TRAP×GIRL【完結】


そして数日後、一花はついに作戦を実行に移すことにした。

鏡の前で制服の襟を整えながら、一花は静かに呼吸を整える。

(大丈夫、絶対に成功させてみせる。)

今日の彼女は、手首の裏と耳の後ろに、ほんの少しだけ香りの残るフレグランスを忍ばせていた。石鹸のように清潔で、けれどどこか体温の生々しさを感じさせる、絶妙に甘いコロン。これもすべて、一花が張り巡らせた周到な罠のパーツの一つだった。

昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。
これまでの数日間、一花は朔也の行動パターンを観察し続けていた。彼は必ず、お昼休みのこの時間になると職員室の隣にある資料室へと向かう。狙うのは、その帰り道だった。死角の多い廊下の曲がり角で、出会い頭に彼とぶつかる。まずは、男を狂わせるための最も古典的で、最も強力な武器を使うことに決めていた。

一花は向かいの席にいる空麗に、憂いを帯びた笑顔を向ける。

「ごめんね、空麗ちゃん。また提出物のことで先生に呼ばれちゃって。先にお弁当食べてて」

「えー、また? 倉田先生、一花を頼りにしすぎだよー。いってらっしゃい!」

空麗は少しも疑うことなく、笑顔で手を振って送り出してくれた。罪悪感など、とうの昔に消え去っている。

教室を出てから、一花はゆっくりと時間を潰した。朔也が資料室に入ってから、ちょうど十五分ほどが経過している。彼が用事を済ませ、教室へ引き返してくるなら、ちょうどこの渡り廊下の角を曲がる頃合いのはずだった。

ローファーの音をあえて立てるようにして、一花は死角の多い曲がり角へと足を進める。
――その瞬間、角の向こうから現れた影と、ドン、と強く身体がぶつかり合った。

「キャッ……!」

計算通りの、けれど本物のように可憐で短い悲鳴を上げる。一花はバランスを崩したフリをして、そのまま廊下へと静かに尻もちをついた。手からこぼれ落ちたノートが、パラパラと音を立てて床に散らばる。

「あ、ごめん! 大丈夫!?」

上頭から降ってきた、焦りを含んだその声。
その声を鼓膜が捉えた瞬間、一花の胸の奥底で、じわりじわりと暗い歓喜が湧き上がってきた。

(かかった――)

一花は痛みに耐えるように眉をひそめ、ゆっくりと顔を上げた。そして、驚いたように大きな瞳を見開いてみせる。

「あっ……、夏目くん……? ごめんなさい、私、前をよく見ていなくて……」

少し頬を赤らめ、恥ずかしそうに視線を泳がせる完璧な演技。
一方の朔也も、ぶつかった相手が隣の席の大人しい転校生だと気づき、目を見開いて硬直した。

「あ! 柊さん!? ……怪我はない? 立てる?」

朔也は慌てて散らばったノートを拾い集めると、床に座り込んだままの一花に向かって、大きな、温かそうな右手を差し伸べた。
差し出されたその手を、一花は這う虫を見つめるような冷ややかな目で、けれど心の中だけで見つめていた。私の作戦に、私の罠に、何の疑いもなくハマっていく哀れな男。一花は溢れそうになる歪んだ笑みを必死で押し殺す。

一花は朔也の手を、壊れやすいガラス細工に触れるようにそっと握りしめた。

「うん、ありがと……っ!」

彼の力に引かれて起き上がった、その刹那だった。
一花はわざと、自分の上靴の踵を滑らせるようにしてバランスを崩した。

「おっと!」

驚いた朔也の声が響くと同時に、一花の小さな身体は、彼の広い胸の中へと容赦なく飛び込んだ。
朔也は反射的に、一花の細い腰を力強く抱きとめる。

その瞬間。

一花の手入れの行き届いた黒髪がふわりと揺れ、体温で温められたあの甘いコロンの香りが、朔也の鼻腔を容赦なくくすぐった。腕の中に収まる、驚くほどに華奢で柔らかい彼女の身体。

一花はハッと息を呑む演技をしながら、朔也の胸元から顔を上げ、彼の瞳をじっと見つめた。
あまりの至近距離に、朔也の身体が完全に強張るのが伝わってくる。

「あっ、ごめんね……! あ、ありがとう、受け止めてくれて……」

囁くような声でお礼を言いながら、一花は朔也の視線を完全に捕獲した。
向けられた朔也の黒い瞳が、激しい動悸を証明するようにゆっくりと、ゆらゆらと揺れ動いている。
一花はその困惑と高揚のすべてを味わい尽くすように、どこまでも情熱的で、深い深淵のような眼差しで彼の目を覗き込み続けた。