青い朧月

その後涼斗に問い詰めた結果、葉月と付き合っているという話は、どうやら本当のことのようだった。

涼斗は、真夏も葉月のことを好きだと知っていたから、再度謝られた。

「前も言ったけど、改めてごめんな。」

真夏は姿勢を正し、深々と頭を下げる涼斗を見てびっくりした。

「いやいや、選んだのは葉月だし、そもそも葉月は誰のものでもないんだから、涼斗が僕に謝る必要なんてないだろ。」

慌ててそう言った。

「それに、謝られるとなんか悪いことをした気になるからやめてくれよ。確かに、葉月のことは好きだったけど…なんか、今はもう大丈夫なんだ。だから、気にしないでよ。」

そう続けてから、真夏ははた、と気が付いた。

確かに、不思議なことに思ったよりもショックはなかった。

真夏も葉月のことがずっと好きだったはずで、形を見れば親友に先を越され、好きな人を取られた、というシチュエーションなのにも関わらず、驚くほどに悲しさとか、悔しさとか、そういうものが無くて拍子抜けしていた。

(葉月のこと、あんなに好きだったはずなのに、なんでだろう…)

年頃の少年らしく、毎晩夢に見るくらいに想っていたはずなのに。

首を捻りつつ涼斗の方を見ると、真夏の顔を心配そうに覗きこむ、吸い込まれそうな真っ黒な瞳と目が合った。

大丈夫だよ、という気持ちが精一杯伝わるように笑顔を向けると、ようやく涼斗はほっとしたように笑った。

それからも、涼斗と葉月は真夏の前では今まで通りクラスメイトで、同じ部活の仲間で、そして涼斗は幼馴染兼親友だった。

日々当たり障りのない話題で話して、部活動を頑張って、偶に3人でグループチャットを通して大好きな漫画についてあーだこーだと語り合って、涼斗とは勉強会やったり、ゲームやったり、漫画を貸し合ったり、そんな日常が過ぎて行った。

何か変わったことがあるとしたら、涼斗が葉月のことを『文夏』と下の名前で呼んでいることと、週に1~2回くらいは真夏の誘いを断ること、そして、グループチャットの返信頻度が下がったことくらいだった。

名前の呼び方はともかく、その他についてはすごく些細な変化で、何なら今までも、涼斗はまだ幼い妹たちがいる関係で真夏の誘いを断ることは何度かあったし、性格上メッセージの返信頻度も気まぐれな方だった。

それなのに、葉月と付き合ってると聞いたときから、真夏は誘いを断られる度に、連絡頻度が遅いなと思う度に、いちいち変な方向に色々と勘ぐってしまって心が晴れなかった。

『今日は2人でデートにでも行くのかな?』とか、『今頃、涼斗は葉月と連絡をしているのかな』、とか、そんな妄想ばかりしてしまう。

「何なんだよ、これは。」

どうしてこんなことを考えてしまうのだろう。

表面上は平気でも、もしかしたら、心の奥底では涼斗に対して嫉妬心や憤りが渦巻いているのだろうか、なんて思って、1人静かに自分の心と向き合ってみたが、どうにもしっくり来なかった。

心がずっとザワザワと騒いでいる。

そんな意味の解らない感情にぐるぐるしながら過ごしていたある日、部活が無い日だからいつものように涼斗と帰ろうとすると、唐突に、

「ごめんな、真夏。今日は文夏と2人で帰ってもいいか?」

と言われた。

「別にいいけど、どこか行くの?」

真夏が聞くと、涼斗は照れながら、

「そう。部活と、あと文夏の習い事とか用事が何もない日だから、これから制服デートするんだ。」

と頬を掻いた。

へらへらと笑っているその顔が幸せそうだな、と思うのと同時に、真夏の胸の中心の奥深くの方から、チリッとした痛みが小さく走った。

そして、まるで亀裂が入ったかのように、その痛みの隙間からどす黒い感情が少しずつ少しずつ滲み出てくるような気がした。
恐らく、これが嫉妬という感情なのだろう。

やっぱり、自分はまだ葉月のことを吹っ切れられていないのだろうか。

こういう醜い感情を持っていることを涼斗に知られたくなくて、真夏は涼斗からさっと目線を外すと、

「あんま制服のままで彷徨いていると、先生に見つかったら怒られるかもしれないから気をつけろよ。」

と言って、

「僕、ちょっと腹痛いからトイレ行ってから帰るわ、またな。」

と、逃げてしまった。

声が不自然にならなかったか気になったが、涼斗のあの浮かれた様子じゃ、こんな細かいことに気づくわけないか、と思って、謎にさらに落胆した。

放課後の誰もいないトイレの水道で顔を洗うと、鏡の中に映った自分の顔が、涼しい日にプールで泳いだ後かのようにあまりにも青ざめていてぎょっとした。

(もしかしたら、体調が悪いのかもしれない。そのせいで胸が苦しいだけなのかも…)

