拝啓、17の絶望。



***


 ぼんやりと意識が浮上する感覚に、パチッと目を開けると見慣れない天井が見えた。

 まだ上手く働かない頭にも関わらず「あれ?」と違和感に気付き、目を擦ってから強く瞬きをする。

 身体を起こそうとベッドに手を付けば、グシャッと何か紙のようなものを潰した。

 その感覚に一気に目が覚めて、慌てて周囲を見渡す。

「は?」

 視界に入ったものは、とんでもなく汚れた部屋だった。

 何本ものペットボトルが転がり、丸めたティッシュがそこら中にばら撒かれている。

 くしゃくしゃになった服があちこちに脱ぎ散らかしてあって、部屋の中心にあるローテーブルには大量のゴミと埃が積もっていた。

 足の踏み場もないくらいに物が散乱した見覚えのないゴミ屋敷に、私の思考は完全に止まる。

 何処だ、此処は。

 汚い部屋を眺めながら、必死に混乱する頭を整理した。

 哲也と花火大会の話をした帰り道、途中で神社に寄ったりしつつも無事に帰宅した私は、普段と変わらず夜飯を食べて風呂に入り、スマホを弄りながら眠ったはずだ。

 そう、眠ったまでの記憶はある。

 眠って目が覚めたら、私はこの謎のゴミ屋敷に居た。

 …これは夢の中なのだろうか。

 普通、そう思うのが妥当なはずだ。

 しかし、夢の中というにはやけに意識がはっきりとしていて、目の前の汚れた部屋の光景はあまりにもリアルだった。

 それだけでなく、現在私が座っているのはベッドの上なのか衣類が散乱していて汚いが、ちゃんと掌で触れたマットレスの柔らかな感触まであるのだ。

 全く知らないこの空間が、まるで現実世界のように思えて気味が悪い。

 ゴクリと息を呑む。

 得体の知れない怖さが、瞬間的に身体を支配した。これが夢だとすれば直ぐに覚めるはずだ。

 けれど頭はどんどん冴えていく一方で、この汚い部屋の籠もった空気や埃っぽさまで感じ始めた。

 この部屋で目覚めて、どれくらいが経っただろうか。

 カーテンはきっちりと閉ざされていて外の様子は分からないが、電気だけはついているのでこの部屋の酷さはよく分かる。

 今、私が居るこの汚れた部屋はアパートの一室のようで、明けっ放しのドアからは短い廊下にキッチンや冷蔵庫らしきものが見えていた。

 そのまま状況を確認するように部屋の中を観察していくと、ゴミに紛れてメイク道具が置かれていたり、散らかった服も下着も全て女性ものであった。

 それを見るに、この部屋の主はおそらく女の人であろうと想像する。

 女の人の汚い部屋の夢なんて、随分と不思議な夢だ。

 いや、これは本当にただの夢なのだろうか。

 奇妙な出来事に混乱しつつも、この部屋に主が居ると改めて認識すれば、いくら夢の中とは言え、いつから掃除されていないのか見当もつかない他人のベッドにずっと座っているのはどうにも気が引けた。

 立ち上がろうとして少し身体を動かすと、バサバサッと音を立ててベッドの上に置かれていたものが床へと落ちる。

 床に落ちたものは大量の郵便物だったようで、先程ほどベッドから起き上がる際に手で潰してしまったものも多分これだ。

 何でベッドに郵便物が…と思いながらも、ベッドから立ち上がり慌てて散らかったそれを拾い集めようとして、目に入った名前に思わず手を止めた。

「…何、これ。」

 無意識に呟き、震える手で目の前の封筒を拾う。

 そこには『藤沢夏希 様』と、紛れもない自分の名前が書かれていた。

 一体どういう事なのかと他の郵便物も確認すれば、その全てが自分宛になっていて私はますます混乱する。

 この部屋の主は、もしかして…私なのだろうか?

 いや、でも、どうしてこんな汚い部屋に?というか、これはただの夢なはずでは…

「えっ、」

 思考が上手く纏まらずに他の郵便物も調べていると、あるものに気付いた。

 封筒やハガキの上に押された消印。

 その日付がどうにも可笑しい。

 なんと言うか、今から十年後の日付になっているのだ。

 夢にしては細かすぎる演出に違和感しか湧かない。
 
 頭を悩ませていると、突然部屋の奥からジャーッと水を流すような音が聞こえた。

 突如、聞こえた音にバクッと心臓が震える。

 そして驚く暇も無く、バタンッと短い廊下の中間程にあったドアが勢い良く開かれた。

 木製のドアの向こうからは、ゆらゆらと長い髪を揺らした女が這うように出て来る。

「うわぁぁぁぁ!」

 そのあまりの不気味さに衝動のまま叫び声を上げて後ずされば、床に散乱した衣服に足を取られて身体が傾く。

 「あっ」と思った瞬間には、背中から床からへと倒れ込み身体に強い衝撃が走る。

 その際に後頭部も打ち付けてしまい、視界は直ぐに真っ暗な闇に呑まれていった。






***




 パチッと目を覚ますと、全身にとんでもない痛みが走る。

 思わず「痛っ〜!」と身体を丸めて、とくに痛みが酷い後頭部や背中に触れながら痛みが治まるまで耐えた。

 暫くしてから起き上がると、そこはあの汚い部屋ではなくよく見慣れた自分の部屋だった。

「…夢?」

 そう思いたいのに、身体に残る痛みがただの夢ではないと訴えているようで気味が悪い。

 先程までの汚い部屋に居た記憶が、リアルに思い出せて頭が混乱する。

 夢の中でドアから出てきた髪の長い女の姿を、再び思い出してゾクッと背筋が震えた。今だにバクバクと鳴っている心臓を落ち着けるように深く息を吐く。

 あれは、本当に夢だったのだろうか。

 じんわりと全身に汗が滲む。

 強く打ち付けた後頭部を恐る恐る撫でてみると、ズキンッとした痛みを感じてますます困惑した。

 それでも周囲を見渡せば、馴染みのある私の部屋であることに変わりはないし、ベッドの脇に放置されていたスマホを確認しても正しい日付が表示されている。

 時刻はそろそろ普段の起床時間になりそうで、暫くすると聴き慣れた耳障りなアラームが鳴り始めた。

 やはり、あれは変な夢だったのだ。

 それ以外に考えようがない。

 そう自分に納得させるように、私は五月蝿いアラームを止めてベッドから立ち上がった。

 閉め切っていたカーテンを上げると、眩しい朝の光が部屋全体に入り込む。

 これから学校に行かなければならないと思うと若干気分は落ち込むものの、いつものような絶望感は感じない。

 私は心の中で密かに、昨日哲也と話した内容を思い返した。

 気になっている人と、一緒に花火大会に行けるかもしれない。

 それだけで毎日憂鬱だった心が、こんなにも晴れやかになるなんて知らなかった。

 学校は怖い。

 誰かの機嫌を損ねないように、周囲からハブられないように、変な奴だって思われないように、どんな理不尽も笑って呑み込まなければいけない。

 そんな場所行きたくなんかないのに、哲也に会って話がしてみたいと思ってしまう。

 今日はどんな話が出来るのか、花火大会のこともまた話せるだろうか。

 二つの反する気持ちを抱えながら、私はどんどん身支度を進めていく。

 学校には行きたくないけれど、哲也とまた話せるのであれば私はあの理不尽にも耐えられる気がした。

 そして、その日私はいつもよりも軽い足取りで家を出たのだ。