王都の西、ウィンドル平原を覆っていた秋の朝靄が、ゆっくりと晴れはじめていた。
一万二千のローゼンベルク王国軍が整然と隊列を組み、西へ向けて陣を構えている。これほどの大軍でありながら、聞こえるのは馬の鼻息と、甲冑の擦れる音ばかりだった。
部隊の先頭で、白銀の鎧と深紅の外套をまとった少女が白馬に跨っている。
腰まで流れる銀髪が朝日にきらめき、蒼い瞳は真っすぐ前だけを見据えていた。
セレスティーヌ・フォン・ランカスター。
半年前、王国史上最年少で聖騎士団長に就任し、つい先日十八歳になったばかりの少女である。
副官のミリアが、黒髪を揺らして馬を寄せてきた。
「セレス様。ついに初陣ですね。緊張しておられますか?」
「ええ、少し」
「実戦では当然、多くの敵兵を斬ることになりますが……」
「覚悟はできています。王国軍の主力がいない今、王都を守れるのは私たちだけです。躊躇すれば、代わりに味方が倒れ、さらには王都の民が犠牲になるのです」
そう答えたセレスの手が、手綱をきつく握りしめていることに、ミリアは気づいていた。
「ミリア、帝国軍の兵数は一万という報告でしたね」
「はい。そして、率いているのは勇猛で知られる帝国軍第一騎士団のディートハルト将軍かと」
薄れゆく靄の向こうから、第一騎士団の黒い帝国旗が、一つ、また一つと姿を現した。
「見えてきましたね。では、いきましょうか……」
そして、澄んだ声が戦場に響き渡った。
「全軍、前進開始!」
号令と共に、一万二千の軍勢が動き出す。
無数の蹄が大地を踏み鳴らし、地響きが平原を震わせた。
ローゼンベルク王国軍とグランゼイド帝国軍。
双方の距離がじわりじわりと近づいていく。
黒い旗の列が、地を這うように速度を上げはじめた。
「敵が来ます!」
「ええ、わかっています。士気が高い我が軍が負けるはずはありません!」
逸る心を隠しきれないセレスの声に、ミリアは表情を引き締めた。
「兵力はこちらが上回っています。ここは無理をせず、厚みを持たせた陣形で当たり、敵の動きを探りましょう」
セレスは前を見据えたまま、緩やかに首を振った。
「いえ、ここは正々堂々と中央突破をします。私は士官学校時代、演習で無敗だったのです」
「セレス様、実戦は演習と違います。それに、敗れれば王都は丸裸になります。失敗は許されないのです」
セレスは振り返り、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「そんなに心配しなくても大丈夫です、ミリア。戦女神の導きが、私たちに勝利をもたらしてくれます。さあ、今こそ王国軍の正義を成しに行きましょう!」
その揺るぎない自信に、ミリアは一抹の不安を拭えなかった。
「お待ちください、セレス様――」
セレスは手で軽く制し、白銀の剣を高く掲げながら叫んだ。
「突撃!」
銀の剣が振り下ろされると同時に、中央の騎馬隊が一気に駆け出した。ミリアも後を追ったが、先頭を駆けるセレスとの距離は開く一方だった。
『銀光』の異名を持つセレスの剣技は凄まじく、目の前の帝国兵を次々と倒していく。その武勇に、味方の兵士たちの士気は自然と跳ね上がった。
後続の兵の一人が、興奮に頬を紅潮させながら叫ぶ。
「セレス様に続け! 帝国軍を蹂躙せよ!!」
王国軍の突撃は瞬く間に敵の前衛を食い破った。敵の防衛線は紙切れのように引き裂かれていく。
「勝てる……! 我らが聖騎士団の敵ではない!」
「このまま敵将ディートハルトの首を獲れ!」
兵士たちの間から、そんな声が口々に上がる。
歓声を上げ、盲目的に敵を追う兵士たちの後ろで、ミリアの馬足は次第に鈍っていった。セレスの剣技は確かに圧倒的だ。だが――。
(おかしい……あのディートハルト将軍が率いる帝国軍の中央が、ここまで脆く崩れるはずがない)
ミリアは戦場全体を見渡した。
よく見れば、敵の陣形は崩壊しているのではなく、一定の距離を保ちながらきれいに後退している。
(それに、もう半刻近く戦っているのに、敵の抵抗が最初から変わらない……これではまるで、こちらの勢いを利用してるようだわ――)
ハッとして左右の戦線の遥か向こうへ視線を走らせた瞬間、ミリアの血の気が引く。帝国軍の左右の部隊が、じわじわと前進しながら大きく回り込もうとしていた。
(罠だ……! 中央へ深く引きずり込み、左右から包囲するつもりだわ!)