真夏は一旦熱を測ろうと保健室に向かうと、顔色の悪さを保健室の洋子先生(同じ苗字の先生がいるため、みんなから洋子先生と名前で呼ばれている)に酷く心配され、熱は無かったけれども

「少しベッドで休んで行きなさい。」

と言われて、温めの麦茶を飲まされ、半ば強制的に寝かされてしまった。

「体調が悪いことに自分で気づけないこともあるからね。無理に帰ると途中で倒れちゃうかもしれないから、しっかり休みなさい。親御さんには連絡しておいてあげるから。」

洋子先生はそう言ったが、

「いえ、親はどうせ帰りが遅いんで大丈夫です。それに連絡すると仕事の邪魔になるかもしれないし、多分繋がらないですよ。」

真夏はそう返した。

「あら、そう。じゃあ、もし私が帰るころまで帰れなそうだったら送るから言ってね。」

洋子先生はそう言うと、ベッドの周りのカーテンをシャッと閉めて事務作業に戻っていった。

制服のボタンやベルトを少し緩め、保健室特有の、スッとする香りがするタオルケットを被ると途端に睡魔が来て、真夏はそのままコトンと意識を手放した。

夏の夕方ごろに鳴く虫の音で目を覚ました。

何か夢を見ていたような気がするけど、寝苦しかったことしか覚えていなかった。

身体を動かすと、薄っすらと汗ばんでいて気持ちが悪い。

顔を上げて時計を確認すると、保健室に来てから約1時間が経過していた。

ベッドの軋む音で真夏が目覚めたことに気が付いたのか、洋子先生が

「月山君、起きた?帰れそう??」

と聞いてくる。

寝不足気味だったのか、寝たら結構すっきりしたので、

「はい、だいぶ気分が良いです。このままさっさと帰ります。」

と言うと、身なりを整えてベッドから降りる。

「うん、さっきより顔色いいわね。真っすぐに帰って、今日は勉強とかいいから早く寝てしまいなさい。体調優先。1日くらい、どうせすぐ取り返せるから。」

洋子先生はピシッと人差し指を立ててそう言うと、

「約束よ。」

と、今度は小指を立てた。

何を望まれているか気づいて、流石に高校生相手にそれはないだろ…と引いたが、洋子先生の優しそうな目の奥から覗く鋭い眼光に逆らえず、結局小指を絡めて『指切り』をさせられた。

あの『指切りげんまん』が歌われなかったことだけは救いだったけど、誰かに見られたら絶対揶揄われそうなので、さっと小指を引き抜いて

「お世話になりました、ありがとうございます。」

と深く一礼し、真夏は足早に保健室を後にした。

一歩外に出ると、未だに落ちる気配のない傾きかけた日差しが襲い掛かって来た。

そろそろとっくに日暮れの時間だが、夏だから日が長いのだ。

照りつける暑さに辟易してため息を吐いたとき、なんとなく、違和感を覚えた。

「あれ、今の時期に学校ってあったっけ?」

昨日も今日も何気なく授業を受けていたが、そう言えば今の時期って…

そこまで考えたとき、脳内にぐわっと照れた笑いを浮かべる涼斗の顔が入ってきて、思考が押し流されてしまった。

さっきまで薄っすら忘れていたことだったのに、何故か突然思い出してしまった。

「涼斗たち、今頃どこにいるんだろ。もう帰ったかな?」

まだ明るくはあるけど、暑いし流石に帰っているだろうなと思いながら家まで歩く。

暑いし、洋子先生には真っすぐ帰りなさいと言われたけど、そう言われるとちょっと寄り道したくなってしまうお年頃な真夏は途中で脇道に逸れ、駅の方まで歩いた。

今日は『青色コンパス』と『コスモ・リセット』を連載している月刊の漫画雑誌の発売日だったことを思い出したのもあって、駅の近くにある大き目の本屋さんに行きたくなったのだ。

人気の雑誌ではあるが、近くのコンビニでは何故か売っていない。

参考書などが置いてある棚を横目で見たり、小説や漫画の新刊を確認したりしつつお目当ての雑誌が置いてある棚に向かうと、ふと見知った背中を見かけて、慌てて本棚の陰に隠れた。

