拝啓、17の絶望。


 いつものように窮屈な電車に乗り、最寄り駅についてから暫く経って可笑しいと思った。

 朝の忙しない駅の中で一人ポツンと佇みながら、私はキョロキョロと視線を周囲に彷徨わせる。

 普段なら、この駅で合流するはずの果歩と綾乃がまだ来ていないのだ。

 二人とは仲良くなった当初から、毎朝この駅から学校までの道のりを一緒に行く約束をしているのだが、今日はまだ二人の姿を見ていなかった。

 何人もの同じ制服を着た学生やスーツを着た会社員たちが、目の前を通り過ぎて行くのを見送ってスマホを確認する。

 二人から特に連絡は無く、私はどうしたものかと溜め息を吐いた。

 何だか嫌な予感がして、二人を待っている間はずっと気持ちが落ち着かない。

 時刻はいつもよりもだいぶ遅くなってしまって、もうそろそろ学校へ向かわなければ朝礼にも間に合わなくなりそうだ。

 再度改札口の方へ視線を向けてから、私は仕方なく一人で学校へ向かうことにした。
 
 時間帯が遅いからか学生たちは少なくて、私は時間を確認しながら少しだけ歩く速度を速める。

 嫌な予感が、ずっと止まらない。

 照り付ける太陽から背中を向けて歩く私の影が、アスファルトの上で一人揺れている。

 額からは汗が流れているのに、ゾクッと鳥肌が立つような寒気がした。

 ようやく学校に着いて足早に教室まで行くと、随分と聞き慣れた笑い声が耳に入る。

「えー!花火大会行きたい!」

「私も絶対行くわ!」

 騒がしい教室の中心には、ずっと駅で待っていたはずの果歩と綾乃が居た。

 私の存在なんて、すっかり忘れていると言わんばかりに普段と変わらない二人の姿に「なんで」と思うと同時に、心の何処かで「やっぱり」とも思った。

 おそらく果歩と綾乃は私に何も告げずに、態と二人だけで学校へ登校したのだろう。 

 そして騒ぐ二人の前には、昨日一緒に帰った哲也の姿があった。

「よし!じゃあ皆、花火大会の日は予定空けといてな!」

 無邪気に笑う哲也に、「了解!」と果歩や綾乃、周囲に居る男子グループが声を上げる。

 その雰囲気に、昨日の帰り道で私と哲也が話していた内容が皆に共有されてしまったのだと分かった。

「めっちゃ楽しみなんだけど!どうせなら浴衣とか着て行こうかなー!」

 哲也の前でキャッキャッとはしゃぐ果歩を、私は教室の入り口から冷めた感情で見つめた。

「ねぇ!綾乃も一緒に浴衣着ようよ!」

「えー、浴衣歩きづらいじゃん。」

「そんなこと言わずにさぁ!」

「でも、まぁ夏だしね。私も着ようかなー。」

「やったー!決まりね!」

 花火大会に浮かれる二人の会話が、昨日の自分に重なってなんだか気持ち悪い。

 じわじわと鳩尾あたりから、得体の知れない何かが湧き上がる感覚に鳥肌が立った。

「それよりも哲也、なんで花火大会の話をうちらじゃなくて夏希なんかにしたわけ?」

 クラスメイトたちが雑談に励む教室の中でも、哲也に向かってそう言い放った綾乃の声は一際良く聞こえた。

 唐突に聞こえた自分の名前にヒュッと喉の奥が締まって、身体に緊張感が走る。

 綾乃に便乗するように「そうだよ!」と、果歩は腕を組みながら唇をとがらせた。

 最早、二人とも私を毛嫌いする態度を隠すつもりもないようだ。

 哲也はそんな二人に大して首を傾げて、何でもないようにごく自然な口調で言った。

「いや、だって花火大会のポスター見た時に偶々一緒に居たから?」

「それだけ?」

「それだけ。他にどんなが意味あるわけ?」

 ヘラッと笑う哲也は、本当にそれ以外に理由は無いようで「それよりも光太の奴さ!彼女できたから俺等とは花火大会行けないって言うんだぜ?マジ羨ましいー!」と愚痴るように話し始めた。