だが王国軍はさらに速度を上げ、敵陣の奥深くへと突き進んでいく。前線から届く勝鬨に、後方の兵たちも勝利を確信していた。
「待ちなさい! 全軍止まって! 左右を見なさい、包囲されつつあるわ!」
ミリアが喉を潰さんばかりに叫ぶ。だが勢いに乗ったセレスたちの耳に、その声は届かない。そして高らかに響いていた鬨の声は、引き裂かれるような悲鳴へと一変した。
突出した王国軍の部隊に対し、帝国軍が左右から挟撃を開始する。横合いから突き立てられる槍、容赦なく振り下ろされる剣。逃げ場を失った騎士たちが、一人、また一人と草の上に崩れ落ちていく。
ミリアは声を張り上げた。
「退け! 突出した部隊から順に後退させて!」
だが指示は届かず、混乱した兵士たちは狩り立てられた獲物のようになっていた。馬を失った騎士が徒歩で敵中を彷徨い、次々と斬り倒されていく。
(このままでは、ここで全滅する……!)
ミリアは唇を噛み、戦場を睨んだ。回り込んでくる敵の右翼は、大きく弧を描いたぶん隊列が伸びきっている。その意識は内側の王国軍にだけ向いていた。
「後衛隊、私に続きなさい! 敵右翼の外側を叩く!」
温存されていた後衛が、ミリアを先頭に南東へ駆けた。包囲の輪を外側から食い破るように、伸びきった敵の横腹へ突き刺さる。不意を突かれた帝国兵が崩れ、輪の一角に、わずかな綻びが生まれた。
「撤退の合図をして! 南東へ抜けろと伝えなさい!」
重い太鼓の音が戦場に響き渡る。その音にすがるように、包囲の中の兵たちが南東へと雪崩を打った。ミリアはその流れに逆らって馬を走らせ、セレスのもとへ駆け寄った。
「王都西門まで退いて迎撃しましょう。このままでは全滅します!」
先ほどの勢いが嘘のように、セレスは馬上で呆然としていた。白銀の鎧は返り血を浴び、顔は紙のように蒼白だ。
「なぜ……なぜこのようなことになったの? 戦女神の加護は……?」
「セレス様。ご無礼を!」
ミリアの掌が、セレスの頬を強く引っ叩いた。
「いい加減、目を覚まして、周りをよく見てください!」
弾かれたように顔を上げたセレスの瞳に、残酷な光景が映る。帝国軍に蹂躙される聖騎士団。「助けて」と手を伸ばした兵士が、敵の馬に踏みつぶされる。
「王都西門まで退きます。いいですね?」
セレスは、ただ深く頷いた。
ミリアは生き残った兵をまとめ、王都へと撤退した。
その間、セレスは一度も口を開かなかった。
◇
王都西門まで後退した聖騎士団だったが、そこに安息はなかった。
ミリアが声を嗄らして叫ぶ。
「敵を王都に入れないで!」
しかし、その命令に応える者はほとんどいなかった。聖騎士団の兵たちは完全に士気を失っていた。
戦場は常に国境にあり、王都は絶対に安全だと誰もが信じていた。だからこそ低い城壁は捨て置かれ、主力が出払った今、守る術はなかった。
門だけではない。帝国兵は城壁を易々と乗り越え、街へとなだれ込んでいく。逃げ惑う市民が通りを埋め、街の一部から火の手が上がり始めた。
虚ろだったセレスの瞳に、燃える街並みが映り込む。
「王都内に敵が!?」
ローゼンベルク王国建国以来、一度たりとも許さなかった外敵の侵入だった。
出立時に彼女を送り出した輝かしい歓声は、今や逃げ場を失った人々の悲鳴へと変わっていた。
セレスは襲い来る帝国兵を斬り伏せる。だがそれは、燃え広がる炎に手桶一杯の水を注ぐような、虚しい抵抗でしかなかった。
ミリアが叫んだ。
