長ったらしい教師たちの話が続く終業式も終えて、無事に学校は夏休みを迎えた。
終業式だけの半日で終了した学校では、生徒たちの解放感に溢れていて、各々が雑談しながら時間に追われることも無くゆっくりと帰宅していく。
そんな雰囲気の中で、私は予想外の出来事に思わず声を失った。
私の目の前には、何故かクラスのムードメーカー的存在の光太と私をハブッている張本人たちの果歩と綾乃が居る。
彼等たちは、一学期最後のホームルームを終えて帰ろうとしていた私を素早く取り囲み、唐突にこう言い放ったのだ。
「夏希ちゃんさ、一週間後って空いてたりする?」
「は?」
「俺達と一緒に花火大会行かない?」
そう誘い慣れたようにペラペラと話す光太に、私は困惑の表情を浮かべるしかなかった。
一体これはどういうことなんだと果歩と綾乃を見遣れば、二人は悪びれる様子は全く無く腕を組みながら突っ立っている。
そして、私と視線が合った果歩はフッと瞳を細めて軽い笑みを浮かべた。
「綾乃が行けなくなっちゃったから、夏希どうかなーって。」
「…どうって、」
自分たちが散々ハブってきたのにも関わらず、今更都合良く話し掛けて来る彼女の神経が私には全く理解出来なかった。
そもそも彼女たちとしっかりと向き合って言葉を交わすのは、登校する際に何の連絡も無く置いていかれたあの日からこれが初めてのことだ。
あれ以来、私を無視し始めた彼女たちに向き合う術も勇気も無く、ただただ私は彼女たちの自分を嫌っている空気を察して離れることしか出来なかった。
そんな微妙な関係の私に、わざわざ話し掛けてくるなんて本当に何を考えているのだろうか…
「私が行けなくなって女子は果歩一人だけだから、代わりに夏希が行ってほしいんだよねー。メンバーは皆クラスメイトだし?知ってる人の方が気安くて良いでしょ?」
言葉に詰まる私に、綾乃が果歩を援護するように続けた。
「そうそう。夏希って基本的に誰にでも合わせられるし、花火大会に行くメンバーを考えたら、夏希がちょうど良いと思ったんだよね!」
果歩は一歩踏み出して私の手を取ると、これまでの扱いが嘘のように満面の笑みを浮かべる。
まるで友達に向けられるような親しげな表情は、私達がまだ仲が良かった頃に何度か見たことのあるものだった。
「で、でも、私以外にも良い人が居るんじゃ…?」
戸惑いながらもそう言えば、目の前の果歩は少し拗ねたように唇を尖らせる。
「他の女子はもう既に予定入ったりしてて、頼めるのは夏希しか居ないんだよ。」
彼女の態度はまるで、誘いを素直に受け入れられない私を責めているように見えた。
教室に残っているクラスメイトたちは、ずっとハブられていた私を果歩や綾乃が取り囲んでいる様子に「何事だ?」と、チラチラと視線を送って来る。
それを煩わしく思いながらも、果歩に掴まれている腕とは違い、私は自分の心が徐々に冷えきっていくのを感じた。
彼女たちの言い分は何処までも自分勝手で、私の感情など一切考慮していない。
あの日の朝、私は駅でずっと果歩と綾乃のことを待っていた。それにも関わらず、当の二人は私を置いて先に学校へ向かい、哲也たちと一緒に花火大会の話しをしていたのだ。
それだけでなく、果歩と綾乃は教室で哲也に誘われた花火大会に「夏希と元々、そんなに仲良くない」「私達とはノリが合わない」 などと言って、私を勝手に遊ぶメンバーの数に入れてくれなかった。
そんな私を、今更どう使う気なのだろう。私のことを「うざい」と思ってハブっていたくせに、彼女たちは何でわざわざ声を掛けてくるのだろう。
この突然の誘いの裏には一体どんな意味があるのか、考えるだけでも怖くて、これ以上無闇に関わって傷付くのは御免だと思った。
そんな私の警戒心に気付いたのかは知らないが、光太がヘラッと人懐っこい笑みを浮かべて口を開く。
「そうそう。俺も夏希ちゃんと話してみたかったし、一緒に行けたら嬉しいんだけど。」
…本当かよ。
果歩も綾乃も光太も何を考えているのか、全く分からない。
今朝の彼女たちの会話から、花火大会に綾乃が行けなくなり代わりとなるメンバーを探していることに間違いはなさそうだけど、それがどうして彼女たちが「うざい」と嫌っている私なのか。
今は果歩や綾乃、光太の口調はまだ穏やかに聞こえるが、状況としては三人に問い詰められているようなものだ。
