その日の夕方。
放課後の喧騒から取り残された静かな公園のベンチに、一花と朔也の二人は寄り添うように座っていた。
西日が傾き、街が赤黒い夕闇に侵食されようとしている。
どれほど心の中が冷え切っていようとも、一花は恋人の演技を一片たりとも忘れなかった。この男を確実に奈落の底へ突き落とし、破滅へ追い詰めるためのシナリオ。それを一秒たりとも狂わせるわけにはいかない。
一花は視線を少し落とし、いじらしく頬を染めるようにして呟いた。
「付き合って、もうすぐ一ヶ月だね……」
「そっか……。そうだね、なんだかあっという間だったな」
朔也は驚いたように目を丸くしたあと、愛おしそうに目を細めて笑った。
その無防備な横顔。一花は、朔也の大きな掌に握られている自分の手を、わざと微かに震わせながら、ぎゅっと強く握り返した。
「あのね、……朔也くん」
「私…、もっと朔也くんに近づきたい…」
囁くような、熱を帯びた声。
一花はゆっくりと、自分の身体を朔也のほうへと傾けていく。そして、空いた片方の白い手を優しく伸ばし、彼の柔らかな頬へとスローモーションのようにそっと添えた。
肌をすり抜けて伝わってくる、朔也の生々しい体温。
彼からの景色は、今、すべてが引き伸ばされたスローモーションのように映っているはずだった。夕暮れの光、風に揺れる梢、そして世界で一番愛らしい表情をして自分を見つめる恋人の瞳。
一花は、朔也の黒い瞳をじっと見つめ続けた。その網膜の裏側で、彼女の胸の深淵はどす黒い漆黒の愉悦に染まっていく。
(どんどん、落ちればいい……。私の罠の奥底へ。私がいないと呼吸の仕方も忘れて、壊れてしまえばいい――)
一花はゆっくりと自分の瞼を閉じ、吸い寄せられるように、朔也の唇へと自分の唇を近づけていった。
ドクン―――ドクン―――。
静まり返った公園に、激しい心臓の音がうるさいほどに広がっていく。
それが自分の復讐への狂気的な興奮なのか、それとも朔也自身の高鳴りなのか。彼の肌に伝わって、この企みがバレてしまうのではないかと、思考の片隅で小さな焦りが灯る。
けれど、そんなことはもうどうでもよかった。
あと数ミリ。お互いの吐息が混ざり合い、唇が完全に触れ合おうとした、まさにその刹那だった。
ブーーー、ブーーー。
ポケットの奥から、無機質なマナーモードの振動音が、静寂を容赦なく引き裂いた。
ピクっと、朔也の身体が強張って動きを止める。
「あっ、」
短い困惑の声を漏らしながら、朔也はハッと我に返ったように、ゆっくりと一花から身体を離した。
重ねようとした唇は虚しく空を切り、一花の指先から、彼の頬の熱がするりと逃げていく。
閉じられた瞼を開けた一花の瞳には、すでにいつもの、愛らしい表情が戻っていた。



