で、その目を鋭く細めた。
「言葉に気を付けろ。――『特別臨時徴収』だ」
「……」
「いけないか? ベスティア領は本来、私の領土だぞ。我が物を取り戻す我が軍を、我が領民が身を粉にして支えるのは当然の義務だ」
「……御意」
騎士は感情の失せた目で深く一礼した。
◇
一方、その頃。ルミナリアに駐屯する王国軍の諸侯の一人、キース伯爵の陣営。
「おい。我が所領の者に、これを届けてくれ」
キース伯爵は、伝信用の小さな木筒を、伝信竜の管理も兼務している小隊長らしき男へと手渡した。
「本日の軍事会議の内容にございますね?」
「そうだ。急げよ」
「はっ」
小隊長は短く返事をすると、伝信竜たちが身を寄せる巣箱へと向かった。
受け取った木筒を手際よく伝信竜の足へと括り付け、大空へと放つ。
一匹の伝信竜は、キース伯爵領がある南西の空へと真っ直ぐに飛んでいった。
……しかし、小隊長は伯爵の見ていないところで、懐からもう一通の極秘の木筒を取り出し、追加でもう一匹の伝信竜を飛び立たせた。
その二匹目が向かったのは、キース伯爵の自領ではない。
――王国軍がこれから総力を挙げて攻め落とそうとしている、ベスティア領の方面だった。
遠ざかっていく伝信竜の小さな影を見上げながら、小隊長は熱を帯びた声で、生涯の忠誠を誓った恩人に対してぽつりと呟いた。
「……エレノア隊長。王国の軍勢が、そちらへ動きます」
◇
聖騎士団の自陣。新政府によって用意された専用の宿営地には、簡素ながらも防音に優れた小さなコテージがあり、軍団の幹部たちはそこに一堂に会していた。
卓の上には、香ばしく焼き上がった川魚のハーブ串焼きが並んでいる。セレス、エミール、ルナの三人はそれを美味しそうに頬張りながら、素朴な味付けについて楽しげに雑談を交わしていた。
カイルは三人が綺麗に食べ終えたのを見計らい、小さく咳払いをしてから重々しく口を開いた。
「――では、軍事会議の内容を皆に共有しよう」
カイルは会議でのセレスと王太子のやり取りについては、内心の所感を努めて伏せ、決定した軍事方針の要点だけを淡々と皆へ報告した。
「――なんだって? 我が紅蓮騎士団が、まさかの後方支援だと……?」
真っ先に悲鳴を上げたのは、団長のフェリックスだった。わざとらしい動作で、絵に描いたようなトホホ顔になって天を仰ぐ。
「おいおい勘弁してくれよ、カイル。うちの連中はな、最前線で暴れ回ってないと腐ってしまうかもしれねぇぞ」
それをなだめるように声をかけたのは、アルクリーズ兵を指揮するルーク・バーナードだった。
「ですがフェリックス殿。紅蓮騎士団も、我がアルクリーズの兵も、他の諸侯に吸収・山分けされなかっただけでも、御の字と考えるべきではございませんか?」
ルークのその言葉に、ルナが一瞬だけ悲しそうな顔をした。ルナたちエレフィン族は蚊帳の外だと感じたのだろう。ルークはすぐに、優しい微笑みを浮かべて言葉を補足した。
「――もちろん、エレフィン長弓部隊もです、ルナ殿。皆様の気高き『深緑の矢』を守り抜くことができました」
ルークの気遣いを受け、ルナはぱぁっと明るい顔に戻った。
そんなやり取りを見届け、ミリアがテーブルを指先でトントンと叩いた。
「――で、カイル。本題だけど、本当にその『後方部隊』が敵に狙われる可能性なんてあるの?」
「正面の主力に気が付かれず、完全に回避しながら、後方に置かれた我ら聖騎士団の本陣へ奇襲を仕掛けるルートか。……あるにはあるが。――我ら王国の地理や街道を、隅々まで熟知しているような奴が敵の指揮官にいたら、な」
カイルが言ったその瞬間、ミリアとフェリックスが声を出さずに息を呑んだ。