何と言って断れば見逃してくれるのか、私は少しだけ恐怖を感じていた。何か対応を間違えてしまったら、今までの比ではないくらいに嫌われてしまいそうで言葉が上手く出て来ない。
彼女たちにとって良い返答が出来ずに黙り込む私に、笑みを浮かべていた果歩は少しずつ口角を下げていった。
「はぁー、別に行きたくないならいいよ。せっかく誘ったのに。」
あからさまに、先程までとは態度を変えた果歩が掴んでいた私の腕を突き放す。
その反動でブラーンと揺れた腕は、私の心境を表すようだった。
「本当に相変わらずノリ悪いよね、夏希は。」
果歩の冷たい声が私の胸に刺さる。
過去にも、彼女から同じようなことを言われていたのを思い出した。
その瞬間、胸の奥に疼いていた怒りの代わりに、また嫌われてしまうのかという恐怖が湧き上がる。
反射的にまた一人ぼっちで、学校生活を送っていくのは嫌だと思ってしまった。
散々馬鹿にされてハブられていたのに、私はまだ彼女たちに縋ろうとしているのかと自分自身に軽蔑する。
それでも私は、昔から誰かに嫌われることを酷く恐れてしまう性格だった。
幼い頃に仲間外れにされた出来事や父のことも関係しているのかもしれないが、誰かが不機嫌になることが苦手で、どうしてか自分が責められているように感じて居心地が悪くなるのだ。
もしかしたら、自分に何か非があったのかもしれないと急にこれまでの振る舞いに自信が持てなくなっていく。
無意識に抱いてしまった恐怖を見て見ぬフリする事は難しくて、目の前の果歩と綾乃が私を見る目が冷たく突き放すものに変わっていく様を見ていられなかった。
その途端に、他のクラスメイトたちのチラチラと私達を見てくる視線とかケラケラと談笑する笑い声とか色々なものが気になり始めて私の行動が一気に縛られる。
周囲のことが気になり始めて自分の行動に自信を持てなくなると、もういよいよ私の悪い癖が止まらない。
こうやって彼女たちが私に声を掛けてくれるのは、もうこれが最期の機会かもしれない。
先程のような親しげな視線も、二度と私に向けられることは無いだろう。
彼女たちの誘いに乗ったら、私は元の場所に戻れるのだろうか。この胸の奥に疼く怒りに目を瞑って、彼女たちの都合の良いように振る舞っていれば、これ以上嫌われることはないのだろうか。
そもそも私が毎回他人に受け入れてもらえないのは、私自身に全て原因があるのではないか。
自身に原因があるから、私はいつになっても皆のように普通の人間関係を作る事さえも出来ないのかもしれない。
そんな事を考えているといつの間にか、ドクドクと心臓が早まって少しずつ呼吸が息苦しくなっていく。
どうしたら良いのか正しい判断が出来なくなった私は、迫り来る恐怖に急かされて声を上げる。
「あ、あのっ!」
突然声を上げた私に、三人の視線が刺さる。
光太が首を傾げながら、「どうした?」と聞いてくれて少しだけホッとした。
「…花火大会、行くよ!」
そう言った瞬間、頭の中でもう一人の自分が「あーあ。」と心底呆れたように吐き捨てた。
私の言葉を聞いた果歩と綾乃が顔を見合わせて、ニヤリと笑う。その行動に違和感を感じて、ハッと目が覚めるような感覚になった。
けれど、直ぐに果歩は私の手を先程と同じように掴んで「本当に?良かったー!」と笑い掛けて来る。
「それじゃ、一週間後の花火大会よろしく!待ち合わせ時間とか場所は、また連絡するから!」
果歩はそう告げると、直ぐに綾乃と共に私の前から立ち去って行った。
仕事は終えたと言わんばかりに、あっという間に遠ざかって行く二人の後ろ姿を眺めながら、教室に一人残された私は「あれ?」とまた可笑しな事に気付く。
何で私は、彼女たちと一緒に帰れないのだろうか。
そこで私は、また二人から酷く嫌われてしまうのではないかという恐怖のせいで、ずっと感じていたはずの違和感から無意識に目を背けてしまったことに気付いた。
あれ程、花火大会に誘うなら私が良いと言ってくれたのに話しが終わった途端にこのザマだ。彼女たちにとって自分たちの望みが叶えば、それで私の存在は必要ないのだろう。
そう言えば以前、女子トイレでも彼女たちは私の事を「遊びで人数足りない時は呼べばすぐ来てくれるし、『用事がある』って言えば委員会も掃除当番も代わってくれる」から、使えるうちは仲良くしておくかと話していたことがあった。
