TRAP×GIRL【完結】



自分の目の前で父親が楽しそうに白球を投げている。

その光景を、一花はただ暫くじっと見つめていた。
ひたすら、父親とその朔也と呼ばれる男の子とのキャッチボールを、一花は瞳の奥に焼き付けるように見ていた。

胸が痛いとか、悲しいとか、そういう分かりやすい感情はとうに通り過ぎていた。

一花の小さな世界を支配していた絶対的な神様は、今、目の前で見ず知らずの男の子の父親になっていた。

白球がグローブに収まる乾いた音が、静かな公園に何度も、何度も残酷に響き渡る。
一花はその音の数を数えるように、瞬きすら忘れてその姿を凝視し続けた。

やがて、一花はゆっくりと公園の茂みから離れた。
一度も振り返ることはしなかった。
感情の全てが綺麗に抜け落ち、心に何も入っていないかの表情で、ただ操り人形のようにとぼとぼと家へ戻っていった。
陽炎の揺れるアスファルトの上に、自分の影だけがひどく不格好に伸びていた。

重い玄関の扉を開けると、家の中には、いつもと変わらない優しい笑顔で母親の澪が出迎えてくれた。

「おかえり、一花。ずいぶん遅かったじゃない、どうしたの?」

母親の温かい声。どこかホッとするエプロンの匂い。
けれど、一花はその声に表情ひとつ動かさなかった。
母親の顔を見ているようで、その実、何も映していないような遠い目をしながら、一花は淡々と、しかし決定的な凶器のような響きでこう言い放った。



「…パパを取られちゃった」

遮るもののない静寂の中に、その言葉だけがぽつりと落ちた。