二人は言葉にせずとも、カイルが誰を想定しているのかが、痛いほど分かっていたからだ。
「ともかくだ。来る来ないに関わらず、常に最悪を想定して、周囲の索敵と防衛線を引き締め続けるしかない」
カイルの言葉に、全員が真剣な表情で頷く。
そこでカイルは、臨時政府から押し付けられたもう一つの「不都合な置き土産」について切り出した。
「それともう一つ、厄介な話がある。我らの軍に、王太子殿下直属の勲功記録騎士……いや、ただの『監視役』の輩が同行することになった。皆、奴らの前では決して隙を見せないように、細心の注意を払ってくれ」
カイルが王太子直属の部下を隠さず「輩」と吐き捨てたのを聞き、生真面目なルークは一瞬だけ驚いたように目を丸くした。
カイルはルークに勲功記録騎士の狙いを説明した。
「この複雑な混成部隊の弱みを握り、いつでも指揮権を剥奪するためのスパイみたいなもんだ」
「なるほど、そういうことですか……。前線の戦いだけでなく、身内の背中にも警戒を怠るな、と」
ルークは深くため息をつきながら頷いた。
「その通りだ。戦場に出れば、味方の旗だからといって安心はできん。信じられるのは、この部屋にいる身内と、アルクリーズ城から共にしてきた兵士たちだけだと思え」
カイルの重みのある言葉が、コテージの室内に深く響き渡った。
静まり返った室内で、ふと思い出したようにエミールが手を挙げた。
「あの、叔父さん。アルクリーズ城を出てからずっと、個人的に気になっていたことがあるのですが……」
「なんだ、エミール」
「僕たちの、この軍団の『名称』についてです。聖騎士団、紅蓮騎士団、アルクリーズ兵、エレフィン長弓部隊――合わせて八千を超えるこの軍勢は、すべて聖騎士団長であるセレスティーヌ様の麾下にあります。もちろん、広義の意味で『聖騎士団』と呼んでも良いのですが……聖騎士団だけで分隊行動をするときに、呼称が混ざって混乱するのではないかと」
ミリアは頷いた。
「確かにそうね。『聖騎士団全軍』って言った場合、本当に全軍の八千なのか、その中の聖騎士団の部隊の三千なのかわかりづらいわ」
ルークがカイルに尋ねる。
「ちなみに、我らの公式な軍団名は、何となっているのですか?」
「公式文書における登録名か?」
「はい」
カイルは面倒くさそうに、顎に手を当てた。
「新生聖騎士団、およびメイルドック辺境伯領アルクリーズ兵団、並びにダミアン男爵領所属紅蓮――」
「なげぇよ!」
カイルが言い終わる前に、フェリックスが呆れ顔で遮った。
「おいおい、そんな呪文みたいな名前、まったく使えんわ!」
「公式文書では、最初に一度しか出てこないからな。あとは略されて記載される。会話でもおそらく『聖騎士団』のままで一括りに呼ばれることになるだろう」
カイルは言葉を区切り、幹部たちの顔を一人ずつ見回した。
「だが――非公式ではあるが、我らの間で『新たな名前』を決めておいた方がいいだろう。俺たちが使い続ければ、いずれ周囲もそう認知せざるを得なくなる」
フェリックスが口笛を吹く。
「そりゃ、いいアイデアだな。セレス団長! 何にする?」
セレスは困ったように笑って答えた。
「私は皆が決めた名前に従うわ」
「それなら、そうですね」
エミールが遠慮がちに口を開きかけると、フェリックスが仕切り始めた。
「お、エミール。言ってみろ」
「長いなら公式文書での最初の部分を取って『新生聖騎士団』とかどうですか?」
フェリックスは首を振った。
「それじゃ、俺たちが決めたことにならないだろう。それに『生聖』の部分の繰り返しが気に入らん」
