「あ、ごめん。ちょっとトイレ行ってくるね」
朔也がそう言ってソファーから立ち上がり、部屋を出て行った。
ガチャリとドアが閉まった瞬間、一花の身体に電流が走る。ついに、この時が来た。
一花は素早く鞄のサイドポケットから例の「錠剤」を取り出すと、朔也の飲みかけのオレンジジュースのグラスへと落とした。薬はジュースの酸味に溶けるように、一瞬で姿を消す。ドクン、ドクンと、張り裂けそうな心音が静かな部屋に鳴り響いた。
一花は何事もなかったかのようにソファーに戻り、流れる映画をじっと見つめる彼女の姿勢を保った。
やがて、朔也が部屋に戻ってきた。
「お待たせ。どこまで進んだ?」
「ううん、ちょうど面白いところだよ」
一花は自然に微笑み返す。それからしばらくして、朔也は無造作にグラスへと手を伸ばし、オレンジジュースを口にした。ゴクリ、と彼がゆっくり喉を鳴らして飲み干していく姿を、一花は心臓を激しく波立たせながら盗み見る。
(飲んだ……。ちゃんと、飲んでるよね……)
恐ろしいほどの安堵感が脳内を駆け巡った。あとは、薬が効いてくるのを待つだけだ。一花は映画の画面を見つめながら、秒刻みで流れる時間をひたすらに数え続けた。
映画が中盤に差し掛かった頃、隣に座る朔也の気配に変化が訪れた。彼の頭が頼りなげにがくりと落ち、やがてスー、スーと規則正しい、深い呼吸音が聞こえ始める。
一花はゴクリと生唾を飲み込み、そっと手を伸ばした。
「……朔也くん? 起きてる?」
彼の肩を掴み、強めに身体を揺らしてみる。しかし、朔也は完全に意識を手放しており、ぴくりとも動く気配はない。
(よし……。上手くいった……!)
胸の奥から湧き上がるのは、狂気にも似た圧倒的な歓喜だった。
一花はソファーから立ち上がると、眠る恋人に冷徹な一瞥をくれ、音もなく朔也の部屋を後にした。
ドアを閉め、ひたひたと忍び足で暗い廊下を進む。
向かう先は、この家の心臓部であるリビング。そして、パパから全てを奪い去ったあの女――朔也の母親が使っているであろう、奥の部屋だ。薄暗い静寂の中、一花は復讐の爪を研ぎ澄ませながら、暗闇の奥へと足を踏み入れていった。