 その様子に、私は勝手に裏切られたような気持ちになる。

 心の奥で大事にしていたものが、クシャッと跡形も無く握り潰されてしまったような途方も無い悲しみを感じた。

「てかさ、夏希も呼ぶの?」

「え?呼ばねぇの?」

 果歩は哲也に向かって、一歩踏み込むように言う。

「正直、うちら夏希とそんな仲良くないんだよねー。」

 あっけらかんと話す果歩に、「…マジで?」と哲也の戸惑った声が聞こえた。

 あぁ、もう終わりだ。

 こんなことってない。 

 サァッと血の気が引いて、指先が冷たくなる。

 身体の中心が歪んで肩が不安定に震えた。

 教室の入り口で呆然と佇む私に誰も気付かないまま、果歩と綾乃、哲也たちは話し続ける。

 果歩の言葉を後押しするように、綾乃は「前から夏希とはノリとか合わなくってさー。」と悪びれる様子もなく哲也に訴えていた。

 私からは哲也の表情は見えないが、彼の表情を想像するだけでも怖くて仕方がない。

 果歩と綾乃から「うざい」と思われていることを、哲也には知られたくなかった。

 二人にハブられる情けない私を、知らないでほしかったのに。

「んー。まぁ、よく分かんねぇけど、二人が呼ばなくてもいいなら良いんじゃね?」

 哲也は軽い口調でそう言うと、「でも、俺昨日藤沢にも話ちゃったしな。どうすっかなー。」と少し困ったように笑う。

 私はその光景がとても信じられなくて、叫び出したいような衝動に駆られた。

 どうして…。

 まるで他人事のように、私の話題は哲也の中で消化されていく。

 いや、哲也にとって私は本当にただの他人なのだろう。

 昨日私に声を掛けたのも偶然遭遇したからで、きっと深い意味は無いのだ。

 私は哲也にとって果歩と綾乃の付属品くらいにしか思われていないと、この瞬間に嫌でも分かってしまった。

 それなのに、私は昨日から哲也と花火大会に行けるかもしれないと勝手に舞い上がって、今日も学校で彼と話せることに期待して馬鹿みたいだ。

 一瞬にして、心が冷えていく。

 これ以上彼等の話を聞くのに耐えられなくて、私は教室から離れるように背を向けた。

 騒がしい廊下を歩いていれば、校舎内に朝礼のチャイムが鳴って学生たちは慌てて教室へと戻っていく。

 けれど、私はどうしたってあの場所に戻る気になれなかった。

 もう、戻れないと思った。

 今この瞬間、私の居場所は教室の何処にも無いのだ。

 そもそも居場所なんて、そんなものは最初から存在していなかったのかもしれない。

 女子トイレで果歩と綾乃に「うざい」と言われたのを聞いた日から、私は有りもしない自分の居場所を守るために必死だった。

 彼女たちからハブられて一人になりたくなくて、周りの視線ばかりが気になって、誰にも嫌われたくないのにどうしたら自分を受け入れてもらえるかも分からなくて毎日焦っていた。

 しかし、もう果歩と綾乃のグループには居られないだろう。

 ここまで嫌われてしまったら修復の仕様がないし、私だってこれ以上彼女たちと一緒に居たくはなかった。

 それでも情けないことに、私は彼女たちからハブられたら教室でまともに息も出来ないのだ。

 これから先、クラスメイトたちが笑い合う騒がしい教室で、一人ポツンと過ごさなければならないと思うと怖くてゾッとする。

 果歩と綾乃からハブられた友達の居ない人間だと、スクールカースト最下層のレッテルが私に付けられて、公開処刑のように情けない自分を晒しながら学校生活を送らなければならない。

 そして、そんな姿を哲也にも見られることになるのだ。

 絶対に耐えられないと思った。

 人気の無い静かになった廊下をひたすらに歩きながら、私は荒くなっていく呼吸を何とか落ち着ける。

 不安に押しつぶされそうになりながら、ガクガクと力の入らない足で行く宛も無く校舎内を歩く。

 本当に、これからどうすれば良いのだろう。

 一度も学校をサボったことが無い私は、こんな時に何処に行けば良いかも分からなかった。

 背後に迫る恐怖から逃げるように、発狂しそうな自分を抑えるように歩き続けて、最終的に辿り着いたのが保健室だった。

 というか、そこ以外に私が行ける場所が無かったのだ。

 少し緊張しつつもガラッとドアを開けると、人の良さそうな保健医が書類作業をしていた手を止めて此方に視線を向けてくる。

「どうかしましたか?」

 保健医に心配そうに問い掛けられて「体調が悪くて」と当たり障り無いことを言えば、彼女に体温計で熱を測るように指示された。

 仮病なので熱は無いけれど、大人しくそれに従う。

 保健室は騒がしい教室とは違い、とても静かで緩やかな時間が流れていた。

 再びチャイムが鳴って授業が始まったのか、開け放された窓から微かに教師の声が聞こえて来る。

 初夏の風が保健室の白いカーテンを揺らしていくのを眺めながら、体温計で熱を測り終えるも案の定熱は無い。

 けれど、保健医は私の顔色を見て心配そうに、気分が悪かったらベッドを使って休んでも構わないと提案してくれた。

 それに有り難く頷くと保健医は私をベッドまで案内してくれて、ベッドを囲うようにカーテンを引いて一人の空間を作ってくれる。

 世界を隔てるように引かれたカーテンに、私はようやく少しだけ肩の力を抜いた。

 無意識に緊張で握り締めていた掌を開くと、深く爪の跡がついている。

 ぎこちなくベッドに座り、そのまま気怠い身体をマットレスに横たえる。

 布団の中に入り込むと、白いシーツが視界を埋めた。

 程なくして、じわりと視界が歪む。鼻の奥がツーンとする。

 どうして、こんな事になってしまったんだろう。

 色々な出来事が頭の中で上手く処理出来ずに、ぐるぐると回って嫌な記憶だけが何度も蘇る。

 果歩と綾乃のことも、哲也のことも、これから先の私のことも。

 本当に全部最悪だ。

 私が一体、何をしたっていうのだ。

 何処にもぶつけられない感情が胸の奥で暴れて、苦しくて仕方ない。

 私は保健室のベッドに横たわって途方に暮れる。

 ギュッと目を瞑っても、逃げられない現実に本気で絶望した。