拝啓、17の絶望。



***




「ねぇ、大丈夫?」

 トントンと肩を揺すられて、一気に意識が浮上する。

 ハッとして起き上がれば、目の前にはいつか夢で見た未来の私が居た。

 今だに状況が呑み込めない頭で周囲を見渡せば、散らかったままの衣服や積み重ねられた書籍に郵便物、ペットボトルやティッシュのゴミが部屋に散乱している。

 以前も見た部屋の状況に「あぁ、」これはまた同じ夢を見ているのかと一人納得した。

「ずっと魘されていたけど、何かあったの?」

 未来の私は意識が戻ったばかりで、ぼんやりとする私にそう言った。

「魘されていた?」

「うん、凄く苦しそうだった。」

「…夢の中なのに、そんなことってあるの?」

 未来の私に言われた言葉を不思議に思って、私は首を傾げる。

 私は今、夢を見ているのだと思う。

 それなのに、先程は何故かまた違う夢を見ていたような気がするのだ。

 思い返そうとすれば意識が色んな場面で飛んで、頭はますます混乱する。

 本当の私が、今何処に居るのか分からなくなりそうだった。

 そんな私に未来の私はパチパチと瞬きをしてから、「さぁー?」と同じように首を傾げる。

「でも所詮夢だし、何でもありなんじゃない?」

 未来の私は呑気にそう続けると、側に置いてあったペットボトルを飲み干して空にした。

 何とも自由だ。

 その様子を眺めながら、夢の中で夢を見て魘されるって一体どんな状況だよと心の中で突っ込みを入れる。

 けれど、いくら考えても答えが出なそうなので、私はしぶしぶ思考を切り替えた。

 未来の私は空になったベッドボトルを、部屋の隅に放置していた大きなゴミ袋に向かって投げ入れる。

 カコンッと元から袋の中にあるペットボトルとぶつかったのか軽い音が聞こえて、私はようやくとある事に気付いた。

「え!ちょっと、なんか部屋が片付いてない!?」

 思わず座っていたベッドから立ち上がって、もう一度周囲をぐるりと見渡す。

 よく見れば、前回よりも転がっていたペットボトルの数は格段に減っていて、何より今未来の私が空になったペットボトルをしっかりとゴミ袋に入れたことに大きな変化を感じた。

 ティッシュのゴミも多少はあるけれど、これもまたペットボトル同様に減っている。

 散らかったままの衣服は前回よりも量が減り一部は部屋の隅に畳まれている痕跡まであり、床に無造作に置かれていたゴミや雑貨はある程度整頓されて、散らばったままの郵便物は丁寧に積み重ねられていた。
 
