それは、一花が小学一年生の夏。
その日の街は陽炎が揺れるほど暑かった。
母の澪と父の蒼士は、誰もが羨むおしどり夫婦に見えていたはずだった。
けれど、あの日一花が見てしまったのは、私の知らない『朝霧蒼士』の姿だった。
見知らぬ小綺麗な一軒家から、蒼士が出てくるのが見えた。
その隣には、母ではない、見ず知らずの女性が寄り添っている。
蒼士は見たこともないような、ひどく張り付いた、けれど心底から蕩けるような笑顔を彼女に向けていた。
あまりの衝撃に足が動かなくなり、一花はただ、蝉時雨の中で二人の後ろ姿をゆっくりと追いかけることしかできなかった。
たどり着いたのは、近所の小さな公園だった。
蒼士はその女性をベンチに座らせると、一人の男の子の元へと駆け寄っていった。
一花と同じか、少し年下に見えるその男の子は、小さなグローブをはめて蒼士を待っていた。
「いくぞ、朔也!」
蒼士が楽しそうに白球を投げる。
男の子――朔也は、声を上げて笑いながらそれを捕り、不器用なフォームで投げ返した。
蒼士はそれをしっかりと受け止め、男の子の頭を、一花にも一度だってしたことがないような乱暴で、確かな熱を持った手つきで撫で回した。
頭の芯が、始めてじりじりと焼けるように熱くなった。
視界が赤く染まる。
父の優しい瞳も、大切な言葉も、蝶の標本も。
全部、自分だけのものじゃなかった。
自分に注がれていると思っていた愛情は、その男の子に注がれるはずのものの、ただの出し殻に過ぎなかったのだ。
胸を突き刺したのは、とてつもない嫉妬と、圧殺されそうなほどの絶望だった。



