わけあって腹黒イケメンと偽装恋人をはじめたら、後戻りできなくなった話


  遠坂隆二と過ごすようになって、いくつか分かったことがある。
  たとえば、周りのクラスメイトの前では、貼り付けたような不気味な笑顔を浮かべてること。やけに運動神経がいいこと。「頭が良い」と周りから褒め讃えられているが、彼の持ち歩く参考書が、実はマーカーや付箋でいっぱいなこと。なぜか間違い探しが得意で、人参が嫌いなことなど。


 「透、人参やるよ。背伸びるぞ」


  屋上に通ずる階段に腰を据え、僕たちはいつものように昼食を食べていた。夏が近づいているせいか、風通しがいいとはいえ、暑さを感じずにはいられない。

  遠坂隆二は、僕の目前に人参を運ぶと、あーんと食べさせるように差し出してくる。野菜炒めの中に入っていた、微々たる人参は美味しそうだった。


 「またお弁当に人参が入ってたのか? 僕に食べさせないで、家の人に『入れないで』って伝えればいいだろ」
 「俺はこう見えて、家ではクールキャラなんだ。高一にもなって人参が嫌いだなんて、言えるわけねえだろ」
 「もし僕が君の家族に会うことがあれば、まっさきにその秘密を話すことにするよ」
 「透おまえ、だんだん俺に似てきたな」
 「なんとでも言えばいい」


  とはいえ人参に罪はない。まるで餌付けされている小鳥のような気がして癪だったが、僕はぱくりと差し出された人参を口に入れた。聞いたところ、この弁当は遠坂隆二のお母さんが作っているらしい。人参しか食べたことはないが、やはり美味しかった。

 咀嚼している間、ふと遠坂隆二の手にある、細い切り傷が目に入った。彼と話すようになって、大体のことは分かってきたと思っていたが……どうやら、まだ知らないことが沢山ありそうだ。


 「隆二、君、その手の甲の傷はどうしたんだ」


  聞いていいものか迷っていたが、結局僕は、その話題を自分から口にした。まさか触れられると思っていなかったのか。遠坂隆二は一瞬だけピクッと身体を動かしたかと思うと、「……ああこれか?」とワンテンポ遅れて手の甲に目を向けた。
 そして、また悪戯に笑うのだった。


 「強いて言うなら、勲章だな」
 「勲章?」
 「これくらいのかすり傷、俺からしてみればどうってことないってことだ。いや、むしろ怪我して正解だったな。こうして役に立ったんだから」


 いったい何を言ってるのだろう。
 にやにやと口角を上げ、満足気に傷を触る彼を見て、僕は小さなため息を吐く。やっぱり腹黒悪魔のことなんて分かりっこないんだ。
 やれやれと肩を下ろしてご飯を食べ進めていると、遠坂隆二は思い出したように言った。


 「そういえば透、もう少しだな」
 「何が?」
 「忘れたのか」


  信じられない、とでも言うような目で、遠坂隆二が尋ねてくる。


 「海に行ったとき、次は学力勝負をするぞって話しただろ。そろそろ夏休み前最後のテストが始まるはず。そこで総合点の高かった方が真の勝者になるわけだ」
 「ああ、そんな話もしたね」


  自然と口角が上がる。勝負師なわけでもないのに、なぜか胸が踊った。僕を見つめる遠坂隆二の表情が、イベントを前にはしゃぐ子供に見えたからに違いない。


 「勝負しよう。どうせ僕が勝つけどね」
 「ほー言うじゃねえか。なら追加ルールだ。この戦いで勝った方は、相手のお願いを一つ、何でも叶えるんこと。いいか、何でもだぞ」
 「そんなルールを作っていいのか? あとで泣いても知らないぞ」
 「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」


  運動はともかく、勉強に関しては負ける気がしない。たしかに遠坂隆二が努力家なのは認める。使い古された参考書や、自信満々な態度をみるに、きっと成績もいいのだろう。でも彼は痛恨のミスをしている。

  それは──僕が前回のテストで、学年二位の成績を取っているということだ。それを知らない遠坂隆二は、勝負する前から勝ち誇ったような顔をしている。テストを終えて、敗北を知った彼が、どんな顔をするか楽しみだ。

  何のお願いをしよう。テストが終われば夏休みになるし、また海に行って、競走するよう命令しようか。遠くへ出かけるのも、単純に買い物をするのもいい。

  って、あれ。どうして僕は、彼と遊ぶことばかり考えているんだ。これじゃあまるで本物の恋人みたいじゃないか。

  急に顔が熱くなり、落ち着かない気分になる。馬鹿な考えを掻き消すようにぶんぶん首を振る僕を、遠坂隆二は「とうとう気が触れたか」と不思議そうに聞いてくるから鬱陶しかった。

