夏休みの最終日。
じりじりと照りつける太陽とは対照的に、安斎病院の廊下はひんやりとした静寂に包まれていた。
一花は、その一角にある病室のドアを静かに開けた。ベッドに腰掛けていた朔也の母親――英舞は、人の気配に気づくと、期待に満ちた目を入り口へと向けた。
「あれぇ……今日は朔也は来ていないの?」
小首を傾げる英舞に、一花は口元だけで作った笑みを向けた。
「もうすぐ来ますよ。……今日は英舞さんに、渡したいものがあって来ました」
「何かしらぁ? たのしみだわぁ!」
ぱぁっと顔を輝かせ、子供のように無邪気な声を出す英舞。
その姿を捉えた一花の瞳から、すっと温度が消えた。完全に虚ろになった目で、一花はポケットから取り出した細切れの紙切れを、床へとひらひらと落とした。
白い床に、引き裂かれた紙のピースが散らばっていく。
英舞は怪訝そうに目を見開き、吸い寄せられるように床へ膝をついた。パズルのピースを繋ぎ合わせるかのように、震える手でゆっくりと紙かき集めていく。
やがて、バラバラだった断片が一つの形を成したとき、英舞の息が止まった。
そこに写っていたのは、かつて大学時代に撮られた、若き日の蒼士と英舞の姿だった。
「蒼士さん……」
英舞の声が、恐怖と動揺で激しく震える。
それを見下ろしていた一花は、音もなくその場にしゃがみ込んだ。そして、怯える英舞の耳元へ、呪詛を吹き込むようにそっと囁いた。
「こんにちは、英舞さん。私、―――朝霧一花です」
その名を聞いた瞬間、英舞の全身から血の気が引いた。額から嫌な冷や汗が吹き出し、喉がひゅっと鳴る。
「あなた……っ、あなたっ……蒼士さんの……っ!」
激しい過呼吸が英舞を襲う。浅く、速い呼吸を繰り返しながら、英舞は狂ったように一花の衣服にしがみついた。
「はぁっ……はぁっ……朔也は? 朔也はどうしたの……っ!?」
一花は、自分にすがりつく手を冷徹な目で見下ろした。その瞳には、憐れみも怒りも、何の感情も宿っていない。
「さぁ?」
一花はただ短くそう答えると、拒絶するようにその手を振り払った。
「さようなら」
冷たく言い残し、一花は一度も振り返ることなく病室を後にした。
直後、背後の病室から引き裂かれたような悲鳴が上がった。物を投げつけ、狂乱して暴れ回る英舞の絶叫が廊下に響き渡る。
「いやぁぁぁあっ!! 朔也っ! 蒼士さんっ!」
ナースステーションから緊迫した足音が響き、数人の看護師たちが一花の脇をすり抜けて、血相を変えて病室へと走っていく。
騒然となる廊下の中を、一花だけは狂気とも平穏ともつかない足取りで、ゆっくりと、ただゆっくりと通り過ぎていった。
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