わけあって腹黒イケメンと偽装恋人をはじめたら、後戻りできなくなった話


 高校に入学して、まだ数ヶ月しか経っていないのが嘘のようだ。

 もし戻れるなら、遠坂隆二(とおさかりゅうじ)と「ふざけた演技」をすることになった、あの一ヶ月前に戻りたい。


 「おーい千街(せんがい)、彼氏が来たぞ」


  一時間目の授業を終えた僕に向かって、クラスメイトが声を震わせる。呼ばれるままに視線を向けると、そこには、僕を呼んだクラスメイト──ではなく。


 「透、約束通り会いに来たぞ。俺がいない間、寂しかっただろ?」


  外面のいい笑顔を浮かべた、遠坂隆二が立っていた。ホームルームが終わったあとにも会ったばかりなのに、またおの男の顔を見ることになろうとは。
  周りの視線が突き刺さる。この状況で下手なことは言えない。僕がその場を取り繕うように「うん」と頷けば、遠坂隆二は満足気に口元を緩ませた。

 長い指先が頬に伸びてくる。一瞬だけ見えた手の甲には、細い切り傷があっが、傷口を見るに、かなり前のものらしい。また頬にキスされた。鬱陶しい。


 「相変わらずおアツいねえ」
 「見てるこっちが恥ずかしくなるわ」
 「まあ千街と遠坂は、うちの高校じゃ知らないやつはいないくらいのバカップルだからな」
 「遠坂が千街から離れてるタイミングなんて、授業中だけだぞ」
 「あいつら本当にラブラブだよな」
 「もう! 千街くんが羨ましい!」
 「遠坂くんって入学したときからモテモテだったよね。告白したい人で列を作ったとか、作ってないとか」
 「顔面国宝だもの。惚れない理由がないわ」
 「遠坂くんを巡って、殴り合いの喧嘩が起きたって話しもあるくらいだもの」


  思い思いを口にする周りの言葉が聞こえていないのか。遠坂隆二はぺらぺらとよく回る口で僕に話しかけてくる。

  この高校で、僕と遠坂隆二が付き合っていると知らない者はいない。なぜか? この腹黒悪魔が、場所も構わず僕にキスするし、手を繋いでくるし、挙句の果てには、休み時間の度にこうして教室へやって来るからだ。授業中以外はずっと隣にいるため、いつしか僕らは、学校名物のバカップルとして有名になってしまった。


 「あ、もう休み時間終わりかよ。はあ……またすぐ会いに行くから。昼飯、一緒に食うの忘れるなよ透」


  授業が終わる度に、愛する恋人のもとへ足を運ぶ彼氏。その健気さに多くの人は胸を打たれているかもしれない。もしくは、同性カップルを軽蔑し、敬遠しているかもしれない。

  名残惜しそうに僕から離れる遠坂隆二は、実力派俳優と言われても納得の振る舞いだった。周りの生徒は騙されている。この悪魔が、どれほど恐ろしいかを知らないのだ。

 ※

  昼休みになると、ほとんどの生徒は、教室か学食で昼飯を食べる。
 稀に空き教室や外のベンチを使う人もいるが、屋上に通じる階段の最上階は、決まって誰も居ない。鍵がかかっているせいで、屋上に行くことはできないから、人が寄り付かなくても納得できる。だからそこ、僕たちには好都合だった。


 「遅かったな」


  階段を登った先で待っていたのは、いつもの貼り付けたような笑顔とは違う。怪しげな笑みを浮かべた遠坂隆二だった。あぐらをかいて、頬杖をつく姿は、普段の猫を被っている様子とは大違いだ。頭を支える腕を見つめれば、相変わらず手の甲には、細い傷跡が残っていた。


 「待ちくたびれて寝ちまうかと思ったぜ」


  さっさと座れよ。ぽんぽんっと隣の床を叩いて急かしてくる。僕は眉間に皺を寄せると、遠坂隆二の隣ではなく、目の前に腰を下ろした。


 「わざわざ隣に座る必要なんてないだろ。今は、演技しなくていいんだから」
 「はっ……」


  何か不満でもあるのか。僕を見つめる遠坂隆二の目が、鋭くなるのが分かる。だが、こんなことで怯むわけにはいかない。昼食用の弁当を広げて、僕は「いただきます」と手を合わせる。それから思い出したように、目前で不貞腐れている男を睨みつけた。


 「隆二、みんなの前で勝手にキスするなって何度も言ってるだろ。いくら恋人のフリをしてるとはいえ、あそこまでする必要はないよ」
 「ノリノリだったくせに、今更怒るなよ。俺だってやりたくてしてるわけじゃない」
 「じゃあもうしないでくれ」
 「いいのか? 篠原景也(しのはらけいや)に惚れてるって気づかれないために、わざわざ俺と、こんなふざけた演技をしてるんだろ」