 以前は足の踏み場もないくらいに散らかっていたのに、今では部屋のフローリングの床が少し見えている。

 一般的な部屋の状態からするとまだ汚いけれど、前回よりも片付けられていてだいぶマシな状態になっていたのだ。

「ちょっと、どうしたのこれ!凄いじゃん!」

 何度も部屋を確認しながら感激する私に、未来の私は「へへっ」と子供のように笑う。

 未来の私は部屋のベッドに座ると、近くに脱ぎ捨ててあったくしゃくしゃのティーシャツを畳んだ。

「私は貴女が望むような、誰に見られても恥ずかしくないちゃんとした人間にはなれないけどさ、要らないゴミくらいは捨ててみようって思ったんだよね。」

 そう話す未来の私の声は穏やかで、私にはまだ分からない何かを悟っているように聞こえた。

「…私が『ちゃんとして』って、言ったから?」

「んー、それもきっかけの一つではあるけれど、一番は貴女の存在を思い出したからかな。」

「私の存在?」

「うん、私は今まで貴女のことをずっと忘れていたの。」

 未来の私はそう言うと、私を真っ直ぐに見つめた。

 今の私よりも大人びた彼女の顔には、まだ薄っすらと隈が残っていて顔色が悪く見える。

 一体、どういう事なのだろうか。

 私のことを思い出したからといって、あそこまで汚れた部屋の掃除をする気になった未来の私の気持ちが私にはよく分からなかった。

 未来の私の言葉の意味を考える私を見て、彼女は長い髪を揺らしながらまた笑う。

 そして、ゆっくりと口を開いた。

「貴女は最近どう?」

「え?」

「あの三択の中から、何か選べたの?」

 そう言って、三本立てられた未来の私の白くて細い指がゆらゆらと揺れる。

 それを視線で追いながら、私は以前彼女から言われた三つの選択肢を思い出す。

 一つ、新しい友達を作る。

 二つ、初めての彼氏を作る。

 三つ、一人で過ごす。

 未来の私いわく、この中のどれかを実行して私は高校卒業まで無事に学校へ通うことが出来るらしい。

 果歩と綾乃からハブれてクラスメイトたちにも噂されながら、ひとりぼっちで送る学校生活は想像以上に辛いものだった。

 今にも逃げ出したいそんな状況で、本当に私は卒業するまで学校に通えるのだろうか。

 言葉に詰まる私を見つめる未来の私の瞳は優しげで、喉の奥に詰まっていた言葉を素直に吐き出せた。

「…新しい友達を作ろうと思ったんだけど、なんか上手くいかなくて。」

 私はそう話しながら、竹本さんの存在を頭に思い浮かべる。

 私と同じようにクラスに一人も友達が居ない竹本さんは、授業で二人組やグループを作らなくてはいけない時にとても頼りになる存在だったのだ。

 誰かと一緒に居られる安心感が早く欲しくて、楽しげに学校生活を送るクラスメイトたちの中で、これ以上惨めで情けない思いをしたくなくて早く友達を作りたかった。

 けれど、きっと私は竹本さんのことを何処かで受け入れられないのだろう。

 彼女との間に感じてしまった私とのズレも、周囲からの見られ方も私は気にせずには居られない。

 果歩と綾乃が私のことを受け入れられなかったように、私も竹本さんのことを受け入れられないと思うのだ。

 何処までも都合の良い自分に嫌気が差す。

 登校中に、山田くんに言われた言葉がチクチクと痛んだ。

「前に貴女に『ちゃんとして』って言ったけどさ、私は今全然ちゃんと出来ない。何もかも駄目な自分が嫌になる。」

 自分が望んでいる自分になれない、どうにも出来ない現実に私は毎日絶望している。

 そんな思いが、どんどん言葉になって零れ落ちていった。

「『出来ない自分を恥ずかしく思っても、どうにも出来ないことがある』って貴女は言っていたけど、あれって本当だね。」

 今になって、以前未来の私が言っていた言葉が身に染みた。あの時、身の程知らずに口走った自分が恥ずかしい。

 何も言わずにベッドに座ったまま、私の話しを聞いていた未来の私がそっと顔を上げた。

 未来の私は「そっか。」と小さく呟いてから、何かを考えるように押し黙る。

 そして、暫くしてから言葉を選ぶように話し始めた。

「貴女は凄いね。」

「え?」

「私は友達作りなんて、もう何年もしてないなぁ。」

「えっ!?」

 ぼんやりと過去を思い返すように言った未来の私に、思わず大きな声が出た。

 思いもしなかった告白に、私は「…な、なんで?」と戸惑いを隠せずに聞く。

 未来の私は私に突っ込まれてるとは思っていなかったのか、「え、何でと言われても…?」と不思議そうな表情であっけらかんと言った。

「んー、友達作りって、必ずしなきゃいけないことでは無いでしょ?だからなのかな。人と関わるって面倒くさいし、凄いエネルギーを使うから大変なんだよね。」

「…なるほど。」

 確かに考えてみれば友達作りは義務ではないし、一人で居ることも決して悪いことではない。

 けれど、なんで私はこんなにも一人で居る自分を情けなく思ってしまうのだろうか。

 想像以上にドライな未来の私の言葉に、私は複雑な表情をするしかなかった。

「ふふっ、ちゃんと(・・・)してなくてごめんね。」

「…別に。」

 以前の話しをしっかりと覚えているのか、私を見て困ったように謝る未来の私に唇を尖らせる。

 けれど、自分の理想とする大人の像からは随分と離れている彼女に対して、多少ショックに思うことはあるけれど、以前のような苛立ちは湧いて来なかった。
 
 未来の私は、また少し考えるように言葉を続ける。

「友達作りとか人と関わることって、自分にある程度余裕や自信が無いと上手くいかないような気がするんだよね。私はもうそんな色んなことが煩わしくて、人との縁を切ったり捨てたりしてまったから、貴女が言う『友達作り』って凄く新鮮なものに感じるよ。」

 そう言った未来の私に、私は「人との縁を切ったの?」と驚いて問い掛けた。

「うん、切ったし捨てたよ。」

 未来の私は足元に転がっていたペットボトルを取ると、先程のように部屋の隅に置いてあるゴミ袋に投げ入れる。

 手放されたペットボトルは、カコンッと音立ててゴミ袋の中に消えていった。

「一度切ったり捨てたりすることを覚えると、それがとても楽に思えてきちゃって、最初から誰とも繋がらない選択をとってしまったりするんだ。でも、それって寂しいことでもあるんだよね。」

 未来の私は、遠い何処か見つめるように話しをする。

「寂しいと感じると、またなんか正しい選択が出来なくなって、周囲の楽しそうに生きてる人たちに嫉妬して、誰かと一緒に居られる人たちを羨ましく思ったりしてさ。それが出来ない自分を情けなく思ったりもする。貴女より十歳も年上の私だって同じだよ。」

