ガラガラと音を立てて朔也が病室の引き戸を開けると、消毒液の匂いの奥から、どこか闐寂とした空気が流れ出してきた。
部屋の奥。窓際にあるベッドの上に、その女はいた。
長く伸びた髪は艶を失い、身体は痛々しいほどに痩せこけている。それが朔也の母親――夏目英舞だった。
英舞は、入ってきた朔也の姿を視界に捉えた瞬間、弾かれたようにベッドから降りた。裸足のまま床を駆け、切迫した様子で朔也に駆け寄る。
「朔也? 朔也なの!? 来てくれたのね……! 母さん、嬉しいわ、本当に嬉しいわ!!」
歓喜に声を震わせ、子供のようにはしゃぎながら朔也にすがりつく英舞。
その姿を見た瞬間、一花の息が止まった。
(あ……)
既視感が、頭の芯を鋭く殴る。
以前、自分が父親を見つけた時に見せた、なりふり構わず頼り切るような姿。それが、目の前で朔也に執着する母親の姿と、残酷なほどに重なり合って見えたのだ。
朔也は、落ち着かせるように英舞を受け止め、その背に手を添えた。
「そうだよ……会いたかったよ、母さん」
そう言って、朔也は穏やかに笑った。
そこに、最初から一花という存在など存在していなかったかのような、断絶された二人の世界。取り残された一花は、ただその場に釘付けになって固まっていた。かつて写真で見、複雑な感情を抱き続けてきたはずの女性。その面影がまるでないほどに窶れ果てた英舞の姿を前に、一花は声の一片さえ出せなくなっていた。
しばらくの間、母親をなだめていた朔也が、ふと顔を上げた。
「母さん。今日はね、大切な人を連れてきたんだ。俺の彼女の、一花だよ」
朔也の言葉に、英舞はゆっくりと、焦点の定まらない瞳を一花の方へ向けた。
「朔也の……大切な人? ……いーちーかぁー……?」
うわ言のように一花の名前をなぞる英舞。その様子を見て、朔也は低く笑った。
「そう、一花だよ。母さん、挨拶して」
英舞の細い身体が、一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。
その瞬間、一花の背筋を、ぞわりとした猛烈な悪寒が駆け抜けた。
英舞の瞳は、見ているようで何も映していないように虚ろだった。しかし、その大きく見開かれた異様な瞳が、一花の存在をぴたりと捉えた。
――次の瞬間、英舞の口元が、歪に吊り上がった。
恐怖で、一花の足が完全に床に張り付く。動こうとしても、金縛りにあったように動けない。
英舞は、冷え切った手で、一花の手を強く握りしめた。
そして、耳元へ顔を近づけ、這うような声で囁いた。
「朔也を……よろしくね。一花さん……」
握られた手のひらから、底知れない冷たさが一花の身体へと侵食していくようだった。一花はただ、呼吸を忘れてその不気味な笑みを見つめ続けるしかなかった。



