押し寄せていたファンの波が引き、熱気の残る会場は静まり返っていた。誰もいなくなった客席の最後列に、一花だけがぽつんと、しかし確固たる意志を持って立ち続けていた。
ステージの片付けをしていたスタッフたちに、朝霧蒼士は歩み寄り、低く緊迫した声で告げた。
「すまないが……少しプライベートな話があるんだ。二人きりにしてくれないか」
怪訝な顔をしながらも、スタッフたちは機材を置いて会場を後にした。重い扉が閉まり、完全な静寂が訪れる。
その瞬間、一花の表情がぱぁっと、春が来たかのように華やかに弾けた。
「パパっ!!」
一花は駆け出し、ステージの袖から降りてきた蒼士の胸へと飛び込んだ。
「会いたかった!!」
小さな身体で、壊れんばかりにぎゅっと抱きしめる。
あまりの突然の出来事に、蒼士の身体は石のように硬直していた。最後に会ってから、あまりにも長い年月が経ちすぎている。目の前の「娘」という現実が、にわかには脳に染み込んでこない。
しかし、背中に回された手の温もりと、その必死な呼び声に、蒼士は弾かれたように腕を動かした。壊れ物を確かめるように、ゆっくりと、しかし確実に一花を抱きしめ返す。
「……本当に、一花なのか」
一花は蒼士の胸に顔を埋めたまま、むくれたように声を震わせた。
「そうよ! パパ! 私のこと忘れちゃったの!?」
「いや……」
蒼士はゆっくりと彼女の身体を離し、その顔を覗き込んだ。
「綺麗になっていたから、すぐには分からなかった。……母さんに、よく似てきたな」
「嬉しい!」
一花は再び蒼士に抱きついた。その腕に力を込め、愛おしさを噛みしめるように呟く。
「パパ、大好きよ」
二人はしばらくの間、失われた時間を埋めるように抱き合い続けた。静まり返った会場に、お互いの鼓動だけが響いていた。
やがて、蒼士の胸に、抱えきれないほどの罪悪感が苦い汁のように溢れ出した。彼は重い口を開いた。
「一花……今までのこと、本当に色々すまなかった。俺が、お前を一人にして……」
「何が?」
一花はふっと顔を上げ、無邪気に笑った。
「私、何も怒ってないよ?」
その笑顔を見た瞬間、蒼士の背筋に冷たいものが走った。あまりにも純粋で、あまりにも一点の曇りもない笑顔。それが、どこか狂気を孕んでいるように見えて、蒼士の表情がこわばる。
一花はゆっくりと、ワンピースのポケットから何かを取り出した。
それは、何度も何度も握りつぶされ、シワだらけになった一枚の古い写真だった。
「だって、悪いのはこの女でしょ? ……ねえ、パパ?」
差し出された写真に写る人物の顔を見た瞬間、蒼士の息が止まった。血の気が引き、頭が真っ白になる。
「……どこで、それを……」
掠れた声で問いかける蒼士に、一花はくすくすと、まるで秘密の遊びを楽しむ子供のように笑った。
「ふふ、私の彼ね、この女の息子なのよ。……大丈夫。パパを苦しめたものは、私が全部壊してあげるから」
その歪んだ優しさと殺意に、蒼士は戦慄した。彼は一花の細い両肩を強い力で掴み、心の底から絞り出すような声で、静かに、しかし断固として言った。
「一花……もう、やめるんだ」