「セレス様! 敵が多すぎます。お逃げください!」
「まだです! 私は王都を守る聖騎士団長なのです!」
「今は生きて撤退することが最優先です!」
ふと路地へ目を向けると、帝国兵に襲われる市民の姿があった。セレスは反射的に敵兵を斬り伏せ、馬から降り、倒れた人々へ駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
返事はない。重なり合うように横たわる人々の顔は苦悶に歪み、目は大きく見開かれたままだった。その濁った瞳が、自分を責めるように映った。
(……ごめんなさい)
崩れ落ちそうな主君の姿を見て、ミリアは決意を込めて声を張り上げた。
「聖騎士団、いったん王都を離れるわよ! ――生き残って再起を図りなさい!」
ミリアは残存兵とセレスを引き連れ、王都を脱出した。帝国軍はそんな残存兵など歯牙にもかけず、王宮、貴族の邸宅、軍施設の占領を進めていった。
◇
夕闇が平原を包み込む頃、一行は王都近郊、南の森へと逃げ込み、急造の野営地を張った。
残存兵力はわずか三千。その大半が負傷していた。兵たちは痛みに耐え、うめき声さえ押し殺している。静まり返った森には、薪の爆ぜる音だけが響いていた。
炎に照らされた漆黒の髪を揺らしながら、ミリアは、地面をじっと見つめ続けるセレスの傍らに立った。
「なぜ、私の進言を退けてまで、中央突破を選んだのですか?」
セレスは顔を上げなかった。
「……私は、ヒルデガルドのようになりたかった……」
戦女神の生まれ変わりと言われた、百年前の英雄『聖女将軍ヒルデガルド』。
その名を呟いた少女の肩は、夜気のせいか、それとも深い後悔のせいか、小さく震えていた。
一万二千のローゼンベルク王国軍が整然と隊列を組み、西へ向けて陣を構えている。これほどの大軍でありながら、聞こえるのは馬の鼻息と、甲冑の擦れる音ばかりだった。
部隊の先頭で、白銀の鎧と深紅の外套をまとった少女が白馬に跨っている。
腰まで流れる銀髪が朝日にきらめき、蒼い瞳は真っすぐ前だけを見据えていた。
セレスティーヌ・フォン・ランカスター。
半年前、王国史上最年少で聖騎士団長に就任し、つい先日十八歳になったばかりの少女である。
副官のミリアが、黒髪を揺らして馬を寄せてきた。
「セレス様。ついに初陣ですね。緊張しておられますか?」
「ええ、少し」
「実戦では当然、多くの敵兵を斬ることになりますが……」
「覚悟はできています。王国軍の主力がいない今、王都を守れるのは私たちだけです。躊躇すれば、代わりに味方が倒れ、さらには王都の民が犠牲になるのです」
そう答えたセレスの手が、手綱をきつく握りしめていることに、ミリアは気づいていた。
「ミリア、帝国軍の兵数は一万という報告でしたね」
「はい。そして、率いているのは勇猛で知られる帝国軍第一騎士団のディートハルト将軍かと」
薄れゆく靄の向こうから、第一騎士団の黒い帝国旗が、一つ、また一つと姿を現した。
「見えてきましたね。では、いきましょうか……」
そして、澄んだ声が戦場に響き渡った。
「全軍、前進開始!」
号令と共に、一万二千の軍勢が動き出す。
無数の蹄が大地を踏み鳴らし、地響きが平原を震わせた。
ローゼンベルク王国軍とグランゼイド帝国軍。
双方の距離がじわりじわりと近づいていく。
黒い旗の列が、地を這うように速度を上げはじめた。
「敵が来ます!」
「ええ、わかっています。士気が高い我が軍が負けるはずはありません!」
