拝啓、17の絶望。


「今日の放課後、図書委員は図書室に集まるように。」

 担任教師はそう告げると、やる気無さげに帰りのホームルームを終えた。

 校舎内にチャイムが鳴り響き、教室の空気はガヤガヤと一気に緩くなる。

 ようやく迎えた放課後にホッと息を吐くも、運悪く図書委員である私はまだ帰ることはできないらしい。

 帰り支度をあらかた済ませてから図書室に向かうべく席を立つと、教室の中心に集まっていた果歩に声を掛けられた。

「夏希も行くでしょ?」

「え?」

 一体何のことだと首を傾げると、果歩は得意気に言った。

「なんか今日これから皆で集まろうって話しになって、うちらと男子たちのグループでカラオケに行くの!」

「え!?そうなの?」

 そんなこと一言も聞いていないと内心戸惑っていれば、私と果歩の隣を一人の男子が通り過ぎる。

「あっ、ねぇ!哲也も来るでしょ?」

 果歩の声に足を止めた男子、中川哲也はクラスでも一際目立つグループにいる。

 黒髪をセンターで分けて垢抜けた印象の哲也は、一部の女子から人気のある男子だった。

 私は少し緊張しながら、視線を哲也に向ける。

 哲也は果歩の問い掛けに、「あー…」と少し悩むような素振りを見せていた。

「俺、今日は用事あるんだよね。」

「えー!哲也来ないの!?」

 哲也の言葉に果歩は酷く残念そうに反応する。そんな彼女の高い声は、クラスメイトたちが雑談する騒がしい教室の中でもよく響いた。

 果歩の声に釣られるように、教室の中心で男子のグループと話をしていた綾乃が此方にやって来る。

「ちょっと、哲也来ないってマジ?」

「そーなの!綾乃からも何か言ってよ!」

 騒ぐ二人の姿に、哲也は「俺の代わりに光太たちが行くってから勘弁して」と困ったように笑っていた。

 光太というのは、先程綾乃が教室の中心で話し合っていた男子のグループの一人だ。

 哲也も光太が居るグループに所属していて、その中でも光太は所謂『陽キャ』と言われるクラスのムードメーカー的な存在だった。

「でも、哲也が居ないと盛り上がんないじゃん!」

 果歩はどうしても哲也に来てほしいようで、整った眉を下げて唇を尖らせている。

 そんな果歩に便乗するように綾乃は「私たちも行くんだから、哲也も来ればいいのに。」と追い打ちを掛けるように哲也に言った。

 哲也は参ったなと言わんばかりに視線を彷徨わせてから、チラッと私を見る。

「藤沢は?」

「え?」

 唐突に話を振られて、思わず呆けたような声を上げた。

 目の前の哲也は、端正な顔立ちを真っ直ぐに私へと向けている。

 その澄んだ瞳に、私は以前あった出来事を無意識に思い返してドキッと胸が高鳴った。

「カラオケ行くの?」

「いや、私は…さっきホームルームでも言われてたけど図書委員会があって…」

 哲也の問い掛けにハッとして、本来のやるべき事を思い出す。

 私のキャラらしくないおどおどした口調で答えると、隣に居た果歩は直ぐに表情を変えた。
 
「はぁ?夏希来ないわけ?」

 哲也の時とは打って変わって、不機嫌そうな声色に思わずビクッと心臓が震える。

「委員会くらいサボればいいじゃん!」

「図書委員ってもう一人居るでしょ?別に夏希居なくても良くない?」

「…いや、でも一人で任せるの悪いし!ごめん!今回はパスするから、二人は楽しんできて!」

 果歩と綾乃の言い方に圧力を感じながらも何とかそう伝えると、彼女たちは呆れたように私を見てくる。

「はぁー、夏希ってノリ悪いよね。」

「本当、相変わらずの真面目チャン。」

 二人の突き放すような言葉に、今回は本当に間違えたと思った。 

 どう対応して良いのか正解が分からなくて、背中に冷たい汗が流れる。

 あの日の女子トイレでの出来事が嫌でも思い出させれて、ドクドクと心臓の動きが早まった。
 
「ごめんって!次は参加するから!」

 気まずい空気を誤魔化すように笑いながら二人に話しかければ、「はいはい。じゃあ、早く委員会行ってくれば?」と投げやりに言われた。

 もう、どうしてこうなるんだろう。

 彼女たちが言う「ノリ」も、不機嫌になる理由もよく分からない。私が委員会をサボれば、彼女たちは満足するのだろうか。

 しかし、いくら彼女たちにハブられるのが怖くても私は委員会をサボることが出来ない。

 何というか、私は昔からサボるとか狡いことをするのが苦手なのだ。

 周囲にとって「まともな人」でいたいという気持ちが強いのか、そうある自分に安心したいのか定かではないが、とにかく私には昔からそういうところがあった。

 果歩と綾乃の機嫌を損ねることも、委員会をサボることも同じくらい私には怖いのだ。

 こういうところが、彼女たちにいつまでも馴染めない理由なのかもしれない。

