TRAP×GIRL【完結】



―――時は遡る。


パチン、と何かが弾けるような音がして、一花の日常は書き換えられた。
両親の離婚が成立した日。

あの日を境に、一花は母親の澪と2人きりの生活を始めた。

新しい苗字は「(ひいらぎ)」。

最初はどこか他人のもののようだったその響きも、小学校、中学校という時間の波に洗われるうちに、すっかり一花の肌に馴染んでいった。
母の澪は、一花に対して精一杯の、溢れんばかりの愛情を注いでくれた。
しかし、父親である「蒼士」のことだけは、まるで最初から存在しなかったかのように一切口にしなかった。
一花もそれに不満を抱くことはなかった。
澪の注いでくれる温もりだけで十分に満たされていたから、母親に対して歪んだ感情を持つこともなかったのだ。

けれど、消し去れないものがあった。
一花の脳裏には、あの日、静かに家を出ていった父親の背中が、今でも鮮明に焼きついている。

自室の学習机の上には、一羽の美しい蝶の標本が飾られていた。
父から最後にもらった、鮮烈な青い羽を持つ「ユリシス」。

そしてクローゼットの奥には、父が昆虫学者として賞を取ったときの新聞記事や、かつての家族のアルバムが、そっと仕舞い込まれていた。

母のいない時間、一花は時折その標本を愛おしそうに引き寄せ、そっと胸に抱き締めながらベッドに横になる。

ガラス越しに伝わる微かな冷たさを感じながら眠りにつくのが、彼女の日課だった。

眠りに落ちると、決まってあの夢がやってくる。

深い霧の向こうに佇む、見知らぬ少年。

そして、どこからか響く父の低く穏やかな声。

『――朔也』

その名を呼ぶ父の声が、一花の耳の奥で、心臓の裏側で、何度もリフレインされる。

一花にとって「朔也」という言葉…それは解くことのできない、冷たくて重い、呪いのように深く、彼女の心の底を棘のある茎がじわりと長く伸び、身体ごと縛り続けていくのだった。