拝啓、17の絶望。


 よく晴れた空は眩しくて、私を一層惨めにする。

 グラウンドに集まるクラスメイトたちのはしゃぐ声は、広い敷地に反響してとても楽しげに聞こえた。

「小牧ーっ!行くよ!」

「ちょっ!タンマ!今グローブ外れた!」

「大きく振りかぶって…」

「だから、ちょっと待てって言ってんじゃん!」

 体操着を着たクラスメイトは、投げられて地面を転がるソフトボールを必死に追いかけていく。

 それを横目に、私は日差しが照り付けるグラウンドに突っ立っている。

 あれから、ひたすらに教室で居心地の悪さに耐えてようやく四時限目になった。

 その間に一度も果歩と綾乃とは話しをしていない。

 と言うのも、授業の間の休み時間になる度に果歩と綾乃は男子のグループと雑談していて、私に一切近付いて来る様子は無かった。

 それに私もひとりぼっちで教室に居る勇気は無くて、休み時間になる度に教室を出て女子トイレに籠もっていたので、それ以上の二人の様子は分からなかった。

 そして現在は、担任の浜田が担当している体育の授業でグラウンドにてソフトボールを行っている。

「ほら、お前ら!グループ作ってキャッチボールしろって言っただろ。」

「え、」

 唐突に掛けられた声にビクッと肩を上げれば、浜田がグラウンドで一人突っ立っていた私と、同じように少し離れたところに佇む竹本さんを指差して言い放つ。

「さっきグループ作れって言っただろ、早く余ってる二人でキャッチボールしろよ!」

「……」

 体育の授業のソフトボールでは、二人、または三人かのグループを作ってキャッチボールをすることになっていた。

 いつもならば果歩と綾乃のグループに入れてもらえていたのだが、二人はもう私を完全に居ないものとしてとっくにキャッチボールを始めている。

 私は焦って近くのクラスメイトに声を掛けるも、「もうやる人決まってるから、ごめんね。」と断られてしまった。

 その他のクラスメイトたちも各々が決まったメンバーでまとまっていて、私の入る術は無く途方に暮れていたところだ。

 どのグループにも入れなくて、情けなくキャッチボールに励むクラスメイトたちを眺めていれば、教師の浜田に目を付けられてしまったようだ。

 どうしたものかと竹本さんを見れば、重たい前髪で顔を隠すように俯いていた彼女も私を見ていた。

 私はしぶしぶ竹本さんに近付いて、「あの…」と声を掛ける。

「一緒にキャッチボールやらない?」

 こうなってしまったら、もう竹本さんとグループを組むしかないだろう。

 私は体育倉庫からグローブとソフトボールを持ってきて、竹本さんに手渡せば彼女はそれに応じた。

「じゃあ、いくよ?」

 そう声を掛け、竹本さんに向かってソフトボールを軽く投げる。

 ポーンッと放物線を描いて飛んだソフトボールは、そのまま竹本さんのグローブに入ること無く、何故か彼女の振り回した腕に当たって見当違いな方向へ転がっていった。

「え!?」

 驚いて声を上げると、今まで特に話さなかった竹本さんが「ごめんなさい!」と慌てて飛んでいったソフトボールを追いかけて走り出す。

 しかし、竹本さんの足はあまりにも遅くて転がっていくソフトボールに全く追いつけないようだった。

 グラウンドの端の方まで走って、ようやくソフトボールを捕まえられたのか、竹本さん此方に向かって走って来る。

 けれど、その途中で何を思ったのか、竹本さんはまだ遠い距離にいる私に向かって走りながら思いっきりソフトボールを投げて来たのだ。

「嘘!?」

 走りながら投げられたソフトボールは全くコントロールが利かず、私とは真逆の方向へと飛んでいってしまう。

「嘘でしょ!?」

 私は止まらないソフトボールを追いかけて走り出す。

 背後からは「あぁ!ごめんなさい!」と、竹本さんの謝る悲痛な声が聞こえてきた。

 竹本さんは、とんでもない運動音痴なのかもしれない。

 なんとかソフトボールを捕まえて、急いで元の場所へ戻る。

 申し訳なさそうにペコペコと頭を下げる竹本さんに「大丈夫」と声を掛けて、今度は先程投げた時よりもより軽くグローブでキャッチしやすいように投げる。

 しかし、竹本さんの振り回したグローブ妨害されて、またもソフトボールは遠くへと転がっていってしまう。

 私は、まともにキャッチボールも出来ない竹本さんに絶句した。

 思えば過去に、体育の授業で竹本さんに苛立っているクラスメイトを何人か見かけたことがある。

 なるほど。あれは、まさにこういう状況だったのかもしれないと納得した。

 竹本さんはよたよたとボールを拾うと、今度は随分と私との距離を縮めてから思いっきり振りかぶる。

 力加減が分からないのか、竹本さんの手から投げられたソフトボールは強く地面に叩きつけられて、また方向を変えて転がり始めた。

 それを追いかけるべく再び走り出した私の背後で、「あぁ!ごめんなさい!」とまた竹本さんの悲痛な声がする。

 コロコロと地面を転がるソフトボールを追いかけていれば、不意に「ブハッ!」と吹き出すような笑い声がグラウンドに響いた。

「夏希やばい!竹本さんとキャッチボールしてるんだけど!」

「マジで面白すぎるでしょ!?悲惨過ぎて見てられないわ!」

 聞こえてきた声は果歩と綾乃のもので、彼女たちはキャッチボールをしながら私を見ては腹を抱えて笑っている。

