そのあと暫くして、小説家である父――朝霧青紫は、日本で最も権威のある"長谷川賞"を受賞した。
小説のタイトルは、
『涙。ー羽をもがれた蝶々達ー』。
日本中がその耽美で残酷な世界観に酔いしれ、父は瞬く間に時代の寵児となった。
書店の特設コーナーには父の顔写真が並び、新聞や雑誌はこぞってその天才性を称賛した。
まだ幼い一花には、大人の書く難しい文章の中身までは理解できなかった。
けれど、その本には、あの日に父が自分に残してくれたはずの、大切な言葉がたくさん込められているのだと信じて疑わなかった。
一花は、まだインクの匂いが瑞々しく残る初版の単行本を、小さな胸にぎゅっと握りしめていた。
テレビの画面の向こうでは、無数の白いフラッシュを浴びてインタビューに応じる父の姿がある。
一花は、瞬きを忘れるくらいずっと、その晴れがましい姿を見つめていた。
眩い光の中にいる、誇らしい自分の父親。
けれど、その光が強くなればなるほど、足元に落ちる影は深く、濃くなっていく。
その不穏な暗がりに、幼い一花はまだ気づいていなかった。
やがてテレビの画面が切り替わり、華やかな祝賀会へと向かった父の姿は消えた。
静まり返ったリビングに、ひとりきり取り残された一花は、胸に抱いた本の表紙へそっと額を押し当てた。
そして、頼りない吐息のような、消え入りそうな声でこう呟くのだ。
"――パパ、私を……愛して"
けれど、その無垢な祈りが届くことはなかった。
神様ではなく、父親という名の、一花にとっての絶対的な信仰。
それは、もうすぐ訪れるある瑞々しい夏の日に、跡形もなく木端微塵に砕け散ることになる。



