病院を出た後、一花は朔也の自宅へと向かった。
朔也の部屋のソファに深く腰掛け、一花は努めて穏やかな表情を浮かべていた。重苦しい沈黙を破ったのは、朔也の消え入りそうな声だった。
「ごめんね、びっくりさせたよね……。母さん、昔からああなんだ」
寂しげに、そして申し訳なさそうに眉を下げて笑う朔也。その表情は、先ほど病室で見せた不敵な笑みとはまるで別人だった。
一花はそっと微笑みを返し、彼の心に寄り添うように声を落とした。
「ううん、全然。気にしないで……。今まで大変だったよね」
同情するような言葉を口にしながらも、一花の胸の内は冷徹そのものだった。
まだこの男の本音は何も聞き出せていない。この部屋のどこかにあるはずの、真実に繋がる証拠も調べられていない。
(このままじゃ終われない……)
一花は、以前にも使ったあの薬の存在を思い出していた。もう一度、彼の意識を奪う機会を虎視眈々と狙う。
「なんだか、のどが渇いたね。飲み物取ってくるよ」
そう言ってソファから腰を上げ、部屋を出ていこうとする朔也の背中に、一花はすさかず声をかけた。
「ううん、私が手伝うよ。朔也くん、今日はたくさん動いて疲れてるでしょ? ここでゆっくりしてて」
一花の気遣いに、朔也の表情がぱぁっと明るくなった。
「いいの? ありがとう、一花」
嬉しそうに微笑んだ朔也は素直にソファへと戻り、ローテーブルの上にあった雑誌を開き始めた。
完全に油断している彼の背中を見届けながら、一花は静かにリビングへと足を運んだ。
キッチンに立ち、冷蔵庫から冷たいお茶を取り出す。トレイに並べた二つのグラスへ、ゆっくりとお茶を注いでいく。トトト、と静かな音だけが室内に響いた。
一花はポケットの奥から、用意していた小さな薬瓶を取り出した。視線はリビングの朔也の背中に固定したまま、手元だけで迷いなく動かす。
そして、朔也のグラスへと、以前と同じあの透明な液体を音もなく落とした。
薬が静かにお茶へと溶け込んでいくのを見つめながら、一花は冷たい決意をいっそう固めていた。