 思考の波に呑まれていると、不意に近くに居た哲也と目が合ってしまった。

 何を考えているのか分からない哲也の目に、二人から突き放された自分は一体どう映っているのだろうと徐々に不安が襲ってくる。

 その視線に耐えきれなくなった私は「じゃあ、また明日ね!」と敢えて明るい声で哲也に告げると、逃げるように教室を後にした。

 哲也の反応が何だか怖くて、何かを言われる前に急ぎ足で目的の図書室へと向かう。

 何故、こうも上手くいかないんだろう。

 学生たちの笑い声が響く廊下を歩きながら、思わず泣きそうになった。

 日に日に果歩と綾乃との溝は、嫌でも深くなっていくのを感じる。

 そんな二人からハブられる姿を、どうしてか哲也には見られたくないと思ったのだ。

 なんだか急激に自分が情けなくなって、どんどん視線が下がっていく。

 俯きがちに歩く自分の姿は、何処か竹本さんと重なって嫌気が差した。








***



 委員会を終えて学校を出ると、青かったはずの空はいつの間にかオレンジ色に染まっていた。

 グラウンドで部活に励む学生たちの声を聞きながら、一人で校門を出る。

 下校する学生たちの間を縫うように歩けば、カップルや友達同士で笑い合う声で溢れていた。

 その中を一人で淡々と歩くのは、なんだか居心地が悪く感じて仕方ない。

 制服姿で楽しげに歩く周囲の学生たちは、まさに青春という言葉が似合って私は一人薄暗い気持ちになる。

 青春なんて言葉が嫌いだ。

 その言葉のせいで、今の自分がいかにつまらない日々を送っているのか実感させられる。

 何処にぶつけて良いのか分からない怒りが、モヤモヤと胸の中で湧いてきて歩くスピードを上げた。

 少しずつオレンジ色の空が暗くなり始めて、電灯に灯りが灯っていく。

 駅前に着いた頃には、帰宅を急ぐ会社員や学生が増え始めていてより一層気分が沈んだ。

 人混みは嫌いだ。

 この世界に馴染めない自分が、浮き彫りになってしまうような気がする。

「藤沢!」

 うんざりとした気持ちで駅構内に向かおうとした時、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。

 驚いて顔を上げると、少し離れたところから軽く手を振って此方に近付いて来る哲也の姿があった。

「委員会は終わったみたいだな。」

「な、何で哲也が…?」

 突然の出来事に戸惑いを隠せない私を、哲也は二カッと悪戯っ子のように笑った。

「俺も用事終わって帰る途中だったんだけど、ちょうど藤沢のこと見つけてさ。」

 哲也の言葉を聞きながら、私は先程まで胸に広がっていた苛立ちが治まっていくのを感じた。

 それどころか、人混みの中で哲也と二人向かい合っているこの状況にじわじわと熱の籠もった緊張が走る。

 私は肩に掛けたスクールバッグの紐をギュッと握り締めながら、「そっ、そうだったんだ!タイミング良かったね!」なんて早口に言ってしまった。

 しかし、哲也はそんな私を気にすることなくスマホの画面で時間を確認すると、いつもと変わらない親しみやすい口調で話し掛けてくる。

「この前みたいに何処か寄る時間はねぇんだけど、どうせなら一緒に帰ろうぜ!」

「え、」

 哲也は何でもないようにそう言うと、背中を向けて颯爽と歩き出す。

 思ってもいなかった彼の申し出に、私は一瞬自分の中で時が止まったように感じた。

 そして思い返すのは、前にもこうして哲也と遭遇した時のことだ。

 その日は果歩がどうしても外せない用事があると言って、自分の代わりに掃除当番をやってほしいと私に頼んできた。

 私は「全然良いよ!」なんて調子良く果歩の頼みを引き受けながらも、心の何処かで釈然としない気持ちを抱えていた。

 そんな気怠い掃除当番を終えた帰り道で、今日みたいに親しげな口調で哲也に話し掛けられたのだ。

 普段クラスでは果歩と綾乃と一緒に居るから、哲也と二人で話すのはこれが初めてのことだった。

 誰だってクラスでも人気のある男子に、急に話し掛けられたら少しは意識してしまうだろう。

 けれど不思議なことに哲也と居る時は、果歩や綾乃と居る時と違って緊張することはあっても神経を擦り減らすような嫌な空間ではなかった。

 そして人懐っこい哲也に連れられて挙句の果てには、そのままの流れで一緒に駅前のハンバーガー屋で軽食を食べることになったのだ。

 これまで私には彼氏が居たことはなく、男子と二人でお店に入ることもしたことがなかったし、初めての経験に胸が躍った。

 高校二年生になってからようやく味わえた青春らしい出来事に、私はこの時とても救われたような気がしたのだ。

 それ以来、私は哲也のことが少し気になっている。

 あの日の出来事を密かな思い出として胸の中にしまっておきたかったのたが、最悪なことに哲也と居たところを綾乃に見られてしまったらしい。

