拝啓、17の絶望。


「次は白木町、白木町です。お出口は右側です。」

 電車内に流れたアナウンスに、私は肩に掛けていたスクールバッグの紐をギュッと握り締めた。

 朝の窮屈な電車に乗ると、どうしたって気分は悪くなり無条件にお腹が痛くなる。

 四方八方を人に囲まれて、平然としていられる周囲の人たちが私にはいつになっても理解出来なかった。
 
 行きたくもない場所に、行かなくてはいけない朝が本当に嫌いだ。

 徐々にスピードを落としていく電車が揺れて、近くに居た誰かに足を踏まれた。

 痛い。
 
 苛々する。

 今朝は父親に声を掛けられたから、尚更苛々していた。

 ようやく電車が止まって駅に着くと、いつものように同じ制服を着た学生たちで溢れている。

 その中を私は一人淡々と進み、駅を出る人々の流れに紛れて自動改札を通り抜けようとすれば、ピンポーンと軽快な音と共に目の前の扉が閉まる。

 スムーズだった人の流れが私で堰き止められた瞬間、背後から「チッ」と鋭い舌打ちが降ってきた。

 あぁ、私って本当に駄目だ。

 やけに自分が情けなく感じて、慌てて駅員に知らせて対処する。どうやらいつの間にか定期券が切れていたようで、ますます自分が嫌になった。

 忙しない朝は、私から心の余裕を奪い去るのだ。

 定期券の手続きに少し時間がかかり、駅を出る頃には混雑していた人混みがたいぶ落ち着き始めていた。

「あっ、藤沢さん。」

 突然、背後から呼ばれた名前に振り向けば、そこには竹本さんと隣クラスの山田くんが居た。

「竹本さんに、山田くん。おはよう。」

「おはよう。…どうかしたの?」

「あー、定期が切れちゃってさ。ちょうど今、新しくしたところなんだ。」

「あぁ、ついつい期限とか見落としちゃうよね。」

「そうなんだよね…!」

 私の状況を察するように頷く竹本さんに、先程までの情けない自分が少しだけ救われたような気がした。

 果歩と綾乃にハブられてから、もう一週間以上が経つ。

 あれから教室でひとりぼっちになってしまった私は、同じくいつも一人で行動している竹本さんと何度か関わることが増えた。

 体育の授業でキャッチボールをした時のように、他の授業でも二人組やグループを作らなければいけない時は余り者同士都合が良かったのだ。

 友達とまではいかないけれど普通に会話をすることもあり、全く交流が無いわけでもない竹本さんは、現在ひとりぼっちの学校生活を変えるべく私の友達候補だった。

 けれど、授業以外で今まで関わったことの無いタイプの竹本さんとどう関わればいいのか分からず、今だに深く関われずにいる。 

「あっ、あの!」

 そんなことを考えていれば、竹本さんは背中を丸めながらモジモジとした様子で口を開いた。

「どうせなら、藤沢さんもこのまま一緒に学校行かない?」

「え、」

 授業以外では、まだあまり関わったことがない竹本さんの唐突な提案に驚く。

 正直、竹本さんともう少し関わってみたいと思っていたこともあり、その提案は有り難く思ったけれど、私は竹本さんの隣に居た山田くんの存在に少し躊躇する。

「でも、山田くんはいいの?」

 せっかく恋人同士で一緒に居るのに、それを邪魔するのは流石に気が引けた。

 そう山田くんを見ながら聞けば、彼女は「うん、大丈夫だから!」と私の腕を掴んだ。

 一気に距離が近付いた竹本さんに戸惑って、もう一度山田くんを見るも彼は何も言わずに竹本さんの横に並んで歩き始める。

 本当に大丈夫なんだろうか…

 何の反応も見られない山田くんが気になって、竹本さんを挟んで向こう側の彼に再度視線を向けるも、寝癖のついたボサボサの髪を揺らしながら歩く山田くんの表情は分からない。

 すると、竹本さんは特に山田くんを気にすること無く少し緊張したように言った。

「私、藤沢さんとちゃんと話してみたかったの。」

「本当?」

「うん、最近関わることも増えてたでしょ?藤沢さんって、私の想像とは全然違う人だったから気になって…!」

 そう告げてきた竹本さんに思わず「わ、私も!竹本さんと話してみたいと思っていた。」と返せば、彼女は「私たち同じこと考えていたんだね!」と酷く嬉しそうな声で私の腕をまた掴んだ。