  弁当を食べようと動いていた手が、ぴくりと止まる。瞬きを忘れた視界に、自分の栗色の髪が映った。それからすぐに、茶色の柔らかな髪を持つ、優しい幼馴染のことを思い出した。


 「……脅してるのか?」
 「なんとでも思え。いいか、俺とおまえは、利害が一致したから恋人ごっこをしてるだけの関係だ。お互いの目的を果たすために、キスくらい甘んじて受け入れろよ。頬だし」
 「……腹黒悪魔」
 「褒めても何も出ないぞ」


  並びのいい歯を見せて、遠坂隆二は僕を見下ろす。さっきまでの不機嫌オーラはどこへ行ったのか。すっかりいつもの腹黒い姿に戻っているではないか。相変わらず掴みどころのない男にペースを乱され、僕はますます苛立ってしまう。

  僕と遠坂隆二が「恋人ごっこ」をすることになったのは、今から一ヶ月前。
  僕には好きな人がいる。篠原景也という男で、幼い頃から一緒に居た、いわゆる幼馴染というやつだ。高校一年生の今もずっと一緒で、神様が味方をしてくれたのか、クラスも同じだった。

  僕の栗色の髪と、景也の茶色い髪は少し似ていて、周りは僕らを「仲のいい兄弟みたいね」なんて言っていた。景也はそう言われる度に、嬉しそうに笑った。だけど僕は、そう言われるのが嫌だった。彼のことが好きだったからだ。


  ──ねえ透、一緒に海に行こう。
  ──今年も同じクラスだって。嬉しい。
  ──困ったことがあったらいつでも頼ってね。透のお願いなら、何でも叶えるから。


  景也の優しい声も、穏やかな笑顔も大好きだ。でも、景也に惚れてるなんて口が裂けても言えない。もし自分の気持ちを伝えて「気持ち悪い」と言われたら、僕は生きていけないと分かっているからだ。だから、一ヶ月のあの出来事は、なんの前触れもなく、爆弾手渡しされたようなものだった。


 「千街って篠原のこと好きなのかよ〜」


  放課後、クラスの何人かと雑談をしていたとき。何を考えたのか、輪の中にいた一人の生徒が、ふざけてそんなことを言った。冗談なのは明らかで、「そんなわけないだろ」と笑って流せば、それで済むような簡単なことだった。だけど僕は。


 「……え?」


  平然と受け流すことは愚か、笑うことすらできなかった。驚いたからだ。ずっと景也が好きだったから、まさか、その想いを悟られてしまったのではないかと思った。その輪の中には、景也もいた。引きつった僕の顔を、彼がどんな顔で見ていたかは分からない。

  バレた。嫌われる。顔を見れない。ど、ど、ど、と心臓が激しく鼓動し、体内が熱を帯びていく。鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚えた。今すぐ笑えば、まだ誤魔化せたかもしれない。なのに僕は、声を出すことすらできなかった。どうしよう! どうすればいい!

  誰か助けてくれ! 景也に気持ちがバレないなら、何だっていいから! 無責任にも、そんなことを考えてしまった。そのときだ。


 「透。待たせて悪かったな」


  突然降ってきたあの声色、僕は今も鮮明に覚えている。背中からすっと伸びてきた腕。右の手の甲には切り傷があって、「痛くないのかな」なんて無意識に思うと同時に、僕の身体は抱き締められていた。


 「あー友達と話してたのか? 仲良くするのはいいけど、浮気は許さないからな」


  耳元で聞こえた、楽しげな声色。視線を向けると、面白い玩具を見つけたような目で、僕をじっと見下ろす男と視線が重なった。誰だこの人。


 「遠坂隆二だ……!」


  ふと胸に浮かんだ僕の疑問を解消したのは、輪の中にいたクラスメイトの一人だった。まるで有名人にでもあったような興奮を持って、僕の隣に立つ男を見ている。


 「まじで噂の遠坂隆二じゃん!」
 「え、入学初日に女子から告白されまくったっていうあの超絶イケメンの……!」
 「誰が先に告白するかで喧嘩になって、殴り合いが始まったって聞いたぞ」
 「俺は、めっちゃモテモテなのに、女子からの告白を全部断ったって聞いたな」


  早口に語り出す周りの姿に圧倒される。少なくとも僕は初めて聞いた名前なのに。どうしてそんなに詳しいのだろう。

  ちらり、と景也に目を向ける。もしかして彼も知ってるのだろうか、そう思ったからだ。それからすぐに、僕は困惑してしまう。あのいつも優しい景也が、突然現れた遠坂隆二を、今にも殴り掛かりそうな勢いで睨みつけていたからだ。