 ケラケラと馬鹿にした笑い声に比べて、私のことを話す時は若干声を抑えているようだけど、まるで意味は無く全部丸聞こえだった。

 数日前までは一緒に行動してたのに、彼女たちの変わりようは本当に残酷だ。

 笑われる度に上手く呼吸が出来なくなって、どんどん血の気が引いていく。
 
 本来だったらこんなに走らなくてもいいのに、竹本さんの投げるソフトボールは私を無駄に走らせた。

 何でこんな目に遭わなきゃいけないんだと、ふつふつと苛立ちが湧き上がる。

 グラウンドの端まで走ってようやく止まったソフトボールを拾いながら、ふと何をやっているんだろなと我に返った。

 こんな風に惨めになりたくなかったから、毎日必死に自分を偽って果歩と綾乃に媚び売って、周囲に馴染めるように振る舞ってきたのに。

 全部、何の意味も無かったな。

 振り向くと、遠くから此方を心配そうに見つめている竹本さんが居る。

 友達の一人も居らず、今と同じようにいつも皆からあぶれて空気のように扱われている竹本さん。

 果歩や綾乃のようなスクールカーストの上位層からはネタにされたり、「ああいう人」と差別される彼女のようには絶対になりたくないと思っていた。
 
 それなのに私は今、彼女と同じ立場に居る。

 果歩や綾乃と同じように彼女を見下していたのに、私は何一つ彼女と変わらないのかもしれない。

 なんだが、酷く泣きたくなって強く唇を噛み締めた。

「あのっ、」

 涙腺がじわりと緩くなった時、突然声を掛けられて溢れそうになっていたものが一気に引っ込む。

 驚いて顔を上げると、いつの間にか目の前には竹本さんが居た。

「私、投げるの下手で、ごめんなさい!」

「えぇ?」

 竹本さんはそう言って、勢い良く頭を下げた。

 いきなりの事に戸惑っていると、竹本さんは恐る恐る顔を上げる。その重たい前髪の下からは、不安気に揺れる瞳が見え隠れしていた。

「私がキャッチボール下手なせいで、藤沢さんをめちゃくちゃ走らせてしまって…!」

 申し訳なさそうに言葉を溢すたびに、竹本さんの猫背がどんどん酷くなる。

 そんな竹本さんの姿を前にして、先程まで感じていた苛立ちは徐々に萎んでいった。

「いや、大丈夫だよ!」

「…本当に、ごめんなさい。」

 自分のいつもの教室での振る舞いを思い出して、勤めて明るい声でそう言ったが、竹本さんからは酷く落ち込んだような声がした。
 
 これまで殆ど関わったこともなく、大して仲良くも無かったけれど、私を気にして声を掛けてくれた竹本さんは果歩や綾乃よりもよっぽどまともな人間に思える。

 その時、ふと夢の中で会った未来の私が言っていたことを思い出した。

 ちゃんと出来ない自分を恥ずかしく思っても「どうにも出来ないことがあるんだよ。」と言った彼女は、一体どんな気持ちでそう言ったのだろう。

 私はちゃんとすることに固執して、人それぞれ出来ることも出来ないこともあるのだという当たり前の感覚を忘れてしまっていたような気がする。

「本当に大丈夫だから、気にしないで。」

 竹本さんに再度そう告げると、彼女はようやく俯いていた顔を上げた。

 そんな竹本さんに、私はまた元の場所に戻ってキャッチボールを再開しようと促す。

 ソフトボールを持ったまま歩き出した私の後を、とぼとぼと着いてくる竹本さんに、私は今自分がひとりぼっちではないことに安堵した。

 竹本さんが居なければ、このクラスメイトたちが楽しげに過ごす時間を今だに突っ立ったまま一人でポツンと眺めていたかもしれない。

 そして、私はまた未来の私が言っていた言葉を思い出す。

 夢の中で未来の私は、これからの学校生活が不安で堪らない私にある三択を告げた。

 新しい友達を作る。

 初めての彼氏を作る。

 一人で過ごす。

 この三つのうちのどれかを実行して、私は高校を卒業するまで学校に通い続けるというのだ。
 
 未来の私が告げた三択の中で、改めて考えると新しい友達を作るのが一番良い方法に思える。

 彼氏を作るのも、一人で過ごすのも私にはハードルが高くてとても実行出来そうにないが、新しく友達を作れるのならばそれに越したことはないだろう。

 友達か…

 チラリと私の後を、とぼとぼと歩いていた竹本さんを見る。

 今の現状で、クラスに一人も友達が居ない彼女が一番の友達候補だろうなと感覚的に思った。

 直ぐに友達になれるとは思っていないけれど、こうやって関わる回数を増やしていけば、いつかは教室で一緒に過ごしたり、一緒に登下校出来るような存在になるかもしれない。

 私はなるべく早く、このひとりぼっちの居心地の悪い状況を変えたくて仕方ないのだ。

 そうと決まれば、私の行動は早かった。

「じゃあ、竹本さん!いくよー?」

 グラウンドの端から元の場所まで戻って、私達は再びキャッチボールを再開する。

 竹本さんが気を落とさないように、私は笑みを浮かべて声を掛けた。

 私の手から本当に軽く投げられたソフトボールは、ゆっくりと竹本さんの元へと届くが、やはり彼女の振り回すグローブに妨害されて遠くに吹っ飛んでいく。

 キャッチボールが全く出来なくても何も問題は無い。
 
 よたよたと転がるソフトボールに振り回されて走る竹本さんの姿を眺めながら、私は今日初めて物事を少しだけ前向きに考えられた気がした。