逸る心を隠しきれないセレスの声に、ミリアは表情を引き締めた。
「兵力はこちらが上回っています。ここは無理をせず、厚みを持たせた陣形で当たり、敵の動きを探りましょう」
セレスは前を見据えたまま、緩やかに首を振った。
「いえ、ここは正々堂々と中央突破をします。私は士官学校時代、演習で無敗だったのです」
「セレス様、実戦は演習と違います。それに、敗れれば王都は丸裸になります。失敗は許されないのです」
セレスは振り返り、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「そんなに心配しなくても大丈夫です、ミリア。戦女神の導きが、私たちに勝利をもたらしてくれます。さあ、今こそ王国軍の正義を成しに行きましょう!」
その揺るぎない自信に、ミリアは一抹の不安を拭えなかった。
「お待ちください、セレス様――」
セレスは手で軽く制し、白銀の剣を高く掲げながら叫んだ。
「突撃!」
銀の剣が振り下ろされると同時に、中央の騎馬隊が一気に駆け出した。ミリアも後を追ったが、先頭を駆けるセレスとの距離は開く一方だった。
『銀光』の異名を持つセレスの剣技は凄まじく、目の前の帝国兵を次々と倒していく。その武勇に、味方の兵士たちの士気は自然と跳ね上がった。
後続の兵の一人が、興奮に頬を紅潮させながら叫ぶ。
「セレス様に続け! 帝国軍を蹂躙せよ!!」
王国軍の突撃は瞬く間に敵の前衛を食い破った。敵の防衛線は紙切れのように引き裂かれていく。
「勝てる……! 我らが聖騎士団の敵ではない!」
「このまま敵将ディートハルトの首を獲れ!」
兵士たちの間から、そんな声が口々に上がる。
歓声を上げ、盲目的に敵を追う兵士たちの後ろで、ミリアの馬足は次第に鈍っていった。セレスの剣技は確かに圧倒的だ。だが――。
(おかしい……あのディートハルト将軍が率いる帝国軍の中央が、ここまで脆く崩れるはずがない)
ミリアは戦場全体を見渡した。
よく見れば、敵の陣形は崩壊しているのではなく、一定の距離を保ちながらきれいに後退している。
(それに、もう半刻近く戦っているのに、敵の抵抗が最初から変わらない……これではまるで、こちらの勢いを利用してるようだわ――)
ハッとして左右の戦線の遥か向こうへ視線を走らせた瞬間、ミリアの血の気が引く。帝国軍の左右の部隊が、じわじわと前進しながら大きく回り込もうとしていた。
(罠だ……! 中央へ深く引きずり込み、左右から包囲するつもりだわ!)
だが王国軍はさらに速度を上げ、敵陣の奥深くへと突き進んでいく。前線から届く勝鬨に、後方の兵たちも勝利を確信していた。
「待ちなさい! 全軍止まって! 左右を見なさい、包囲されつつあるわ!」
ミリアが喉を潰さんばかりに叫ぶ。だが勢いに乗ったセレスたちの耳に、その声は届かない。そして高らかに響いていた鬨の声は、引き裂かれるような悲鳴へと一変した。
突出した王国軍の部隊に対し、帝国軍が左右から挟撃を開始する。横合いから突き立てられる槍、容赦なく振り下ろされる剣。逃げ場を失った騎士たちが、一人、また一人と草の上に崩れ落ちていく。
ミリアは声を張り上げた。
「退け! 突出した部隊から順に後退させて!」
だが指示は届かず、混乱した兵士たちは狩り立てられた獲物のようになっていた。馬を失った騎士が徒歩で敵中を彷徨い、次々と斬り倒されていく。
(このままでは、ここで全滅する……!)