 ※

  梅雨のじめじめした空気が消え、蝉の鳴き声が響き渡るようになった。エアコンの冷気で包まれた教室は快適で、ここから離れたくないとさえ思う。

  テストの結果が開示されると、僕は上機嫌になった。なぜか? 今回も学年二位で、しかも前回より成績が伸びていたからだ。

  僕の優秀さを知る唯一の人物、景也にこっそり結果を自慢すると、「さすが透だね」とまるで自分事のように喜んでくれた。

  しかし僕は知っている。景也は本気を出せば、僕なんか相手にならないくらい頭がいいことを。両親から一桁台の順位をキープするよう言われているらしいが、いつ要求が変わるか分からないため、きっと具合を調整しているのだろう。


 「あのさ、透。もうテストも終わったし、よかったら今日の放課後──」
 「透、帰るぞ〜」


  ガラッと扉が開いたと思えば、墨色の髪をした男が中へやって来る。遠坂隆二だ。
  彼の手には返ってきたばかりのテスト結果が握られていた。どうせ僕に負けるというのに、自信満々の表情で近づいてくるから、少し可愛いと思ってしまった。


 「あー、先客か?」


  いま気づいた、と言わんばかりの顔で、遠坂隆二が景也を見つめる。こうして向かい合ってみると、二人は身長も体格もよく似ていた。なぜか楽しげな彼とは裏腹に、景也は酷く無表情だった。まるで、自分の感情を押し殺しているかのようだ。


 「景也、さっき何を言おうとしたんだ?」
 「あ……いや」


  僕の言葉に反応は示すものの、返ってきたのは歯切れの悪い返事だった。遠坂隆二は何も言わない。ただジッと景也を見ている。睨んでいるのか、それとも観察しているだけなのか。二人の間に何やら不穏な空気が流れていると気づき、違和感を覚える。しかしどうだろう。


 「用事がないなら連れていくぞ」


  何も言わない景也に痺れを切らしたのか。遠坂隆二はするりと僕の手を取ると、教室の外へ向かって歩き出した。されるがままに身体が流れる。小さくなる僕らの背中を見つめるだけで、景也はその場を動かなかった。ここからでは、彼の表情が読み取れない。

  なんだ。なんでこんな、妙な違和感を感じるのだろう。目前を歩く遠坂隆二の背中に目を向け、考えてみる。僕が景也に好意を抱いていると知ってるとはいえ、彼らは全くの初対面のはずだ。

  なのにどうして……僕はさっきの光景に、見覚えがあったのだろう。

 ※


 「透、約束は守ってもらうぞ。俺が勝ったんだから、今から一つ言うことを聞いてもらう」


  校門を出ると、遠坂隆二は得意げな顔で笑った。お願いする内容はもう決めてあるのか。期待に胸を膨らませているみたいだった。だが、いつまでも勘違いされては困る。


 「残念だけど、この勝負は僕の勝ちだよ。隆二は僕の成績を知らないだろ? 見てみろ」


  手に持っていた紙をひらひら動かして、僕は目元を緩める。テストの総合結果と、僕の「二位」という順位を見れば、彼も認めざるを得ないはずだ。そう思った。案の定。僕の成績をみた遠坂隆二は、「まじか」と笑い、冷汗を流した。


 「二位って、透おまえ、本当に頭良いんだな」
 「凄いだろ」
 「すげえ」
 「僕の勝ちだよ」


  胸を張って言ったあとで、ふと一位はどんな人なんだろう、と思った。僕より頭がいいんだから、誰もが認める努力家で、優秀なのは間違いない。どんな人なんだろう。もし叶うなら、一目でもその顔を拝んでみたいと思った。


 「でも、やっぱり俺の勝ちだ」


  だから、遠坂隆二が並びのいい歯を見せてそう言ってきたときは驚いた。何だって? と疑問に思う僕の心理を先読みするように、一枚の紙が差し出される。まさか。僕は震える指先でそれを受け取ると、動揺で二回ほど捲るのを失敗してようやく、遠坂隆二のテスト結果を目にした。


 「……い、一位!? 君が?」


 上擦った声が出る。目を大きく開けて驚く僕を見て、彼は上機嫌に顎をあげる。


 「そうだ。俺はこう見えて努力家なんだ」
 「そんな馬鹿な……」
 「まあ透が二位だなんて知らなかったから、かなり驚かされたけどな。さーてと、何をお願いしようか」
 「はあ……いまだに信じられないよ」


  一位の顔が見てみたいとは思ったが、まさかこんな近くに居たなんて。唖然とする僕をよそに、遠坂隆二は嬉しそうだった。こうなったら仕方ない。彼の願いをひとつ叶えてあげよう。


 「それで? 僕に何を望むんだ?」
 「実は前からお願いしたいことがあったんだ」
 「いいよ。言ってみて」
 「でも、ここではちょっとまずい」
 「まずい?」
 「透、今から家に来い。そこで話すから」
 「え……?」


 ※