銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー

セレス一行がメイルドック領へ到着すると、堅牢な城壁が彼らを迎えた。

アルクリーズ城――王国北西の要衝として、二百年以上の歴史を持つ城だ。
城壁から投げられる篝火の光が、夜霧を切り裂いている。

城門で一行を待ち構えていたのは、六十代半ばの老将だった。
立派な髭を蓄え、白髪交じりの髪を後ろで束ねている。顔や腕に刻まれた幾多の傷痕が、彼が潜り抜けてきた修羅場の数を物語っていた。

彼こそが、メイルドック辺境伯アルベルト・フォン・メイルドックその人であった。

「ご健在であられたか……セレス様」
辺境伯は低く、温かい声で言った。

「お久しぶりでございます、アルベルト様」
セレスは丁寧に礼をした。
辺境伯はわずかに微笑んだ。
「……祖父上ゆずりの、凛々しき御姿になられた」

辺境伯はふと視線を巡らせ、眉をひそめた。
「ところで、聖騎士団兵が見当たらぬが……」

「急ぎ、僅かな騎兵で参りました。本隊は後ほど到着する予定です」

カイルが小さく咳払いをして、会話に割り込んだ。
「メイルドック卿、今は一刻を争います。詳細な状況については、明朝にでも軍議の場を設けていただけますでしょうか」

「そなたは?」

「セレスティーヌ様の参謀を務めております、カイルと申します」

「ふむ。よろしく頼む」
辺境伯は重々しく頷いた。
「わかった、幕僚たちに伝えておこう。皆、強行軍で疲れているはずだ。今宵はゆっくりと骨を休めるがいい」

セレスたちは、用意された客室へと案内された。



深夜。
セレスが窓辺で月を眺め、物思いに耽っていると、背後から足音がした。
「眠れないのか?」

声をかけてきたのは、カイルだった。
「ええ」

「まあ、無理もない。だが、マクシミリアンを退けられたのは幸運だったな」
カイルはセレスの隣に並び、同じ月を見上げる。
「帝国の『疾風』を退けたとなれば、大きな手土産になる。……あれでも帝国内では英雄視されているらしい」

その時、「失礼します」と扉が開いた。
人数分の茶器を運んできたエミールが、軽快な足取りで部屋に入ってくる。
「その『疾風のなんとやら』のおかげで、アルクリーズ兵たちの間では早くも噂になっていますよ」

「私が? どんな噂? エミール、聞かせて!」
セレスが、少し照れたように身を乗り出す。

「いえ、『饒舌の貴公子』のことです。口だけの過大評価野郎だったんだな、って」

「……そんな噂話ならいいわ」
セレスが頬を膨らませ、カイルが苦笑した。
「まあ、いい。実績と信頼を得るためには、まず認知されることが重要だ。結果としては上出来だろう」

「でも……」
セレスが、不安げに視線を落とす。
「辺境伯様は、本当に兵を貸してくださるかしら」

エミールがカップに紅茶を注ぐと、心地よい香りの湯気が立ち上った。
「そのために、わざわざこんな辺境の城まで来たのですから。説得してくれないと困ります」

「わ、わかってるわよ」
同い年の少年にそう言われることで、セレスの弱気は消えていく。

カイルは、エミールを連れてきて正解だったと思った。



翌朝。
三人は、重々しい空気が満ちる大広間へと招かれた。

長いテーブルには詳細な戦術地図が広げられ、メイルドック辺境伯と、歴戦の幕僚たちが彼らを待ち構えていた。

「本日は、お集まりいただき……」
セレスが口火を切ろうとしたその時、辺境伯が鋭い視線でそれを制した。
「その前に……セレスティーヌ殿。いや、『ランカスター卿』と呼ぶべきかな? まずは掛けたまえ」

軍議の場において、昨夜のような「戦友の孫」を慈しむ柔和な顔は、どこにもなかった。

「お気遣い、痛み入ります。どうぞ、セレスとお呼びください」
セレスは動じることなく、椅子に腰を下ろして答えた。
「本題に入らせていただきます。アルクリーズ城を訪れたのは、他でもありません。王都奪還のため、アルクリーズの精鋭を拝借したく、お願いに参りました」

その願いは、この場にいる全員が予想していたことだった。
辺境伯は深く眉をひそめ、組んだ指に力を込める。
「セレスティーヌ卿。……現在、王都が占領されている要因の一つは、貴殿の責任が極めて大きい。そんな卿に、大事な兵を預けようとする者が、この場にいるとお思いかな?」

厳しい言葉が、広間に突き刺さる。
「……それについては、申し開きのしようもございません。私は、聖騎士団団長としての器ではなかった。そう痛感しております」

セレスの率直な独白に、幕僚たちがざわついた。
「いや……そもそも聖騎士団の主な任務は、王都の治安維持や儀礼、式典の警護だ。貴殿を団長に任命した国王陛下も、推薦したランカスター公爵閣下も、そのつもりであったのだろう」

