ゆっくりと、保健室へと続く静かな北校舎の廊下を、朔也は一花を抱きかかえたまま進んでいった。
賑やかな体育館の喧騒は遠ざかり、今はこの閉ざされた空間に、朔也の体育館シューズがリノリウムの床を鳴らす規則正しい足音だけが響いている。一花は彼の腕の中にすっぽりと収まりながら、その横顔を盗み見るようにして少し様子を伺った。仕組まれた罠の深度を確かめるように、声を少し潜める。
「夏目くん……私、重たいでしょ? ……本当に、ごめんね」
眉を八の字にして、いかにも申し訳なさそうに、小さくなって伝える。すると朔也は歩調を緩めることなく、一花にその真っ直ぐな視線を合わせた。
「重くなんてないよ。むしろ、ちょっと痩せすぎじゃない? どこか骨でも折れてないか心配なくらいだよ」
そう言って、彼は少しからかうように爽やかに笑った。その瞳には、自分の力で傷ついた少女を守っているという男としての自負と、隠しきれない高揚が宿っている。
一花は、そんな朔也の顔をゆっくりと見つめ返した。そして、彼の首に回していた手の位置を少しずらし、朔也の胸元にある体操服の生地を、きゅっと力を込めて握りしめた。
「朔也くん……」
『夏目くん』ではなく、初めてその名を、熱の籠もった甘い視線とともに唇から零れ落とす。至近距離から注がれたその熱量に、朔也の喉が緊張で小さく動いたのが分かった。彼の心音が、体操服の布地を通して一花の指先にどくどくと熱く伝わってくる。
(そう、もっと私で頭をいっぱいになればいい――絡みついた棘のある茎は、あなたを縛りつけて離さない)
やがて、二人は誰もいない静かな保健室へとたどり着いた。
朔也は一花を気遣いながら、白いシーツが敷かれたベッドの端に、ゆっくりと彼女の身体を座らせた。
一花がそれとなく室内を見回すと、案の定、保健室の先生の姿はどこにもなかった。出張か、あるいは別のクラスの怪我人の対応にでも追われているのだろうか。
朔也も周囲を見渡し、パイプ椅子が並ぶ無人のデスクを確認すると、少し困ったように眉を下げた。
「あー……、先生、今はいないみたいだね」
彼は頭を掻きながら、誰もいない空間に向けて苦笑いを浮かべていた。
白いカーテンが微かな風に揺れる、二人きりの保健室。
一花は痛むはずのない足首をそっと庇う仕草をしながら、目の前に立ち尽くす朔也の心を、さらに深く侵食するための次の言葉を紡ぎ出そうとしていた。