 急に接近してくる竹本さんに少し戸惑いつつも、私は素直に口を開いた。

「私が想像と違ったって言っていたけど、一体どんな想像していたの?」

「藤沢さんって、宮沢さんと中野さんたちと仲良かったでしょ?」

「あ、…うん。まぁ、そうだね。」

 竹本さんが話す「宮沢さんと中野さん」とは、私をハブった果歩と綾乃のことだ。

 唐突に二人のことに触れられて、一瞬反応に困った。

「私、宮沢さんと中野さんみたいな、ああいう(・・・・)人たちが凄く苦手なんだよね。」

「ああいう人?」

「なんていうか、ああいう自分たちのことしか考えてなくて、自分たちが正義だと勘違いしてる人たちっていうか…」

 予想もしていなかった竹本さんの言葉に驚いて、私は大きく目を見開く。

 竹本さんの話す「ああいう人」というフレーズは、以前にも聞いたことがあった。

 まだ果歩と綾乃からここまでハブられていなかった頃に、彼女たちはスクールカースト最下層の竹本さんを「ああいう人」と無意識に差別していた。

 確かに手入れの行き届いていない見た目や誰とも関わろうとしない社交性の無さ、皆から空気のように扱われていた竹本さんの存在は、クラスの中心で我が物顔で騒ぐ彼女たちとは全くの別物だ。

 人間が違すぎる。

 そんな竹本さんが、まさか二人のことを逆にスクールカースト上位層の「ああいう人」と差別しているなんて思いもしなかった。

「多少、男子に人気があるからって良い気になっちゃってさ。あの人たちが強気で居られるのって、所詮見た目だけだと思うの。学校って狭い世界だから、周りからチヤホヤされたらそれだけで自分は凄く価値がある存在だって思い込んじゃうんだよ。」

 竹本さんから話される言葉には、若干の棘が含まれていた。それはきっと今まで、果歩や綾乃たちから「ああいう人」と差別されたりネタにされたりした正当な怒りなのだろう。

 それでも、彼女から分析された果歩や綾乃の姿に何とも言えない気持ちになる。

 竹本さんが言う「ああいう人たち」とは、私が必死で馴染もうとしていた人たちなのだ。

「実は藤沢さんのことも、前は少し苦手だったんだよね。」

「え、」

「あぁ!今は当然、そんなこと思ってないよ!大丈夫だからね!」

 突然の告白に、衝撃で思考が止まる。

 一瞬顔色を失った私を、竹本さんは身ぶり手ぶりで懸命にフォローした。

「ああいう人たちとは違って、藤沢さんはこっち側の人だったんだなって分かったから。」

「…こっち側?」

「そう、私たち側と言うか。身の程分かってるっていうか。ああいう人たちって、今は自分のことを過剰評価できるからクラスの中心に居られるだけなの。社会に出たら、きっとそんなの通用しなくなるはず。あんな小さな教室で騒いでいられるのも、きっと今だけだよ。」

 続けられる竹本さんの言葉に、私はどうにも説明出来ないような違和感を感じ始めた。

「だから、ああいう人たちから離れた藤沢さんとなら、仲良く出来ると思ったの。」

 重たい前髪の下の腫れぼったい目でにっこりと笑った竹本さんを、私はどんな表情で眺めていたのだろう。

 彼女の言いたいことは分かるけれど、私は離れたくて果歩や綾乃たちから離れたわけではないのだ。

 それに、竹本さんの話す「こっち側」は私が望んでいたものでは無い。

 果歩や綾乃たちにハブられたから、情けなさや恥ずかしさを全部堪えて「こっち側」に居るだけだ。

 確かに竹本さんの言う通り、果歩や綾乃たちとクラスの中心に居た頃の私は自分のことを過剰評価していたのかもしれない。

 まだ果歩と綾乃たちから「うざい」と言われる前、スクールカースト上位層の彼女たちと一緒に居る自分は今のように卑屈な気持ちにはならなかった。

 それこそ二人にハブられた今もクラスの中心に居る集団を見ては、私だってあの場所に居れたのだと心の何処かで未練がましい気持ちが渦巻いている。

 だからこそ、竹本さんの言葉は私に追い打ちを掛けるように聞こえた。

 竹本さんは果歩と綾乃のことを、見た目だけで自分が凄く価値がある存在だと勘違いしてると言ったけれど、私は最初から見た目さえもちゃんと出来ない竹本さんにそこまでの価値を感じていなかった。

 果歩と綾乃のようなスクールカースト上位層に居られる見た目もコミュニケーション能力も何一つ持っていないくせに、何故そこまで自己評価が高いのか私には正直理解出来ない。

 果歩や綾乃にスクールカースト最下層の「ああいう人」と差別されている竹本さんには分からないかもしれないが、私は普通で居たいのだ。

 誰からも後ろ指さされることも笑われることもなくて、周囲から受け入れられるちゃんとした人で居たいのだ。

 その為に見た目にも気を使って、スクールカースト上位層の果歩や綾乃に馴染めるように性格や話し方だって変えたりした。嫌われていると知ってからは、彼女たちにとって都合の良い存在でいようと必死に自分を偽りながらも、その地位に居る努力はしてきたつもりだ。