 女子トイレで聞いてしまった嫌な記憶をまた思い出して、気分が沈みそうになる。

 そんな気持ちを振り切るように、前を歩いていく哲也の背中を追いかけた。

 哲也は人混みを器用に避けながらも、時折振り返って私に声を掛ける。

「藤沢も電車こっちだったよな?」

「うん!そうだよ。」

「本当はカラオケ行けなかった者同士、茶でもしばきたかったんだけど。」

「まぁ、今日はもう遅いから仕方ないよね!」

「そうだな。明日光太に、カラオケすげぇ楽しかったとか自慢されそー。」

「なんかそれ、凄い想像できるかも。」

 他愛もない話をしながら駅構内を歩いていると、不意に哲也が足を止めた。

 一体何事だろうと彼の視線の先を追うと、駅の掲示板には筆のようなフォントで大きく『花火大会』と書かれたポスターが貼られていた。

 それを眺めながら「もうこんな時期か?ちょっと早い気がするけど。」と哲也は呟く。

「まだ花火大会には一ヶ月以上あるけど、宣伝は早い方が良いんじゃない?」

「そういうもんか。」

「そういうものだよ。」

 哲也はまるで面白いものを見つけたように、花火大会のポスターを見て微笑んだ。

「なぁ!これ皆で一緒に行きたくね?」

「え?」

「俺と藤沢と、今日カラオケに行ってるいつものメンバー皆で花火大会行きたいんだけど!」

 哲也の提案に、私は直ぐに頷くことが出来なかった。

 勿論、哲也と花火大会に一緒に行けることは嬉しいし、思ってもみなかった展開だ。
 
 ただ、いつものメンバーと言われて一瞬不安に思ったのは果歩と綾乃の存在だった。

 今の状況で、彼女たちと楽しく花火大会を満喫できるのかと考えると少し難しいような気がする。

 それに私は二人と違って男子のグループとそれほど仲が良いわけではないし、こうやってまともに会話出来るのも唯一哲也くらいなものだ。

 そう考えると、いかに自分があの集団の中で馴染めていないのか改めて思い知らされたような気持ちになった。

「藤沢はどう思う?」

 私の考えていることなんて、きっと分からないであろう哲也はパチパチと瞬きをして無害そうな表情で聞いてくる。

 その澄んだ瞳を向けられると、私はどうしたって正常でいられない。

 無意識に胸が高鳴って、やけに落ち着か無くなるのだ。

「…うん。行きたいかも!」

 気付けばそう声に出していて、目の前の哲也の表情がパッと笑顔に変わる。

「やっぱ藤沢ならそう言ってくれると思ってた!明日、皆にこの話してみようぜ!」

 花火大会のポスターを見ながら楽しげに言う哲也の姿に、我ながらなんて単純なのだろうと頭を抱えたくなった。

 不安なことはたくさんあるけれど、哲也から花火大会の誘いを受けた時点で私の心は殆ど決まっていたのかもしれない。

 青春なんて言葉が嫌いだと苛立ちながらも、私は心の奥で誰よりも青春を求めているのだ。

 周囲から嫌われたくない、ハブられて一人になりたくないと怯える日々だからこそ、そんな暗い感情を全て忘れさせてくれるような「ときめき」が欲しい。

 この世界の皆が、共通するように口々に話す青春時代を私だって作りたい。

 何よりも哲也からの誘いに、私は酷く浮かれていたのだ。
 
 それから、哲也と花火大会について話しながらも電車に乗って、それぞれの最寄り駅で解散した。

 帰宅時間という事もあり車内は混んでいて、そんなにたくさん話すことは出来なかったけれど、私にとって特別な時間になったことは間違いない。

 最寄り駅から一人、すっかり暗くなった道を歩きながら、先程までの出来事を何度も何度も頭の中で思い返す。

 そして、まだ確定したわけでもない花火大会に向けての想像を目一杯に膨らませた。

 未来が待ち遠しいなんて、本当に久しぶりの感覚だ。

 歩き慣れた街を足取り軽く進んでいると、ふと朱色の鳥居が目に入った。

 私の家からも近い距離にあり、過去に何度か参拝したことのある神社だ。

 参拝者の為にか、目の前の鳥居から参道に沿ってぼんやりとした灯りが境内へと続いている。

 通学路に寄り添うように建てられているこの神社は、住宅街の中にあるにも関わらず、開けた土地は結構広くて境内には木々が生い茂っていた。

 参道の先には、灯りに照らされた立派な本殿がある。

 いつもなら通り過ぎてしまうところだけど、今の私はとても気分が良い。
 
 なんとなくその灯りに惹かれて、鳥居をくぐり境内へと足を踏み入れてみる。

 人気の無い参道を歩いて本殿の前に辿り着き、御賽銭を入れてからしっかりと手を合わせた。

 果歩と綾乃にこれ以上嫌われませんように。私を受け入れてもらえますように。皆がいる集団に馴染めますように。普通に楽しい学校生活が送れますように。
 
 哲也と無事に花火大会に行けますように。