(あれは葉月…ってことは、)

案の定、涼斗もそこにいた。

2人は仲睦まじい様子で笑い合いながら、新刊の漫画を物色していた。

涼斗の小脇には、例の月刊雑誌が抱えられている。

考えてみれば、葉月も涼斗も『青色コンパス』と『コスモ・リセット』が大好きなのだから、2人が今日この雑誌を買いに来ることは当然のことだった。

なんなら、今日はこの雑誌の発売日だから、一緒に買いに行くという名目で制服デートをしているのかもしれない。

というか、絶対そうに違いなかった。

(…邪魔しちゃ悪いから、帰った方がいいよな。)

真夏は楽しそうな2人の姿を眺めながら漠然とそう考えた。

雑誌を買いたかったけど、どうせ涼斗が買うなら、今度貸してもらえばいい。

何なら大体いつもそうしてきた。

特に順番もなく、なんとなくどちらかが買って、貸し借りする。

(あー、でも、葉月にも貸すかなぁ)

ぱっと見た感じ、雑誌を持っているのは涼斗だけだった。

葉月は、何か別の漫画を選んでいるように見える。

もしかしたら、あとで貸し合う予定なのかもしれない。

(どこか他にあの雑誌売ってるところあったっけ?もしくは明日買うとか…)

そんなことを考えていると、ようやく葉月も買う漫画を決めたのか、2人は棚を離れてレジの方に足を向けた。

真夏は念のため数分時間を置いてから、そっと本棚の陰から抜け出し、例の雑誌を持ってレジに向かった。

あまりにも挙動不審だったため、近くを通った少女に不審者を見るような目で見られたが、運よく店員さんを呼ばれたり、通報されたりしなかったので助かった。

ササっと買って外に出ると、もう日が落ちてきて、薄っすらと夕焼けが始まっていた。

この時期の夕焼けは綺麗で、道行く人が足を止めてスマホで写真を撮っている。

夕日をバックにツーショットを取る、中学生らしい制服姿のカップルの脇を仏頂面で通り抜けると、ふと、寄り道しようと思い立った。

小さい頃に、涼斗とよく遊んでいた『月鏡神社』に行こうと思い立ったのだ。

高台にあるそこからは、夕焼けや日の入りが綺麗に見えるかもしれない。

真夏は、ぱっと思いついたこのアイデアがすごくいいものに思えて、そのまま走り出した。

真夏が居た駅前の道から逸れて進んでいくと、あまり遠くない位置に目に染みるような真っ赤な鳥居が見えて来た。

石段を駆け足で登り切り、息を弾ませながらそれをくぐり抜けて進んでいくと、思った通り落ちていく日の様子がよく見えた。

一番綺麗に見えそうな位置を探りながらスクールバッグを漁り、写真を撮ろうと、走るときに落とさないように突っ込んでおいたスマホを探していると、

『ピロンッ』

スマホのカメラの起動音が微かに聞こえた。

思わず顔を上げて辺りを見渡す。

真夏が立っている場所から数メートル先の位置で聞きなれた声がした。

「日の入りなんて初めて見た。」

「確かに、夕焼けで空が赤く染まっているのはよく見るけど、日の入りを見ることってなかったね。」

そんな会話をしながらカメラで写真や動画を撮っていたのは、涼斗と葉月だった。

涼斗とは、確かに幼馴染で腐れ縁だが、それにしたってここまで思考回路が被るとは。

気づかれないように薄くため息を吐きながら、近くに生えていた低めの木の陰に身を隠した。

別に見つかっても何ら困らないが、なんとなく今は2人に会いたい気分じゃなかった。

あと、他人のデートを邪魔するような野暮なことをしたくはなかった。

本当はこのままそうっと帰ってしまう方が良かったのかもしれないけど、日が完全に沈む瞬間の、幻想的な空の景色には抗えなかった。

(あぁ、地球は回っているんだ、時間は動いているんだな。)

いつか学校の授業で習った世の中の常識。

だけど、日常生活の中でそれを実感する機会は思ったよりもない。

実際に間の辺りにしてみると、こんなにも神秘的に感じられるものなのか。

地球の裏側は、これから日が昇る。これから朝になるんだ。

今ここでは、今日という1日は終わっていくんだ。

神社という場所の独特な雰囲気も相まって、真夏は日が完全に沈むまでの間、まるで何かに魅入られたみたいに空の様子から目を離すことが出来なかった。

それは恐らく、涼斗と葉月も同じだった。