そういう人達だと彼女たちにハブられている私が一番分かっていたはずなのに、また嫌われてしまう怖さと、もしかしたら彼女たちの輪にもう一度戻れるのではないかと有り得ない期待をしてしまった自分が恥ずかしい。
ここまでの仕打ちを受けたのに、私はまだ一人で学校生活を送る惨めさに耐えられず、誰かに自分の存在を認めて欲しくて仕方ないのだ。
そして、そんな自分の必死な感情を利用されたのだと分かった時には言いようがない絶望が私を支配した。
怒りと悲しみと悔しさで、私の心はぐちゃぐちゃになる。
果歩と綾乃とは帰らずに、その場に残っていた光太に私は衝動のままに問い詰めた。
「ねぇ、何で私なの?私だと、そっちに何か都合の良いことでもあるわけ!?」
突然、大きな声を出した私に光太は慌てて落ち着くように手を振った。
「いやいや、そんな大層な話じゃねぇよ…!」
「じゃあ、何でなの!?そもそも私以外にも、先に誘っている子居たんでしょ!?」
そう苛立ちを込めて問い掛ければ、光太は驚いたというように目を見開いた。
「あー…まぁ、果歩も言ってたけど最初は他の女子たちにも声掛けたけど、予定が埋まってたり、行く人が既に決まってたりして断られて、その他に同じクラスで果歩と交流がある子って夏希ちゃんくらいでさー。」
花火大会行くなら夏希がちょうど良いとか、それっぽいこと言って私は結局彼女たちが都合良く扱える存在なのだろう。
「それで、一体何を企んでいるの?」
彼女たちから感じた違和感をこれ以上見逃して溜まるかと、光太に今一度詰め寄る。
ふつふつと湧き上がる感情を押さえながら、鋭く彼を睨み付けた。
彼女たちの態度を見るに、あれはまだ何かしらの理由がある気がするのだ。
光太は少し言いづらそうな素振りを見せながらも、観念したように私が聞きたい果歩のことを話し始めた。
「その、果歩がなんか、花火大会の日に哲也に告るっぽくてさ、途中で二人きりにするのに何て言うか、そのぉー、夏希ちゃんだったら支障が無そうだなぁーって。他の子と違って、夏希ちゃんは何でも言うこと聞いてくれそうだから…」
哲也。
想像もしていなかった人物の名前に、一瞬だけ思考が止まる。
果歩が哲也に抱いていた気持ちを知った驚きと、やっぱりそうなんだと何処か納得した気持ちだ。
そして、これまでの果歩の様子を無意識に辿っていく。
私のことが「うざい」と女子トイレで綾乃と話していた時、哲也と私が一緒に居たことを知ると酷く動揺するように声を上げていたこと。
散々、彼氏がほしいと言いながら特に積極的な行動はしていなかったこと。
私が哲也と帰り道で遭遇し、花火大会の話をした翌日。彼女たちは哲也に誘われた花火大会に浮かれつつも、私の存在を排除するように一緒に行くメンバーから外そうと彼に話していたこと。
その日から私は彼女たちにハブられ始めたことも、これまで哲也と関わる時に何処からか感じていた嫉妬の視線も、全部が繋がっていくような気がした。
「それだけの為に…」
小さく溢れた低い声は、教室のざわめきに掻き消されていく。
こんな幼稚な理由で私の心は消費されたのだ。
そう気付くと、これまでの事が全て許せなくなった。
今まで感じたことのない怒りが激しく湧き上がり、私を深く呑み込んでいく。
殺してやると思った。
果歩も綾乃も、哲也も光太もクラスメイトたちも浜田も、竹本さんも山田くんも、幼い頃私を仲間外れにした子たちも、父も。全員殺してやると思った。
生きてきて何度も心を殺してきた分、この世界を殺してやると思った。
これまでずっと正当に感じることが出来なかった怒りが、身体中で暴れ出す。
心を殺すことに慣れてしまった自分の代償とも言えるのか、襲い掛かる凄まじい感情の波に私は抗うことなんて出来ないし、勿論する気もない。
そんな感情を制御出来る余裕なんて、私にはとっくに残っていない。このまま何処までも落ちてやると思った。
以前、トイレの個室でクラスメイトたちが私の噂をしているのに遭遇した時のように、心臓がドクドク鳴って指先が冷たく痺れていく。
ハァッハァッと呼吸が知らぬ間に乱れて、徐々に意識がぼんやりとしていった。
息苦しい。もう終わりたい。
そのまま身体がふらりと揺れたかと思うと、私の視界は一気に黒く染まっていく。
「夏希ちゃん!?」
近くに居た光太の慌てた声が聞こえて、直ぐに身体を打ち付けたような強い衝撃が走った。



