馨の細い瞳に、今まで見たこともないような昏い光が灯る。彼は一花をじっと見つめたまま、吐息のように言葉を紡ぎ出した。
「初めてなんだ、こんなわけわからない気持ちになったのも……君がどうしても気になってしまうのも……」
その声は、一花の鼓膜を震わせ、じわじわと胸の奥へ染み込んでいく。
「朔也に向ける感情も、俺のものにしたいと思ってしまう。……どうして俺を見てくれないんだろうって、ずっと考えてた」
向けられたあまりにも歪で、あまりにも真っ直ぐな執着。一花は驚愕に目を見開いたまま、次の言葉が出てこない。
「何言って……――っ!」
言いかけた唇は、容赦なく遮られた。
視界を馨の端正な顔が覆い、熱い質量が強引に押し当てられる。
「んっ……!」
一花は身体を捩って抵抗しようとした。しかし、馨は一花の両手を壁へと容赦なく押さえつけ、逃げ道を完全に塞いだまま、深く、深く、その唇を奪っていく。
(嫌、離して、なんでこんな――)
頭では拒絶しているはずだった。必死に抗おうとしているはずだった。それなのに、全力で抵抗できない自分がいることに、一花はふと気づいてしまう。
馨の体温が、唇を通して脳を痺れさせていく。呼吸が奪われ、意識が甘く溶けていくような、理由のわからない心地よさが、じわりと全身の神経を侵食していった。
やがて、ゆっくりと唇が離れる。
一花は荒い息を吐きながら、信じられないものを見る目で馨を睨みつけた。そして、自由になった右手を、彼の頬へと迷わず叩きつけた。
パチン、と乾いた高い音が静まり返った教室に響く。
「……っ最低っ!! 大っきらい!!」
一花は手の甲で乱暴に自分の唇を拭い、涙目で馨を鋭く睨みつけた。
叩かれた馨は、痛がる素振りすら見せない。彼は少しだけ舌を覗かせて唇をなぞり、どこか艶然とした笑みを浮かべた。
「そんなに嫌がってる風には見えなかったけど?」
(最低、最悪だ……こんな、はずじゃなかったのにっ……!)
一花が必死に保っていた仮面は、完全に粉々に砕け散り、剥がれ落ちていた。むき出しになった怒りと動揺が、彼女の表情を激しく歪ませる。
そんな一花を愛おしむように、馨は再び手を伸ばした。冷たい指先が一花の頬に触れる。そのまま耳元へと顔を寄せ、悪魔のように甘く囁いた。
「……朔也としたかった?」
「――っ!」
一花は馨の手をパシンと激しく叩いて振り祓った。
もう一秒だって、この男と同じ空間にいたくない。
一花は溢れそうになる感情を抑え込むように、馨を突き飛ばして走り出した。一度も振り返ることなく、夕闇に沈む教室を後にした。



