「それで……母さんが今度、再婚するんだ。もう俺はいらないってことだよ」
ひらひらと舞い散る紙切れの向こうで、馨はどこか他人事のように笑った。
その言葉を聞いた瞬間、一花の胸は潰れそうなほどに締め付けられた。
「……そんな事ない! 碓氷くんは、人を愛せる人でしょ!?」
必死の叫びを、馨は冷たく遮る。
「俺は、これからも、母親ですらも、誰からも愛されないやつなんだよ……! いらない存在だ」
「何それっ……意味分かんないんだけど!!」
一花の心の中で、悲しみと不安が激しい怒りへと変わった。激昂した声が響く。
「だから、勝手に居なくなるって事!?」
馨はただ、優しく一花を見つめ返した。
「一花ちゃん……?一花ちゃんはもう、自由だよ。俺が居なくても、ちゃんと羽を広げて、どこまでも飛んでいけるよ」
その、すべてを諦めたような微笑みが、何よりも一花の心を切り裂いた。瞳から涙が溢れ、頬を伝っていく。
「……さない」
一花はきつく拳を握りしめた。
「そんなの、絶対に許さないっ!!」
感情のままに叫ぶと同時に、一花の身体は動いていた。迷うことなく走り出し、立ち入り禁止のフェンスの隙間を急いでくぐり抜ける。奈落の縁、遮るもののない危険な足場へと一歩を踏み出し、馨の懐へと目掛けて思い切り飛び込んだ。
「一花ちゃん!?」
馨の目が驚愕に見開かれる。咄嗟のことに慌てながらも、彼は反射的に一花の身体を壊れ物を扱うように抱き止めた。
馨の胸に顔を埋めたまま、一花は狂ったように泣きじゃくり、彼の衣服を両手できつく掴んだ。
「私を置いて、消えてしまうなんてっ!!絶対に許さないんだからっ!!馨くん言ったじゃない!!私を愛してやるって!俺を愛してほしいって……!!」
溢れ出る涙で視界をぐしゃぐしゃにしながら、一花は馨の顔を見上げて叫んだ。
「愛してやるわよ!!私が、絶対に離さないっ!!ずっと、ずっと馨くんを片時も離さないっ!!だからっ!!どこにも行かないでっ……!!」
一花の全身全霊の、魂を削るような慟哭。
それを受け止めていた馨の身体から、ゆっくりと力が抜けていく。重力に逆らうのをやめたように、ずるずると一花を腕に抱えたまま、彼は狭いコンクリートの床に座り込んだ。
ぬるい秋の風が、二人の間を通り過ぎていく。
馨は、涙で濡れた一花の頬にそっと大きな手を添えた。そして、少しだけ眉を下げ、困ったような、ひどく間の抜けた声を漏らした。
「一花ちゃん……なんか勘違いしてるかもだけど、別に俺、死なないよ……?」
「…………」
長い、長い、世界の音がすべて消え去ったかのような沈黙が、屋上を支配した。
ただ風の音だけが響く中、一花の涙がぴたりと止まる。
「…………はぁ!?」
一花の、地を這うような、そしてすべてをひっくり返すような怒声が、秋の青空へと向かって大音量で響き渡った。