顎に手を当てて考えていたルークが声を上げた。
「『聖騎士混成軍』というのはいかがでしょうか」
フェリックスは手のひらを左右に振った。
「おいおいルーク、『混成軍』なんて響きがよくねえ。たしかに俺たちは色々な部隊が集まっているが、志はひとつ。混じりっ気なしだ!」
エミールが呆れるように言った。
「フェリックスさん、さっきから反対ばっかりですね。では、貴方の意見を聞かせてください」
「え? 俺? そ、そうだな。んー、四色団?」
エミールとルークが声を揃えて言った。
「「却下!」」
その様子を楽しげに見ていたミリアがカイルへと視線を向けた。
「カイル。あなた、本当はもう自分の中で名前を決めてるんでしょう?」
促されたカイルは、一切の躊躇なく、その名を口にした。
「ああ。――『セレスティーヌ軍』だ」
一瞬の静寂の後、フェリックスがずっこけるように声を上げた。
「……おい、そのまんまじゃねえか!」
「そのまんまだ。だが意味がある」
カイルは軍師の目に戻り、淡々と話した。
「通常、ローゼンベルク王国における軍の名称は、拠点の名前か、領地を治める領主の家名だ。だが、俺はランカスターという公爵家の名ではなく、セレスティーヌという『個人名』を冠する軍を作りたい」
カイルはどこかいたずらっぽく微笑んで話を続けた。
「王国の歴史の中で、家名ではなく個人名で呼ばれた軍は、ただ一つしか存在しない」
その言葉に、幹部たちはハッと息を呑んだ。
(――ヒルデガルド軍)
あの伝説の聖女将軍が率いた軍勢の通り名だ。
「彼女の伝説にあやかるわけではない。だが俺はセレスティーヌという一人の将の意志のもとに集まった軍勢なのだと、国内外に示したいんだ」
「なんだか、自分の名前が連呼されると思うと少し恥ずかしいわね……」
セレスが頬を少し赤くして苦笑する。
すると、隣にいたルナが目を輝かせた。
「セレスティーヌ姫軍! 良い名前です!」
「ルナ、そこは『姫』はいらないよ……」
エミールが慌てて突っ込むと、コテージ内にどっと笑いが起きた。
ルークも納得したように、穏やかに微笑んだ。
「まあ、シンプルで一番良いかもしれません。いえ、セレスティーヌ様の御名前自体がシンプルだと言っているわけではなく、その、響きが……」
言葉をドギマギさせるルークの様子に、セレスはついに声を上げて笑った。
「ふふ、わかったわ。――改めて、我が『セレスティーヌ軍』の幹部の方々。どうか私に、皆さんの力を貸してください。よろしくお願いします」
「「おー!」」
フェリックスとルナが、勢いよく拳を突き上げる。
王太子の陰謀と、かつての聖騎士団副団長の影が忍び寄るルミナリアの地で――伝説の聖女将軍以来となる、個人の名を冠した軍勢が、静かに産声を上げたのだった。
その豪奢な部屋には、今回出兵する各軍団と同数の、一際洗練された鎧を纏う騎士たちが整列していた。
王太子が自らの肝煎りで新設した彼らは、王太子直属の「勲功記録騎士」と呼ばれた。元は王太子の近衛騎士や側近だが、密偵や諜報活動をしていた者もいるという噂もあった。
表向きの任務は、各軍団に随行して「各軍の戦果を公正に評価し、戦後の論功行賞をスムーズに行うための記録役」というものだ。
だが、カイルがこの場にいれば、鼻で笑ってこう吐き捨てただろう。
「――ただの、聖騎士団とセレスの監視役だな」
セレス以外の各軍団に随行する勲功記録騎士などは、聖騎士団への監視をカモフラージュするための、ただの数合わせに過ぎないのだ。
「――其方以外は、一度退出せよ」
王太子が命じると、騎士たちは一礼し、足音を揃えて部屋を後にした。