 「え、えっと君は誰? 浮気って……」


  辛うじて出た声は弱々しい。僕を胸の中に抱き抱えた遠坂隆二は、悪戯を思いついた子供のような顔をして、その場の全員に聞こえるように言ったのだった。


 「透と付き合ってんのに、他人の告白を受け入れるわけねえだろ」


  顔面蒼白。その言葉の意味を、僕はいま身を持って感じている。
  さらりと告げられた「付き合ってる」という言葉に、辺りは驚きの声に包まれた。ある者は興奮気味に口元を抑え、ある者は「よっしゃ!」とライバルが減ったと言わんばかりに喜び、またある者は軽蔑を含んだ顔をした。


 「き、君は急に何を……!」
 「じゃあそういうことだから。透は貰ってくぜ」


  手を握られる。言葉こそ荒っぽいのに、遠坂隆二は、まるで大切なものを扱うかのような手つきで、優しく僕の手を引いた。身体が動く。教室を出る前。一瞬だけ景也の顔を見た。

 彼の顔は──青ざめていた。

 ※

  学校から出てようやく、僕は思い出したように、繋がれていた手を振り払った。


 「き、君はなんなんだ! 僕は君のことなんて知らないのに……他人のくせに、なんであんなふざけたことを」


  行き場のない感情を押し付けるように怒鳴る。僕は、目前に佇む遠坂隆二を睨み上げた。それからすぐに、言葉を失った。
  僕の言葉を聞いた男は、貼り付けたような笑顔を浮かべているのに、どこか少し、寂しそうだったからだ。


 「……ははっ、そうだ。俺とおまえはただの他人だ。俺はな、おまえのこと助けてやったんだよ。気まぐれにな」
 「僕を、助けた?」
 「おまえ、篠原景也のこと好きなんだろ」


  息を呑む。一度も口にしたことのない事実を、どうして赤の他人である彼が知っているのか。身体にびりっと電流が走る。痺れた腕が痛い。

 動揺のあまり、「あ」だとか「え」だとか、情けない声しか出せなかった。そんな僕の不安を見透かしたような笑顔を浮かべて、遠坂隆二は言葉を続ける。


 「バレたら嫌われると思ったから、あんな情けない顔したんだ。違うか?」
 「……それは」
 「笑って誤魔化せば良かったのに、正直に動揺するなんて間抜けなやつだな」
 「盗み見してたのか?」
 「たまたまだ」
 「だ、だからって君と付き合ってるなんて嘘、それこそ、気味悪がられるに決まって……」
 「それはどうだろうな」


  ぼそっと呟かれた言葉の意味が、分からなかった。尋ねようと口を開けば、それを遮るかのように、遠坂隆二はまた演技がかった笑顔を浮かべる。


 「少なくとも、おまえはあのとき、自分が危機に面しているくせに『誰か助けてくれ!』って思ったはずだ。他人任せにもほどがあるな。だから俺が助けてやったんだ。篠原景也に気持ちがバレずに済むなら、他のやつにどう思われようと、何だって良かったんだろ」
 「それは……」
 「最悪の場合は、俺のせいにして逃げればいい。無理やり付き合わされてたって言えば、まあ納得するやつも居るかもしれない」
 「君はいったい……なんのメリットがあってこんなこと」
 「手伝ってくれ」


  やけに真剣な声だった。彼の背景で空一面に広がる夕日は、まるで絵画のように美しい。オレンジの光を受け止めた男は、たしかに、クラスメイトが騒ぐのも納得のイケメンだと思った。


 「高校に入学してから、いろんなやつに告白されて面倒なんだ。断ったら逆恨みされて、下駄箱にはカッターの刃が入ってるわ、嫉妬した奴らに荷物を捨てられるわ。鞄の中に血やら体液が入ってたときは絶句したな。まだ入学したばっかなのに、体操着も盗まれた。これで五着目だぞ」
 「それは……かなり、大変みたいだね」
 「ああ。挙句の果てには、俺と付き合ってるって嘘をついたやつが階段から突き落とされたり、殴り合いの喧嘩になったり。ストーカー化した生徒に家まで来られたこともある。俺の母親を恋人だと勘違いして、首を締めようとしたやつもいたくらいだ。とにかく、本当に迷惑してるんだ。おまえ……そうだ。おまえみたいな、赤の他人がちょうどいい」


  遠坂隆二の身体が、大きくなったように見えた。けれどそれは間違いで、彼が一歩、また一歩と、僕に近づいてきているだけだった。右の手の甲についた傷が見える。そう思った時にはもう、彼に両肩を掴まれていた。


 「男相手の方が都合いいだろ。色んなやつに告白されて面倒だったんだ。おまえ、俺と付き合ってる振りしろ。もちろん身の安全は保証するし、強制するつもりもない。けど、どうだろうな。俺は抜けてるところがあるから……ついうっかりして、篠原景也に口を滑らせるかもしれない」


  この腹黒悪魔に目を付けられたのは、僕の人生最大の不運であったに違いない。まさかこの日から、見せかけだけの恋人関係が始まるなんて──このときの僕は、思ってもいなかった。

 ※