銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

エレノア・クロムウェルは、帝国と国境を接するクロムウェル子爵領に生まれた。

父は子爵。
だが母は正妻ではなく、帝国の血を引くと噂される女性だった。

「あの子の母親は帝国人らしいわよ」

出自を理由に他の令嬢たちから疎まれ、彼女は幼い頃から暗い部屋に閉じこもる日々を過ごす。
華やかな貴族社会に、彼女の居場所はなかった。

セレスとはまた違う切実さを胸に抱え、彼女はやがて士官学校の門を叩いた。
そこは、彼女にとってまさに天職だった。

ここでは、着飾って持て囃されるための「華」など要らない。
ただ実力さえ示せば、誰もが自分を認めてくれる。

成績は常に群を抜き、陰のあった性格はいつしか明るく快活なものへと変わっていった。
教官からは次代を担う逸材と目され、候補生仲間からも慕われる。

演習では、とくに作戦立案と部隊指揮で頭角を現した。

「エレノア。君の考える作戦はいつも一歩先をいくな」

同期の一人が、感心したように声をかけた。

「みんなが協力してくれたおかげよ」

仲間たちと切磋琢磨する日々の中で、エレノアは生まれて初めて、心から満たされる場所を見つけていた。

卒業を控えた最後の大演習(グラン・トールノワ)

ライバルたちが経験豊富な上級生を揃え、盤石の小隊を編成する中、エレノアはあえて、目を付けていた後輩たちを指名した。

カイル、ミリア、そしてフェリックス。

「エレノア先輩。カイルはまだ分かりますが……俺やミリアで本当にいいんですか?」

不安げなフェリックスの問いに、エレノアは悪戯っぽく笑って答えた。

「カイルは優秀だけど、書物からの知識に偏りがちよね。貴方たち二人は粗削りだけど、誰よりも伸びしろがある。……まあ、ただの勘だけどね」

彼女は三人の顔を見渡し、慈しむように言葉を継いだ。

「正直、勝てるとは思っていないわ。私はね、勝利よりも貴方たちに『経験』を積んでほしいの。今後、一生の財産になるはずだから」

結果、エレノア率いる部隊は善戦したものの、あと一歩のところで優勝を逃した。
勝利よりも後輩の育成を選んだ代償として、卒業順位は首席ではなく次席に終わる。

だが、彼女の顔に後悔の色はなかった。

「ね、良い経験になったでしょ?」

学校を去る日、彼女は残される後輩たちに満面の笑みを向け、晴れやかな足取りで士官学校を巣立っていった。

その背中を、三人はいつまでも見送り続けた。



卒業後のエレノア・クロムウェルは、華やかさこそなかったが、極めて堅実に歩を進めた。
小隊長、中隊長と順調に昇進を重ねていく。

士官学校時代の校長であり、当時は軍務尚書の地位にあったリヒテン・フォン・クラウスの信頼を得た彼女は、一万の兵を率いる将軍の副官にまで登り詰めた。

数千の兵を直接指揮する機会も与えられ、その才能はさらに開花していく。

だが、その活躍に「嫉妬」という影が忍び寄る。

同期のある男が彼女の目覚ましい出世を快く思わず、帝国軍の密偵へ部隊の正確な位置情報を流したのだ。

狙いは、エレノアに屈辱的な撤退を強いて面目を潰すことだった。
だが帝国軍はこの機を逃さず、万全の包囲網を完成させてしまう。

罠に嵌まったエレノアの部隊は半壊した。

「エレノア隊長。限界です。お逃げ下さい!」

副官が叫んだ。

「いいえ。私が時間を稼ぐわ。あなたは負傷者を優先に脱出させて」

彼女は最後まで指揮を執り続けた。

奮戦も虚しく、彼女自身は敵の猛攻に晒され、片目を失い、左手も不自由な身となった。
ボロボロになって王都へ帰還した姿は痛ましく、彼女の心は失意の底に沈んだ。

内通した男は発覚後、当然のように死罪となったが、それで彼女の傷が癒えることはなかった。

カイル、ミリア、フェリックスは、それぞれ見舞いの手紙を書き、あるいは直接面会を求めた。

だがエレノアからの返事は、いつも同じだった。

「今は誰とも会いたくない」

短く、静かな拒絶。

彼女が殻に閉じこもっている間にも、世間の風向きは驚くほど早く変わっていった。
かつて戦場での勇姿を讃えていた人々は、やがて彼女の名を口にすることさえ忘れていった。

