三時のおやつ

 新幹線を降りると、吸ったことのない街の空気が身体に染み渡った。と、爽やかな香りが鼻をすぎる。フルーツの香りだ。

 ここはフルーツ全般の収穫量が多い街らしいから、と納得していた。どうして知ってるか。それは……とまずい。スーツの背広がもうあんなに小さくなっていて。

 急いで追いかけ仕事仲間たちの後ろに並ぶ。歩きながら、今回の出張で行こうとしているお店のことを空想した。


 三時のおやつ


 それが目星を付けているお店だ。名前通り、お菓子を扱っていて味は絶品とのこと。看板メニューは『グレア』。事前調査によると、フルーツをふんだんに使ったエクレアらしい。だからこそこの街がフルーツで有名なのだと知っていたのだ。

 だけどその由来が分からないでいる。フルーツの要素はありそうだけど。私の予想では、フルーツのスペルfruitと三時だから『u』が関係してると考えている。でもそれだと『ウレア』になってしまう。

 と、こんな具合に私は出張のたび、その町で一番美味しいと噂されているお菓子のお店を前もって調べている。
 簡単そうに思えるかもしれないが、実は一筋縄にいかない時もある。むしろその方が多いかもしれない。
 ある時は、お財布に厳しすぎる高級志向のお店へ。ある時は、一日におよそ数個しか販売されていないお店へ。ある時は、標高がそこそこな山頂のお店へ。

 思い出せば幾多の大変だった出来事が浮かんだけれど、一つとして後悔したことがない。
 こだわりのチョコレートを使ったフォンダンショコラも、新鮮な牛乳を使った手間のかかるバニラアイスロールケーキも、頂上からの美しい景色あってこそのシンプルなクッキーも。
 全て美味しかった。時間と労力以上のものを、甘いものはいつだって用意してくれる。これだからお菓子のお店巡りはやめられない。

 今回のお店はというと、一つ厄介な条件がある。その名の通りなんと、お店が三時の間にしかやっていないのだそう。
 しかし、ここで挫ける私じゃない。これまでいくつもの試練に挑んできたのだから、どうってことはない。

 三時に絶対来てみせる! 


 店名が三時のおやつだ。


 絶対美味しいに決まってる。


 素敵なお店に決まってる。


 そんな予感しかしなかった。


 だが、世の中はそんな甘くないわけで……。


 「えぇ、私たちの支部では……」


 上司がお仕事モードの無機質な声を会議室全体に轟かせている。ここにいる社員も皆、その声を受け止めるのに相応しいすまし顔をしている。
 私も、と言いたいところではあるけど残念ながらそうじゃない。
 だって、意識の先が今話している内容じゃなくて、時計なのだから。とうに針は三を過ぎている。むしろ短い針は四よりだ。
 会議よ、早く終われ、終われ。そう強く祈れば祈るほど、時間は驚くほど早く通り過ぎていってしまう。

 やがてその時はやって来た。
 長い針は十二へ、短い針は四へ。


 上司の声はまだ続いている。
 

 次の日も会議は私を邪魔する。早く早く。無駄な念仏を心の中で唱えていると、なんと昨日とは打って変わって、今日は会議が終わった。

 時刻は午後三時の三分前。速攻で私は例のお店へと向かった。
 夕方が近づき、陽の色が濃くなった街並み。始めてきた街だからか、幻想的に見えた。

 ほどなくして目的地に着く。事前に調査しても画像では見れなかったため、今初めて見る。
 想像してた通りの外装で、この幻想的な街と絶妙にマッチしていた。でもおかしいな、と首を傾げる。

 口コミでは行列が常にできている、と書かれていたのに。試しに腕時計に視線を落とすも、三時はちゃんと過ぎていた。
 近づいてみると、衝撃的な事実が判明する。


 『close』


 木製の扉の上部に垂れ下がった、これもまた木でできたプレートに、はっきりと刻まれていて。
 店を間違えたのかと、後ずさりして今度は立て看板に注目しても、やっぱり書かれていたのは私が探し求めている『三時のおやつ』だった。

 一気に頭がぐちゃぐちゃになる。どういうことなの? それで三時のおやつ語れるのって、ついには否定的な叫びが心の中で何度もリフレインした。

 分かりやすいくらい肩を落として、もと来た道を辿ってゆく。さっきまでは綺麗だと思ってた景色も、不気味に見えた。


 昨日と同じ部屋の、同じベッドにどんと横たわった。まるでスポンジケーキのように身体をほどよく弾いてくれる。

 あぁ、これは重症だ。スポンジケーキと容易く変換してしまうなんて。

 食べたかったなぁ、絶品グレア。

 最悪な気分のまま、だけど身体は疲れているのかすぐに意識を失えた。


 鼻が優しい香りを察知する。間違いない、これはフルーツの香り。

 目を開けると、すぐそこに私の求めてたグレアが一つ浮かんでいた。自分でちぎったのか分からないけど、なぜか半分に割れている。断面は色とりどりの果物で飾られていた。私の思い描いていたグレアだ。

 ようやく、食べれる。幸せの絶頂に立った私は勢いよく手を伸ばす。なのに、どうしてだろう。なかなか触れない。指先にすらも。それどころか遠くなっているような……。


 「はっ……」


 突然視界が真っ暗になる。急いでベッドの傍にあるテールランプを明るくするも、グレアの姿はなかった。

 夢だったんだ。そうだよね、現実なわけない。

 望んでいることや理想はなかなか現実にならない。そういうのはほとんど夢の中でしか叶わないもの。

 でも、今の夢は流石にひどくない? 嗅覚や細部まであのエクレアで。

 食べたくなるに決まってる、そんなの。

 我慢できなくなって、私はベッドから勢いよく起き上がる。寝巻を脱いで、でもフォーマルになりすぎない服に着替えた。

 ロビーにいる受付の人に声をかけてから、外に出る。秋も真ん中になって、夜は肌寒い。

 仕方ない。だって、食べたくなったんだもん。あんな夢見せられたら。

 とりあえず市販のエクレアを買うことにした。だけどコンビニと名乗りながら、なかなか見つからない。今日はとことんついてない。

 うん、今日? と一応つけてきた腕時計に目を通すと、とっくに日はまたいでいた。短い針はちょうど三を指している。

 はぁ……とまたテンションが下がる。昨日あの事実を知った時刻に。

 と、人の声がどこからか聞こえてきた。それも一人や二人じゃない。大勢いる感じの声の大きさ。この時間らしくない騒がしさに、好奇心から声が聞こえる方へと歩いてみる。

 あれ、ここ歩いたことあるような……、え?

 声が漏れそうになり、慌てて口を押える。

 視界に広がる長蛇の列。まるで人の川のよう。


 まさか。


 でも間違いない。


 だから開いてなかったんだ。


 列の先にある『三時のおやつ』は昨日の夕方とは違って、明るく華やかだった。
 ここのお店は正しかったんだ。


 だって午前が本当の三時なのだから。


 口の両端を緩めながら列に並ぶ。フルーツの香りが夜風に乗ってやって来る。


 と、ずっと分からなかった謎が今解けた。


 グレアの名前の由来を。