一花は涙で視界を滲ませながら、必死に手を伸ばした。一花に跨る朔也の重圧に押し潰されそうになりながら、指先が頭の近くに散らばっていた、父親の小説の束に触れる。それを夢中で手繰り寄せると、渾身の力を込めて朔也の頭へと叩きつけた。
「がっ……!」
鈍い衝撃音とともに朔也が痛みで唸り、一花の身体から横へと崩れ落ちる。
その隙を逃さず、一花はばっと彼から離れた。床に散らばる父親の小説を、溢れる涙とともに強く胸に握りしめる。
朔也は床に寝転がったまま、頭を押さえてもがいていた。
「あはは……一花ぁぁあ……っ」
歪んだ笑い声を漏らす彼を置き去りにし、一花は乱れた服の胸元を片手で必死に隠しながら、朔也の部屋を飛び出した。
走った。ただひたすらに、前だけを見て走った。
途中で足がもつれ、激しく地面に転んでも、痛みに構うことなくすぐに立ち上がり、また走り続けた。息が苦しくても、心臓が破裂しそうでも、あの狂気の部屋から遠ざかるために足を動かし続けた。
しかし、とうとう限界が訪れる。人気の途絶えた夜道で、一花は力尽きたようにその場に泣き崩れた。
「あぁあっ……うぐっ、あああああ!!」
胸が張り裂けんばかりの悲鳴のような慟哭が、夜の静寂に響き渡る。一花は泥にまみれた父親の小説本を、まるで唯一の救いであるかのように、きつく、きつく胸に抱き締めながら、溢れ出る涙を止めることができなかった。
××××××
一花が去ったあとの静まり返った部屋で、朔也は頭の激しい痛みに耐えながら、ずるずると床を這っていた。
その瞳から狂気の光が消え、代わりに底知れない孤独と哀しみが滲み出てくる。
「母さん……母さん……」
掠れた声で、もう届かない存在を呼ぶ。
「本当はね……俺は母さんの愛に縋りたかったんだ……。たとえ母さんの愛から抜け出せなくても、必死でもがいて、抗って……新しい愛を……見つけたかったんだよ……」
一花に触れたとき、本当は気づいていた。復讐のためではなく、ただ一人の男として、彼女に触れたかったのだと。
「俺だって……一花を、愛したかったんだよ……」
ぽつりと溢れた本音は、誰に届くこともなく虚空に消えた。
朔也はクスクスと乾いた声で笑い出し、やがてそれは、部屋中に響き渡るような狂った笑い声へと変わっていった。笑えば笑うほど、彼の心は内側から壊れていく。
「あははは!あははははは!!!」
無造作に部屋のあちこちに散らばった、あの懐かしい古い小説本。かつては彼にとって復讐の標的であり、執着の象徴だったそのページたちが、今はただ、ひどく色褪せて見えていた。



