観覧車が地上に到着し、ゴンドラの扉が開くと、夜の冷たい空気が一花の頬を撫でた。先ほどまでの張り詰めた密室から解放されたはずなのに、胸のざわつきは一向に収まらない。
ゲートを出ると、向こうから光のパレードを楽しんできた空麗と馨が歩いてくるのが見えた。空麗は一花の姿を見つけるなり、パッと顔を輝かせて駆け寄ってくる。
「一花~! 夏目くん! パレード、すっごく綺麗だったよ! 馨くんと一緒に感動しちゃった!」
無邪気にはしゃぐ親友の姿に、一花は必死で心の動揺を押し込め、いつもの優しい笑みを返した。
「そっか、よかったね。空麗」
その隣で、馨はポケットに手を突っ込んだまま、どこか冷めた、けれど油断のない瞳でこちらを見つめていた。彼はちらりと朔也の方へと視線を移すと、試すような口調で問いかける。
「二人も随分と遅かったじゃん。…楽しめた?」
いつもの意地悪な揺さぶり。一花が身構えた、その瞬間だった。
隣に立つ朔也が、静かに目を細めて、とんでもない言葉を口にした。
「あぁ。……観覧車の中で、キスしてたら遅くなっちゃった。ごめんね」
ドクン、と一花の心臓が跳ね上がった。驚愕のあまり、隣の朔也を凝視する。
(……っ、どうして、 なんでそんな嘘をつくの……?)
観覧車の中でキスなんてしていない。それどころか、彼は馨の名前を出して自分を冷酷に揺さぶってきたのだ。それなのに、なぜ馨の前でそんな見せつけるような嘘を吐くのか。
一花は頭が真っ白になりかけながらも、本能的に「恥ずかしがる恋人」の演技を立ち上げた。
「……っ、ちょっと! 朔也くん! 何言ってるの、みんなの前で!」
顔を真っ赤にして彼の腕を軽く叩き、止めに入ろうとする健気な彼女を演じる。
だが、一花の立ち位置からは、その言葉を聞いた馨の顔が見えなかった。
馨は少しの沈黙の後、「はは、そう…。よかったな」と、いつになく短い、ひどく軽い返事をしただけだった。あの余裕を崩さない男が、今、一体どんな表情をして朔也の言葉を聞いていたのか。一花には知る由もなかった。
そんな緊迫した男たちの空気に気づかない空麗は、顔を真っ赤にして一花に抱きついてきた。
「きゃー! 一花! ラブラブすぎ! ご馳走様!」
「いや、あのね、空麗! 違くて、朔也くんがからかってるだけで……っ」
空麗に冷やかされ、必死に照れてみせる一花。
やがて遊園地を後にし、駅へと向かう帰り道。前を歩く空麗と馨の後ろを、一花と朔也は並んで歩いていた。
隣を歩く恋人が、今、何を考えているのかがまったく分からない。馨への警戒、そして朔也への不信感。一気に不安と焦りが津波のように一花の胸に募っていく。
その時、下ろしていた一花の右手を、朔也がそっと握りしめてきた。
一花がハッとして隣を見上げると、朔也もまた、一花の方をじっと見つめていた。
街灯の薄暗い光に照らされた彼の顔には、いつものお人好しで優しい面影はどこにもなかった。彼は一花の動揺を全て見透かしているかのように、少し意地悪に、歪ににっこりと笑ってみせたのだ。
一花は、その場に縫い付けられたように固まった。
背筋をゾワッと、恐ろしいほどの鳥肌が駆け抜ける。
初めて見る、彼の少し闇がかった、冷たい笑顔。父の愛を奪った男を嵌めるはずが、気づけば自分の方が、夏目朔也という茨の檻にに囚われ始めているのではないか――。一花は、暗い夜道の中で、言葉にできない恐怖を覚えるのだった。
◇