室内に残されたのは、勲功記録騎士の隊長らしき一人の精鋭騎士のみ。
誰もいなくなったことを確認し、アドリアン王太子は腹心に向ける気安い笑みのまま、その騎士隊長へ密命を下した。
「いいか。戦場へ出た後、頃合いを見計らってセレスたちが防衛している輸送部隊の兵糧に火を付けろ。……あくまでも、戦いに不慣れなセレスの兵による不始末に見せかけるのだぞ」
「はっ。……しかし殿下、そのようなことをすれば前線の諸侯への兵站にも影響が出るのでは?」
「案ずるな、全部を燃やし尽くせとは言わん。セレスに重大な責任を追及するに十分な量で構わんのだ。……それに各軍団に随行している勲功記録騎士に、万が一兵糧が不足した場合は、現地調達の許可証を渡してある」
「略奪なさるのですか?!」
思わず声を荒らげた騎士に対し、アドリアン王太子は目に見えて不機嫌になった様子で、その目を鋭く細めた。
「言葉に気を付けろ。――『特別臨時徴収』だ」
「……」
「いけないか? ベスティア領は本来、私の領土だぞ。我が物を取り戻す我が軍を、我が領民が身を粉にして支えるのは当然の義務だ」
「……御意」
騎士は感情の失せた目で深く一礼した。
◇
一方、その頃。ルミナリアに駐屯する王国軍の諸侯の一人、キース伯爵の陣営。
「おい。我が所領の者に、これを届けてくれ」
キース伯爵は、伝信用の小さな木筒を、伝信竜の管理も兼務している小隊長らしき男へと手渡した。
「本日の軍事会議の内容にございますね?」
「そうだ。急げよ」
「はっ」
小隊長は短く返事をすると、伝信竜たちが身を寄せる巣箱へと向かった。
受け取った木筒を手際よく伝信竜の足へと括り付け、大空へと放つ。
一匹の伝信竜は、キース伯爵領がある南西の空へと真っ直ぐに飛んでいった。
……しかし、小隊長は伯爵の見ていないところで、懐からもう一通の極秘の木筒を取り出し、追加でもう一匹の伝信竜を飛び立たせた。
その二匹目が向かったのは、キース伯爵の自領ではない。
――王国軍がこれから総力を挙げて攻め落とそうとしている、ベスティア領の方面だった。
遠ざかっていく伝信竜の小さな影を見上げながら、小隊長は熱を帯びた声で、生涯の忠誠を誓った恩人に対してぽつりと呟いた。
「……エレノア隊長。王国の軍勢が、そちらへ動きます」
◇
聖騎士団の自陣。新政府によって用意された専用の宿営地には、簡素ながらも防音に優れた小さなコテージがあり、軍団の幹部たちはそこに一堂に会していた。
卓の上には、香ばしく焼き上がった川魚のハーブ串焼きが並んでいる。セレス、エミール、ルナの三人はそれを美味しそうに頬張りながら、素朴な味付けについて楽しげに雑談を交わしていた。
カイルは三人が綺麗に食べ終えたのを見計らい、小さく咳払いをしてから重々しく口を開いた。
「――では、軍事会議の内容を皆に共有しよう」
カイルは会議でのセレスと王太子のやり取りについては、内心の所感を努めて伏せ、決定した軍事方針の要点だけを淡々と皆へ報告した。
「――なんだって? 我が紅蓮騎士団が、まさかの後方支援だと……?」
真っ先に悲鳴を上げたのは、団長のフェリックスだった。わざとらしい動作で、絵に描いたようなトホホ顔になって天を仰ぐ。
「おいおい勘弁してくれよ、カイル。うちの連中はな、最前線で暴れ回ってないと腐ってしまうかもしれねぇぞ」
それをなだめるように声をかけたのは、アルクリーズ兵を指揮するルーク・バーナードだった。
「ですがフェリックス殿。紅蓮騎士団も、我がアルクリーズの兵も、他の諸侯に吸収・山分けされなかっただけでも、御の字と考えるべきではございませんか?」