そんな中、恩師クラウスだけは、繰り返し彼女を励まし続けた。

「エレノア。君の才幹は、こんなことで潰えていいものではない。もう一度、立ち上がってみなさい」

クラウスは彼女の心の回復を最優先に考え、前線での激務から遠ざけるべく、「王都の治安維持や儀礼・式典の警護を司る」聖騎士団の副団長という役職を打診した。

本来、聖騎士団に「副団長」という役職は存在しない。
だが、老齢な団長に代わって実務の全権を握らせたいと考えたクラウスが、あえて特例の地位を用意したのだ。

華々しい戦果を挙げる仕事ではない。
だがクラウスは、それこそが今のエレノアに最も適した復帰の場だと考えていた。

当初こそ迷いを見せたエレノアだったが、やがて恩師の温かい思いに応えたいという気持ちが勝り、再び軍務に就くことを決意する。

聖騎士団の副団長として、彼女は着実に成果を上げていった。
王都の治安を乱す盗賊団を根絶やしにし、時には巧妙な犯罪組織の壊滅にも貢献する。

その辣腕は、正当に評価されていった。

「あ、エレノアさまだー!」

就任当初は隻眼、義手の姿に怯えて親の後ろに隠れていた子供たちも、今では笑顔で手を振ってくれるようになった。

やがて、長年団長を務めた老将が勇退を申し出たとき、クラウスは迷わず彼女を次期団長に推挙した。

「君こそが、聖騎士団の未来を担うに相応しい」

その言葉に、エレノアの胸は熱くなった。
一度は挫折したが、これまでの苦悩と努力が、ついに報われる瞬間が来たのだと。

しかし、現実は非情だった。

国王による承認は、得られなかった。
本来、聖騎士団の人事は軍務尚書に委ねられており、王の承認は形式的なものに過ぎない。

前例のない事態に、エレノアは激しく動揺した。

「私が帝国人の血を引いているという悪評が影響したのでしょうか?」

「……陛下と、ランカスター公爵のご意向だ」

クラウスは苦渋に満ちた表情で、絞り出すように答えた。

王都(ローゼリア)を守る初の女性団長が、隻眼・義手では――。民衆や貴族の求める『華』や『彩り』に欠ける、というのだ。そして……既に別の者が内定していると仰られた」

その一言で、エレノア・クロムウェルの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。

次期聖騎士団団長――セレスティーヌ・フォン・ランカスター。

就任前から王国の新たな希望として祭り上げられた公爵令嬢の肖像画やビラが、王都の街角を埋め尽くしていた。

凛々しい銀髪に涼やかな瞳。

その完璧なまでの美しさと「戦女神(エイリーン)」という異名は、王国の人々に新しい英雄の誕生を強く印象づけていた。

路地裏で、その一枚のビラを拾い上げたのは、眼帯をした隻眼の女だった。
左手には、金属製の義手が鈍い光を放っている。

エレノアは何かをぽつりと呟くと、そのビラを握りつぶした。

その足で軍務尚書リヒテン・フォン・クラウスの執務室へ向かい、告げる。

「クラウス様……私は、聖騎士団副団長を辞めさせていただきます」

その言葉は、クラウスにとって予想通りのものだった。

「そうか……」

彼は深く、長く息を吐いた。

「他に、何かやりたいことはないかね。可能な限り、君の希望を叶えようと考えている」

「……東のバルガ砦にて、裏方の任務に就きたいと思います。戦闘とは、もう離れた場所で」

王都の喧騒から離れて過ごすには、辺境の地は悪くないかもしれない。
クラウスはその悲痛な意図を汲み取り、無言で頷いた。

「分かった。辞令はすぐに発行しよう」

数日後、エレノアが正式にバルガ砦へと赴任するのを見届けたクラウスは、自らの執務机の引き出しから一通の書類を取り出した。

「軍務尚書辞職届」――。

彼は静かにペンを執り、自らの名を署名した。
愛弟子一人守れぬ今の地位に、もはや未練など微塵もなかった。

エレノアはバルガ砦で、しばらくの間、城壁の修繕作業の監督や兵站の管理といった裏方の仕事にただ黙々と従事していた。

しかし、それから数ヶ月後のことだ。
彼女は「母が亡くなったため実家に帰省する」とだけ言い残し、砦を後にした。

その日以来、エレノア・クロムウェルが王国へ戻ってくることはなかった。



約一ヶ月前、王都(ローゼリア)陥落の日。

王都の西、ウィンドル平原は薄い朝靄に包まれていた。

風一つない静寂の中、一万のグランゼイド帝国軍が悠然と隊列を敷き、東へ向けて陣を構えていた。

総大将ディートハルト将軍が、隣に控える女性士官へ声をかけた。

「エルム・クロウよ」

「はっ」

黒い眼帯と、左手に金属製の義手を持つ女性士官は、静かに応じた。

「……皇帝陛下の直命ゆえ、今回は貴様の策に従った。だが、勘違いするなよ。俺は国を売るような輩は、反吐が出るほど嫌いだ」

ディートハルトが忌々しげに吐き捨てる。

刺すようなその視線を受けても、エルム・クロウの表情には、一片の揺らぎもなかった。

「私は、正当な手続きを経て亡命いたしました。今は帝国軍士官として、ここに立っております」

「屁理屈を。……それで、本当に大丈夫なのだろうな。敵は一万二千。しかも指揮官は、ローゼンベルク士官学校創設以来の逸材。『戦女神(エイリーン)』とまで称えられる聖騎士団長だぞ」

将軍の懸念を、エルム・クロウは冷ややかな微笑で切り捨てた。

「その虚像も、今日の戦いをもって地に堕ちます。……王都(ローゼリア)の民衆は、泥にまみれた『華』を見ることになるでしょう」

「報告! ローゼンベルク王国軍、接近中!」

伝令の叫びが、本陣に響き渡る。

エルム・クロウは、念を押すように呟いた。

「閣下、作戦は手はず通りに……」

ディートハルトは腰の長剣を鳴らし、最後に彼女を睨み据えた。

「わかっておる。ただし、その小賢しい用兵で帝国軍に無用な損害が出れば――その時は、首はないと思え」

「――承知しております」

エルム・クロウ。

元ローゼンベルク王国聖騎士団副団長――名を変えたエレノア・クロムウェルは、静かに一礼した。

残された右目は冷たく光り、かつて後輩たちに向けていた慈しみは、氷のように消え失せていた。