 私の胸の中で渦巻いているどうしようもない感情が、未来の私の言葉によって初めて身体の外に晒されたような気がした。

「貴女の感じていることって、きっと誰にも共通する普通のことなんだと思う。」

「…普通?」

「そう。誰かに受け入れてもらえないのも、誰かを受け入れられないのも、誰とも一緒に居られないことも、皆人それぞれ違うんだから普通のことだよ。」

 そう言い切ると、未来の私は真っ直ぐに私を見つめた。

「皆と自分が違うのは罪じゃない。当たり前のことなんだよ。」

 未来の私の言葉は、私の胸に深く突き刺さった。

 そして、そのまま固くなっていた心を溶かすようにじわじわと身体中に染みていく。

 私が、普通…

 いつからだろう。他の皆と違うことは、ずっと駄目な事だと無意識に思っていた。

 皆と同じようにちゃんと出来ない自分が嫌で仕方なく、そんな瞬間を味わう度にこんな自分は消えてしまえと呪詛を吐いていたような気がする。

 けれど、未来の私からすると私はどうやら『普通』らしい。

 そっか。

 未来の私の言葉を直ぐに肯定出来るわけでも、「絶対にそんな事はない!」と強く否定できるわけでもないが、狭くなっていた視界が一気に開けたような感覚になった。

 私の心に渦巻いていた感情が、誰かに認められたことに酷く安心したような気持ちになって、何故だか意識がまたぼんやりとしていく。

 未来の私が座るベッドに座ると、触れたマットレスの柔らかさに急激な眠気に襲われた。

 隣に座る存在が、温かくて酷く居心地が良い。

 重くなっていく瞼を開けたり閉じたりしていると、未来の私が少し息を吐く。

「まぁ、その事を頭では分かっていても、心で理解出来ないから人は皆悩むのかもしれないね。」

 そう達観した声が彼女から聞こえて来た時には、私の視界は完全閉ざされて意識は深い闇に沈んでいった。







***





 ドンドンッと強く何かを叩く音が聞こえて来る。

 激しく大きな音は不快で、嫌でも眠っていた意識が浮上していく。

 酷く耳障りな音に、眉間に皺を寄せた瞬間。

「大丈夫ですか!?」

 聞こえて来た切羽詰まるような声に、ハッとして目を開いた。

「…あれ?」

 目を開けたそこは、狭く薄暗いトイレの個室だった。

 便器に座ったまま、一体何が起こったのかと頭を働かせる。私は自分の居る状況を、直ぐに理解することが出来なかった。

 先程まで私は、汚かったあの部屋で未来の私と一緒に居た。

 いや、以前見たものと同じような夢を見ていたのだ。


「藤沢さん!聞こえてますか!?」

 ドンドンッと目の前のドアが再び強く叩かれて、ビクッと肩を震わせた。

 聞こえて来た声は女性のもので、その丁寧な口調は確か学校の保健医のものだった気がする。

「聞こえているなら、返事をしてください!」

 「は、はい!」

 焦っている保健医の声に促されるように声を上げれば、「良かった、意識はあるのね!」と彼女は酷く安心したように言った。

 直ぐに身なりを整えて立ち上がろうとすれば、ずっと便器に座っていたからか、足に上手く力が入らなかった。

 指先も何故か痺れていて、身体の違和感に首を傾げる。

 それでも、何とか立ち上がってカチャッと個室のドアを開けると、そこには想像していた通り心配そうに眉を下げた保健医が居た。

「藤沢さん!」

 保健医は私を見るなり近寄って来て、「何処か痛かったり、気分が悪かったりしない?」としきりに聞いてくる。

 それに「大丈夫です。」と戸惑いながらも答えた。

「担任の浜田先生から藤沢さんが授業に出ていないけど、保健室に行ってないかって連絡が来たの。それで、藤沢さんの行方を捜していたところなんだけど、全然見つからなくて。ここの女子トイレの個室が鍵掛かったままだったから、もしかして…って思って。」

 そう話す保健医に、私は夢を見る前に女子トイレに籠もって居たことを思い出す。

 トイレの個室でクラスメイトたちが、私の噂をしている場面に遭遇してしまったのだ。

 以前、果歩と綾乃に「うざい」と言われていた時と、酷く似た状況に恐怖で身体が硬直して、心臓がまるで何かの警告のように激しく打ち付けていた。

 果歩と綾乃にハブられていることも、竹本さんと山田くんと一緒に登校していたことも、やはりクラスメイトたちには全て知られていて。

 彼女たちの噂の対象になるくらいに自分が普通ではないのだと、とてつもないショックを受けたのだ。

 そのまま、トイレの個室に籠もったまま動けなくなって…

 その後、私は一体どうしたのか。

 色々な感情に支配され呼吸がどんどん苦しくなって、意識が曖昧になっていたような気がする。

 そして、ずっと長いこと不思議な夢を見たのだ。

「すいません、トイレで気付いたらなんか眠って?しまっていたみたいで…」

 自分でも状況がよく分かっていないような私の言葉に、保健医は少しだけ真剣な表情になった。

「本当に、寝ていただけなの?」

「た、多分?」

「でも藤沢さん、顔色が良くない。一度、保健室にいきましょう。」

 自分の身に起きていることが上手く把握出来ずに、保健医に言われるまま足を踏み出す。

「うわっ!」

 足を踏み出した途端に、カクンッと身体の力が抜けて視界がぐわりと揺れる。

「藤沢さん!?」

 焦った保健医の声が、女子トイレ内に大きく響き渡った。