ルークのその言葉に、ルナが一瞬だけ悲しそうな顔をした。ルナたちエレフィン族は蚊帳の外だと感じたのだろう。ルークはすぐに、優しい微笑みを浮かべて言葉を補足した。
「――もちろん、エレフィン長弓部隊もです、ルナ殿。皆様の気高き『深緑の矢』を守り抜くことができました」
ルークの気遣いを受け、ルナはぱぁっと明るい顔に戻った。
そんなやり取りを見届け、ミリアがテーブルを指先でトントンと叩いた。
「――で、カイル。本題だけど、本当にその『後方部隊』が敵に狙われる可能性なんてあるの?」
「正面の主力に気が付かれず、完全に回避しながら、後方に置かれた我ら聖騎士団の本陣へ奇襲を仕掛けるルートか。……あるにはあるが。――我ら王国の地理や街道を、隅々まで熟知しているような奴が敵の指揮官にいたら、な」
カイルが言ったその瞬間、ミリアとフェリックスが声を出さずに息を呑んだ。
二人は言葉にせずとも、カイルが誰を想定しているのかが、痛いほど分かっていたからだ。
「ともかくだ。来る来ないに関わらず、常に最悪を想定して、周囲の索敵と防衛線を引き締め続けるしかない」
カイルの言葉に、全員が真剣な表情で頷く。
そこでカイルは、臨時政府から押し付けられたもう一つの「不都合な置き土産」について切り出した。
「それともう一つ、厄介な話がある。我らの軍に、王太子殿下直属の勲功記録騎士……いや、ただの『監視役』の輩が同行することになった。皆、奴らの前では決して隙を見せないように、細心の注意を払ってくれ」
カイルが王太子直属の部下を隠さず「輩」と吐き捨てたのを聞き、生真面目なルークは一瞬だけ驚いたように目を丸くした。
カイルはルークに勲功記録騎士の狙いを説明した。
「この複雑な混成部隊の弱みを握り、いつでも指揮権を剥奪するためのスパイみたいなもんだ」
「なるほど、そういうことですか……。前線の戦いだけでなく、身内の背中にも警戒を怠るな、と」
ルークは深くため息をつきながら頷いた。
「その通りだ。戦場に出れば、味方の旗だからといって安心はできん。信じられるのは、この部屋にいる身内と、アルクリーズ城から共にしてきた兵士たちだけだと思え」
カイルの重みのある言葉が、コテージの室内に深く響き渡った。
静まり返った室内で、ふと思い出したようにエミールが手を挙げた。
「あの、叔父さん。アルクリーズ城を出てからずっと、個人的に気になっていたことがあるのですが……」
「なんだ、エミール」
「僕たちの、この軍団の『名称』についてです。聖騎士団、紅蓮騎士団、アルクリーズ兵、エレフィン長弓部隊――合わせて八千を超えるこの軍勢は、すべて聖騎士団長であるセレスティーヌ様の麾下にあります。もちろん、広義の意味で『聖騎士団』と呼んでも良いのですが……聖騎士団だけで分隊行動をするときに、呼称が混ざって混乱するのではないかと」
ミリアは頷いた。
「確かにそうね。『聖騎士団全軍』って言った場合、本当に全軍の八千なのか、その中の聖騎士団の部隊の三千なのかわかりづらいわ」
ルークがカイルに尋ねる。
「ちなみに、我らの公式な軍団名は、何となっているのですか?」
「公式文書における登録名か?」
「はい」
カイルは面倒くさそうに、顎に手を当てた。
「新生聖騎士団、およびメイルドック辺境伯領アルクリーズ兵団、並びにダミアン男爵領所属紅蓮――」
「なげぇよ!」
カイルが言い終わる前に、フェリックスが呆れ顔で遮った。
「おいおい、そんな呪文みたいな名前、まったく使えんわ!」
「公式文書では、最初に一度しか出てこないからな。あとは略されて記載される。会話でもおそらく『聖騎士団』のままで一括りに呼ばれることになるだろう」
