一花は、ここが勝負の瀬戸際だと確信し、さらに迫真の演技へと己の身を投じた。
頬へと添えた細い指先から、朔也の微かな体温が伝わってくる。一花はその手をあえて少しだけ震わせながら、今にも涙がこぼれ落ちそうな、ひどく脆くて儚げな表情を作った。潤んだ瞳で彼のすべてを射抜くようにじっと見つめ、かすれる声を絞り出す。
「そんな事言ったら……私、きっと勘違いしちゃうかもよ……? ううん、朔也くんにそんな風に言われたら、誰だって心を揺さぶられちゃう。きっと……朔也くんのこと、好きになっちゃうよ……」
告白ともとれる、あまりにもいじらしく切実な言葉。
それを向けられた朔也は、ゆっくりと目を見開いたまま、吸い込まれそうなほど真っ直ぐに一花を見つめ返した。その瞳の奥にある感情の輪郭は、今はまだ暗くてうまく読み取れない。
けれど、確かなことが一つだけあった。
静まり返った白い保健室。カーテンを揺らす梅雨の風の音だけが響くこの世界で、今、一花のことだけを狂おしいほどに見つめているのは、他でもない夏目朔也ただ一人なのだ。
その完璧にコントロールされた十分な状況を前に、一花は仮面の内側で、静かに勝ち誇っていた。
(あなたの心も、あなたの未来も、すべて私の手のひらの上よ)
沈黙が二人の間の空気をどこまでも濃密に変えていく。
やがて、朔也は決意したように小さく息を吐くと、少し恥ずかしそうに、けれど今度は逃げることなく視線を一花に合わせた。
「じゃあさ……」
朔也の声が、いつもの爽やかな優等生のそれよりも、一段と低く熱を帯びる。
「柊さんに……“勘違いされてもいい”って言ったら……。俺のこと、信じてくれる……?」
そう言いながら、朔也は一花の頬に触れていた彼女の手の甲へと、自分の大きな掌をゆっくりと重ね合わせた。逃がさないように、包み込むように。男としての確かな執着が、その手の熱から伝わってくる。
重ねられた手の重みを感じた瞬間、一花は喉の奥でゴクリと生唾を飲み込んだ。
(やった……!)
胸の奥底で、暗く濁った、けれど最高に甘美な歓喜の爆発が起きていた。完璧な罠、完璧な獲物。父の愛を独占してきたこの男が、今、自ら私の用意した底なしの沼へと身を投げたのだ。
一花はあふれ出そうになる歪んだ愉悦を完璧に噛み殺し、恋に落ちた純粋な少女そのものの恥ずかしそうな笑みを浮かべてみせた。
「うん……。信じるよ」
重なり合う二人の手と、至近距離で見つめ合う視線。
しかし、その美しい恋の始まりのような景色の裏で、一花が仕掛けた復讐の檻は、音を立てて強固に閉ざされていた。