ミリアは唇を噛み、戦場を睨んだ。回り込んでくる敵の右翼は、大きく弧を描いたぶん隊列が伸びきっている。その意識は内側の王国軍にだけ向いていた。
「後衛隊、私に続きなさい! 敵右翼の外側を叩く!」
温存されていた後衛が、ミリアを先頭に南東へ駆けた。包囲の輪を外側から食い破るように、伸びきった敵の横腹へ突き刺さる。不意を突かれた帝国兵が崩れ、輪の一角に、わずかな綻びが生まれた。
「撤退の合図をして! 南東へ抜けろと伝えなさい!」
重い太鼓の音が戦場に響き渡る。その音にすがるように、包囲の中の兵たちが南東へと雪崩を打った。ミリアはその流れに逆らって馬を走らせ、セレスのもとへ駆け寄った。
「王都西門まで退いて迎撃しましょう。このままでは全滅します!」
先ほどの勢いが嘘のように、セレスは馬上で呆然としていた。白銀の鎧は返り血を浴び、顔は紙のように蒼白だ。
「なぜ……なぜこのようなことになったの? 戦女神の加護は……?」
「セレス様。ご無礼を!」
ミリアの掌が、セレスの頬を強く引っ叩いた。
「いい加減、目を覚まして、周りをよく見てください!」
弾かれたように顔を上げたセレスの瞳に、残酷な光景が映る。帝国軍に蹂躙される聖騎士団。「助けて」と手を伸ばした兵士が、敵の馬に踏みつぶされる。
「王都西門まで退きます。いいですね?」
セレスは、ただ深く頷いた。
ミリアは生き残った兵をまとめ、王都へと撤退した。
その間、セレスは一度も口を開かなかった。
◇
王都西門まで後退した聖騎士団だったが、そこに安息はなかった。
ミリアが声を嗄らして叫ぶ。
「敵を王都に入れないで!」
しかし、その命令に応える者はほとんどいなかった。聖騎士団の兵たちは完全に士気を失っていた。
戦場は常に国境にあり、王都は絶対に安全だと誰もが信じていた。だからこそ低い城壁は捨て置かれ、主力が出払った今、守る術はなかった。
門だけではない。帝国兵は城壁を易々と乗り越え、街へとなだれ込んでいく。逃げ惑う市民が通りを埋め、街の一部から火の手が上がり始めた。
虚ろだったセレスの瞳に、燃える街並みが映り込む。
「王都内に敵が!?」
ローゼンベルク王国建国以来、一度たりとも許さなかった外敵の侵入だった。
出立時に彼女を送り出した輝かしい歓声は、今や逃げ場を失った人々の悲鳴へと変わっていた。
セレスは襲い来る帝国兵を斬り伏せる。だがそれは、燃え広がる炎に手桶一杯の水を注ぐような、虚しい抵抗でしかなかった。
ミリアが叫んだ。
「セレス様! 敵が多すぎます。お逃げください!」
「まだです! 私は王都を守る聖騎士団長なのです!」
「今は生きて撤退することが最優先です!」
ふと路地へ目を向けると、帝国兵に襲われる市民の姿があった。セレスは反射的に敵兵を斬り伏せ、馬から降り、倒れた人々へ駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
返事はない。重なり合うように横たわる人々の顔は苦悶に歪み、目は大きく見開かれたままだった。その濁った瞳が、自分を責めるように映った。
(……ごめんなさい)
崩れ落ちそうな主君の姿を見て、ミリアは決意を込めて声を張り上げた。
「聖騎士団、いったん王都を離れるわよ! ――生き残って再起を図りなさい!」
ミリアは残存兵とセレスを引き連れ、王都を脱出した。帝国軍はそんな残存兵など歯牙にもかけず、王宮、貴族の邸宅、軍施設の占領を進めていった。
◇
夕闇が平原を包み込む頃、一行は王都近郊、南の森へと逃げ込み、急造の野営地を張った。
残存兵力はわずか三千。その大半が負傷していた。兵たちは痛みに耐え、うめき声さえ押し殺している。静まり返った森には、薪の爆ぜる音だけが響いていた。
炎に照らされた漆黒の髪を揺らしながら、ミリアは、地面をじっと見つめ続けるセレスの傍らに立った。
「なぜ、私の進言を退けてまで、中央突破を選んだのですか?」
セレスは顔を上げなかった。
「……私は、ヒルデガルドのようになりたかった……」
戦女神の生まれ変わりと言われた、百年前の英雄『聖女将軍ヒルデガルド』。
その名を呟いた少女の肩は、夜気のせいか、それとも深い後悔のせいか、小さく震えていた。
