わけあって腹黒イケメンと偽装恋人をはじめたら、後戻りできなくなった話


  まだ梅雨の時期だというのに、どうしてこんなに暑いのか。この僕、千街透(せんがいとおる)は、冴えた日差しにげっそりしながら歩いていた。

  校門に到着するまで、あと数十メートルといったところだろう。「何もなければ」このまま校内に入ることができるはずだ。
  そう……何もなければ。


 「おはよう(とおる)


  ただでさえ暑い空間に、明るい男の声が加わる。墨を閉じ込めたような黒髪と、形のいい眉が見えた。周りの生徒がぽっと頬を染め、まるで美しい彫刻を眺めるみたいに、男を眺めているのが分かる。


 「ぐっすり眠れたみたいだな」


  平均より背の高いその人物は、長い腕をすっと伸ばすと、いたって当たり前の顔をして、僕の身体を抱き寄せてきた。勢いあまって、屈強な胸板に顔が埋まる。密着して暑苦しい。

 それだけには飽き足らず。男は、周りの目も気にせず僕の頬に指先を滑らせると、そっと触れるだけのキスした。頬に伝わる柔らかな感触に合わせて、くすっと笑う彼の息遣いが聞こえる。
  ていうか近い。近すぎる。


 「はー会いたかった。昨日も一緒にいた癖に、変だよな。俺、気がつくとおまえのことばっか考えてる」


  いつの間に、と気づいたときには、男と手を繋いでいる状態だった。絡まった指先は離れるどころか、隙間を埋めるように迫ってくる。周りの生徒が興味や軽蔑を含んだ目でこっちに注目しているのが分かった。ここは人の目が多い。だから僕は、いつも通りに振る舞うことにする。


 「僕も君に会いたかったよ、隆二(りゅうじ)
 「本当か? 実は、たまに不安になるんだ。俺ばっかりおまえに惚れてるんじゃないかって」
 「隆二は心配症なんだね。僕だって君が大好きなのに」
 「仕方ないだろ、いつも俺の方から会いに行ってるから、不安にもなる。こうみえて好きな相手には、自分のことだけ考えてほしい性格だからな」


  形のいい眉を僅かに下げて、不安そうに僕を見つめる彼を見て、周りの生徒はまた頬を染める。なんて恋人想いなのかしら! 耳をすませば、そんな声が聞こえてきそうだ。


 「それで思ったんだけどよ。たまには透の方から、俺に会いに来るってのはどうだ? 大丈夫。隣の教室まで来て『彼氏に会いに来ました』って言うだけだ、簡単だろ。俺は嫉妬深くて心配症だから、それくらいしてもらわないと、不安で何も手につかないんだ」
 「もう、分かったよ。心配症な隆二のために、次は僕の方から会いに行くね。あ、でも午前は移動教室が多くてバタバタするから、会いに行けるか……」
 「無理しなくても、透が来れるときでいい。会えるだけで幸せなんだ。来れないなら、俺が会いに行くまでだしな」


  男は俳優並みの綺麗な笑顔を浮かべたと思うと、スマホで時間を確認して、また悲しそうに眉を下げた。そろそろホームルームが始まるからだろう。


 「なあ透、離れる前に、さっきのもう一回言えよ。俺のこと大好きって」
 「ふふっ、はいはい。……今日も大好きだよ」


 繋がれた手をぎゅっと握り返す。その光景を見た一部の生徒から、悲鳴とも歓喜とも取れる叫びが上がった。それに気づかないふりをするように、男は僕に顔を近づける。


 「昼、一緒に食うだろ。いつもの場所に集合な」
 「分かった。……残念だな。クラスが一緒だったら、もっと隆二の隣に居られるのに」
 「俺も透と離れるのが心苦しい。一秒でも早く透に会いたいから、結局おまえが来る前に会いに行っちまうかも。……とにかく、ホームルーム終わったら会いに行く。だからそれまで、良い子に待ってろ」
 「うん。待ってるね」


  相変わらずのバカップルだな。
 僕たちのやり取りを見ていた誰かが、そんなことを呟くのが分かる。これが僕の日常だ。大好きな恋人と毎日のようにくっつき合い、愛を囁き、頬にキスされる。

 この光景を見た周りの生徒は、初めこそ見てはいけないものでも見ているかのような目で僕らを眺めていた。が、今となっては「式はいつだー?」なんて冷やかす余裕さえある。

  そんな周りの反応に気づいたのだろう。僕の傍にいる男、遠坂隆二(とおさかりゅうじ)は、とつぜん「ははっ」と乾いた笑みをこぼしたと思うと、僕の耳元へ顔を近づけた。それから、口元は笑みを浮かべたまま、周りに聞こえないよう囁いた。


 「やっぱ笑えるな、これ」


  さっきまでの演技がかった姿はどこへやら。嘲笑混じりの低い声に、僕は小さく溜息する。


 「……笑えないよ。僕はいま最悪の気分だ」
 「自分だけが最悪の気分だと思ってるのか? 安心しろ、俺も最悪の気分だから」
 「なら離れろ」
 「無理に決まってんだろ。バレたらどうする」
 「暑くて死にそうだ」
 「俺もだっての」


  笑顔で向かい合う僕たちが、まさかこんな殺伐とした会話をしているとは思うまい。何も知らない生徒たちは、やはり興味を帯びた眼差しで、いつまでもこちらを見つめるのだった。
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