 けれど、そんなものはまるで意味が無かった。

 現実は私の気持ちなんて一切配慮してくれない。

 毎日行きたくもない学校へ行って、自分はひとりぼっちで周囲に馴染めないのだと知りたくもない現実に向き合う日々に、私はどんどん自信を失っていく。

 授業で皆からあぶれて余り者になる度にどうしようもなく惨めになるし、休み時間が来るたびに教室に居ることが苦痛でトイレに籠もって時間を潰す虚しさ。

 普通でありたいというプライドを粉々にして、無理矢理に日々を過ごしているだけだ。

 私は、こんなことを全く望んでいない。

 だから、竹本さんの言い分を素直に受け取ることが出来なかった。

「それに藤沢さんは優しくて、話しやすいから居心地が良いんだよね。人見知りの私でも、こんなに話せるんだから…!」

 まるで果歩と綾乃たちと私は違うと言いたげに、竹本さんは声を弾ませた。
 
 そんな彼女に私は、上手く笑えている自信が無い。

 褒められているのか、ある意味貶されているのか判断が出来なくて、私はこの居心地の悪さをどうにかやり過ごすしかなかった。

「山田くんもそう思わない?」

 竹本さんはそう言うと、ずっと黙り込んでいた山田くんに視線を向けた。

 山田くんは眼鏡を掛けた目を竹本さんに向けると、うんともすんとも言わずに直ぐに視線を元に戻して彼女の隣を歩き続ける。
 
 その様子を見て、竹本さんは「ふふっ!」と意味の分からない笑みを溢すのだった。

 二人にしか伝わらない何かを感じて、この場に居ることが気まずく感じる。
 
「何か言えばいいのに、山田くんって面白いよね!」

 そう言って猫背を揺らしながら一人で笑う竹本さんに、今まで黙っていた山田くんがようやく口を開く。

「…藤沢さんって、」
 
 突然呼ばれた名前に驚いて「え?」と声を漏らすと、山田くんは冷たい声で言い放った。

「どういう気持ちで、静奈(しずな)ちゃんと一緒に居るんですか?」

「は、」

 山田くんの言う「静奈ちゃん」 とは、おそらく竹本さんのことだろう。

 彼の言葉に思わず目を見開くと、「ちょっと!山田くん…!」と竹本さんが慌ててその腕を掴んだ。

「宮沢さんと中野さんから仲間外れにされているのか知らないですけど、ずっと一人だった静奈ちゃんに今更近付いて仲良くしてもらおうとか思っているんですか?それって、なんか都合良くないですか?」

 早口で捲し立てるように言われて、私はキュッと喉の奥が締まった。

「山田くん!ちょっと落ち着いて!」

「静奈ちゃんも、もう少し考えてみなよ。君が、藤沢さんのようなタイプと合うわけがない。」

 そうきっぱりと言った山田くんに、竹本さんは「そんなこと…」と呟きながらも自信無さげに背筋を曲げる。

 そんな二人の様子を眺めながら、私は山田くんの言ったことは図星だと思った。

 今の私が味わっている孤独な日常は、竹本さんにとってはいつものことなのだろう。

 これまでクラスで友達の一人も居ない竹本さんを何処かで見下していたのに、同じ状況になったからといって、今更仲良くしようなんて確かに都合の良い話だ。

 それだけでなく、先程から竹本さんと話しをしていると、彼女とは根本的な何かが合わないような気がしていた。

 人というものは一緒にいる時間が経てば経つほど、自分とのズレを認識し始めるものだ。

 私は、そのことをしっかりと分かっている。

 最初はお互いに見ないフリが出来るけれど、少しずつ露わになっていくズレはこれからどんどん見過ごせないものになっていく。

 果歩と綾乃の存在が、私にとってそうだったように。

 きっと、竹本さんも同じだろう。

 まだ深く仲良くなったわけではないけれど、私は既に竹本さんとのズレを見過ごせなくなっていた。
 
 彼女の何が悪いとか悪くないとかよりも、感覚的に合わないと思ってしまったのだ。

 それから山田くんの発言をきっかけに竹本さんは少しだけ静かになって、私達の間には気まずい空気が流れ始めた。

 けれど、私は彼女が黙ってくれたことにほんの少しだけ安堵する。

 これ以上何かを言われたら、ますます竹本さんのことが受け入れられなくなってしまうと思ったのだ。

 登校する学生たちの群れの中で、竹本さんと山田くんの隣を歩くことに抵抗感を感じ始めた時、ようやく学校の校門が見えて私は少し解放されたような気持ちになった。