青い朧月

次の日の学校で、真夏はどこか上の空な気分で授業を聞いていた。

斜め前の方の席から見える、ふわふわと揺れる癖毛のボブに、吸い寄せられるように目が行ってしまう。

昨日、帰り際に見たあの笑顔が何度も頭に蘇って、その度に口角が上がっていた。

2限目の怖めな数学の先生に、

「おい月山、何ニヤニヤしてるんだ!」

と叱られてからは意識して顔を引き締めるようにしていたが、5限目の現国の授業になって、つい気が抜けてしまい、また顔が緩んできてしまっていたのである。

現国の佐藤先生は、のんびりとした口調で喋るおじいちゃん先生で、話を聞いているとだんだんと眠くなってくる。

本日最後の授業ということもあって、クラスの半数くらいがぼーっとしていたり、授業と関係ない作業をしたりしている。

佐藤先生もそれに気が付いていたのか、授業は早めに切り上げて、雑談のような話に替わった。

「さて、これは授業とは関係が無い話なんだけどね、みんな、夏目漱石をしっているかな?」

佐藤先生が問うと、クラスで1番見た目が『秀才』って感じの鈴木くんがさっと手を上げて、

「『吾輩は猫である』とか、『こころ』といった作品を書いた方ですよね。」

と、メガネを人差し指でクイッと引き上げながら答えた。

「その通り。良く知っているね。夏目漱石は、明治から大正時代に活躍した文豪の1人で、有名な作品には、先ほど鈴木くんが言ってくれたもののほかに、『坊ちゃん』とか『三四郎』とかがある。」

佐藤先生は、授業内容と打って変わって饒舌に語り出したので、真夏を含め何人かの生徒が、先生に顔を向けた。

「夏目漱石には有名な逸話があるんだけれど、これは知っているかな?」

鈴木君がまた勢い良く挙手する。けど、今回当てられたのは、いつも本を読んでいる清川さんという女子だった。

「『I love you.』を、『月が綺麗ですね。』と訳した、という話ですか?」

佐藤先生の顔がぱっと輝いた。

「その通り。漱石が英語教師をしていた頃、『I love you.』を『我君を愛す。』と訳した教え子に『月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい』と言った、という話が有名だね。まぁ、本当に言ったかどうかは諸説ある話なんだけどね。」

年頃の若者は、恋愛系の話に興味のある人が多いから、そう話している佐藤の方に殆どの生徒が顔を向けていた。

佐藤先生はその様子を眺めながら、

「君たちだったら、『I love you.』をなんて翻訳するかな?やっぱり、『月が綺麗ですね。』が丁度いいと思うかい?」

と口角を上げながら聞くと、教室が急にざわついた。真夏はそっとまた、葉月の方に視線を向ける。

「『月が綺麗ですね。』、かぁ…それにしても、なんで月なんだろう?」

そんなことをぼんやりと考えているうちに、授業終了のチャイムが鳴った。

「夏目漱石の作品は、今後授業でも扱うから、気になる人は読んでおいて損はないからね。」

佐藤先生は最後にそう言って教室を出て行った。

その後はすぐに掃除が始まったので、真夏はそのまますっかりと佐藤先生の話を忘れてしまった。