カイルは言葉を区切り、幹部たちの顔を一人ずつ見回した。
「だが――非公式ではあるが、我らの間で『新たな名前』を決めておいた方がいいだろう。俺たちが使い続ければ、いずれ周囲もそう認知せざるを得なくなる」
フェリックスが口笛を吹く。
「そりゃ、いいアイデアだな。セレス団長! 何にする?」
セレスは困ったように笑って答えた。
「私は皆が決めた名前に従うわ」
「それなら、そうですね」
エミールが遠慮がちに口を開きかけると、フェリックスが仕切り始めた。
「お、エミール。言ってみろ」
「長いなら公式文書での最初の部分を取って『新生聖騎士団』とかどうですか?」
フェリックスは首を振った。
「それじゃ、俺たちが決めたことにならないだろう。それに『生聖』の部分の繰り返しが気に入らん」
顎に手を当てて考えていたルークが声を上げた。
「『聖騎士混成軍』というのはいかがでしょうか」
フェリックスは手のひらを左右に振った。
「おいおいルーク、『混成軍』なんて響きがよくねえ。たしかに俺たちは色々な部隊が集まっているが、志はひとつ。混じりっ気なしだ!」
エミールが呆れるように言った。
「フェリックスさん、さっきから反対ばっかりですね。では、貴方の意見を聞かせてください」
「え? 俺? そ、そうだな。んー、四色団?」
エミールとルークが声を揃えて言った。
「「却下!」」
その様子を楽しげに見ていたミリアがカイルへと視線を向けた。
「カイル。あなた、本当はもう自分の中で名前を決めてるんでしょう?」
促されたカイルは、一切の躊躇なく、その名を口にした。
「ああ。――『セレスティーヌ軍』だ」
一瞬の静寂の後、フェリックスがずっこけるように声を上げた。
「……おい、そのまんまじゃねえか!」
「そのまんまだ。だが意味がある」
カイルは軍師の目に戻り、淡々と話した。
「通常、ローゼンベルク王国における軍の名称は、拠点の名前か、領地を治める領主の家名だ。だが、俺はランカスターという公爵家の名ではなく、セレスティーヌという『個人名』を冠する軍を作りたい」
カイルはどこかいたずらっぽく微笑んで話を続けた。
「王国の歴史の中で、家名ではなく個人名で呼ばれた軍は、ただ一つしか存在しない」
その言葉に、幹部たちはハッと息を呑んだ。
(――ヒルデガルド軍)
あの伝説の聖女将軍が率いた軍勢の通り名だ。
「彼女の伝説にあやかるわけではない。だが俺はセレスティーヌという一人の将の意志のもとに集まった軍勢なのだと、国内外に示したいんだ」
「なんだか、自分の名前が連呼されると思うと少し恥ずかしいわね……」
セレスが頬を少し赤くして苦笑する。
すると、隣にいたルナが目を輝かせた。
「セレスティーヌ姫軍! 良い名前です!」
「ルナ、そこは『姫』はいらないよ……」
エミールが慌てて突っ込むと、コテージ内にどっと笑いが起きた。
ルークも納得したように、穏やかに微笑んだ。
「まあ、シンプルで一番良いかもしれません。いえ、セレスティーヌ様の御名前自体がシンプルだと言っているわけではなく、その、響きが……」
言葉をドギマギさせるルークの様子に、セレスはついに声を上げて笑った。
「ふふ、わかったわ。――改めて、我が『セレスティーヌ軍』の幹部の方々。どうか私に、皆さんの力を貸してください。よろしくお願いします」
「「おー!」」
フェリックスとルナが、勢いよく拳を突き上げる。
王太子の陰謀と、かつての聖騎士団副団長の影が忍び寄るルミナリアの地で――伝説の聖女将軍以来となる、個人の名を冠した軍勢が、静かに産声を上げたのだった。