辺境伯の声が一段と低くなる。
「だが、部隊を率いて城門を出たからには、作戦の遂行こそが指揮官の絶対的な任務だ。それを全うできぬ人間に、兵を貸すことなど到底できん」

「……返す言葉もございません」
セレスは視線を逸らさず、言葉を継いだ。
「ですが、今は違います。優秀な参謀、信頼できる副官、そして兵士たちの声に耳を傾け、私は変わる覚悟を決めました。必ずや王都を奪還することをお約束いたします」

「ふむ……」
辺境伯は、しばし沈黙した。
「リザニア砦の攻略。そして、あのマクシミリアンを退けた一件は聞き及んでいる。それも単に勝利しただけでなく、自軍の被害を最小限に抑えたともな」

辺境伯の眼光が、値踏みするようにセレスを射抜く。
「その実績がなければ、話を聞く前に一蹴していたところだ」

「では……兵を貸していただけるのですか?」
セレスの瞳に、わずかな希望の光が宿る。

「……いや、そうもいかなくなってな」

重々しく告げられたその一言が、希望を遮るようにその場の空気を凍らせた。
「このアルクリーズ城、辺境の(くさび)としての役割は、北の帝国に対するものだけではない。我が軍が迂闊に動けば、他国が動くかもしれん」

辺境伯は、地図上の王国(ローゼンベルク)の西側に印された街を指さした。
「ここ、公国側の街グレイヴには、四千の兵が駐留しているとの報告がある」

傍らに控える幕僚が、沈痛な面持ちで補足した。
「我が国とヴァリシア公国は、表向きは『中立』を保っております。駐留の意図を問う書簡を送ったところ、公国側は『森林地帯に住むエレフィン族を討伐するためだ』と回答してきました」

「エレフィン族……確か、長い耳が特徴の種族ですね」

エミールの言葉に、カイルが頷く。
カイルは地図上で、王国と公国の間に広がる広大な森林地帯を指した。
「この森を故郷とする狩猟民族だ。公国は彼らを『蛮族』と蔑んでいるが……実際には優れた弓術と薬草の知識を持ち、王国との交流も長い」

セレスが身を乗り出した。
「なぜ、公国は彼らを敵視するのです?」

「森の地下に眠る希少金属が目的でしょう。公国は採掘権を得るため、過去に何度も侵攻を繰り返しています」

幕僚の答えに、辺境伯が重々しく頷く。
「エレフィン族との友好は先王陛下から続いていたが、公国にとって彼らは邪魔なのだ」

「ですが、それではエレフィン族は見捨てられてしまいます」
セレスは思わず声を上げた。

辺境伯は苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「……国境が森の真ん中を通っているのだ。公国側が自領内の森で何をしようと、我らが介入すればそれは『侵略行為』となる。現状、手出しはできん」

「――いったん、話を戻しましょう」
カイルが割って入り、公国軍の兵種を幕僚に確認した。
わかったのは、一度だけ森で小競り合いがあったこと、そして駐留軍の主力は「騎兵」であることだった。

「……ブラフだな」
カイルが短く断じた。
「本気で森を攻めるなら、騎兵は使わない。森は騎兵の墓場だからな」

「平地に誘い出してから、本格的に攻撃する気では?」

「ありえないな。エレフィン族が森から出てこないことくらい、公国軍も百も承知のはずだ。そんな無意味な誘い出しをする理由がない」

「では、公国軍の真の目的は何なのですか?」

問いかける幕僚を無視し、カイルは隣のセレスへと視線を投げた。
「それは、我らが軍団長がお答えするそうだ」

「えっ……?」

セレスは内心で激しく動揺した。いつも通り、軍師であるカイルがすべてを解き明かすものだと思い込んでいたからだ。

一同の視線が、セレスに集まる。
(そんなこと急に言われたって、わからないわ……)

焦りがこみ上げる。しかし、カイルの射貫くような瞳がそれを許さなかった。
『お前が考えて、答えを出せ』――その目が、無言でそう告げていた。

「セレスティーヌ卿?」
沈黙するセレスに対し、幕僚たちが怪訝な表情を浮かべる。

(考えろ。考えるのよ、ヒントはすべてカイルが並べてくれた――)

森の侵略が目的なら、『騎兵』を主力にするはずがない。ならば、あの四千の騎兵が最も威力を発揮する地形はどこか?――遮るもののない平原。つまり、このメイルドック領だ。

だが、堅牢なアルクリーズ城を、たった四千の騎兵で落とせるはずがない。公国が単独で仕掛けるには無謀すぎる。だとすれば、彼らが単独ではないとしたら――?

(……そうか! 繋がったわ……!)

セレスは深く、深く呼吸を整えた。迷いを振り払い、凛とした澄んだ声で言い放つ。
「公国軍は帝国軍と協力して、メイルドック辺境伯領を攻めるつもりです」

その言葉に、カイルは満足げに口角を上げた。