本屋のお姉さん

 時は少し戻って、2時間ほど前。
 ぼくはエアコンの効いた自分の部屋で戦争ゲームをしていた。
「下手くそが、死ね」
 という声がヘッドホンから聞こえた後、ぶつっと通信が切れた。
 浮かび上がってくる感情をふーっと吐き出しながら、椅子の背もたれに背中を預ける。ゲーム専用の椅子ではないので、リクライニングはされないし、首を預けられる部分がないので、行く場のない首はだらりとする。そうすると、背面にある仏壇が目に入った。
 お母さん……と呟くのに被さるように「対戦相手が見つかりました」というアナウンスが流れ、急いで視線を画面に戻す。
 ぼくは自分の好きなキャラクターが表示される部分にカーソルを重ねながら何度もクリックした。しかし、画面が切り替わる頃にはそのキャラクターは誰かに選択されていた。
 仕方なく、二番目に好きなキャラクターを選ぶ。このキャラは不人気キャラだからほとんど取られることはないはずなんだけど、タッチの差で他の人に使われてしまった。誰にしようか悩んでいるうちにタイムアップが来て、勝手にキャラを選ばれてしまう。表示されたのはあまり使ったことのないキャラクターだ。
 そのせいもあってか結果はまたもや負け。そしてまた「死ね」と言われて、ぶつっと通信が切れる音。
 本当にぼくが悪いのだろうか。即席とはいえチームなのだから協力はし合うべきだし、もしできなかったとしても、死ねって言葉は決して口にしていいものじゃないはずだ。それにぼくの腕が悪いというよりは多分通信環境が悪い。こんなど田舎の山奥に高性能な通信環境を求めんなよ。
 そんなことを考えていると、また自動で対戦相手を探し始めていたので、慌ててロビー画面に戻り、ログアウトする。
 もうすぐお昼でおばあちゃんが帰ってくるので、それまでにやめておかなければいけない。多分もう一戦していたら、間に合わなかっただろう。
 ぼくの家はいわゆる平屋で、部屋と部屋の仕切りがふすましかない。なので、誰が何をしているかがだいたい物音でわかってしまう。ぼくの部屋のふすまを開けるとお母さんの仏壇があり、そこがリビングになっているのもあって、おばあちゃんが帰ってきたらゲームをしているのがバレてしまう。
 ガラガラと引き戸が開く音がした。おばあちゃんかと思って、急いでパソコンの電源も落とすが、帰ってきたのは父だ。父はぼくを見るなり「おう」とだけ言って、冷蔵庫から麦茶を取り出す。
「〇〇も飲むか?」
 と聞かれたので「うん」と答えると、ガラスコップを二つ持ってきてくれる。でも注いではくれなかったので、自分で注いだ。
「今日はもう仕事終わりなの?」
 ぼくはそう聞いておきながら、まだだろうなとは分かっていた。父は仕事を終えると必ずビールを飲んで、夕飯も食べずに早いうちに寝てしまう。麦茶ということは配達の仕事のついでに水分補給で寄っただけだろう。
 それでも聞いたのは、二人きりの空間で無音なのに耐え切れなかったのと、学校には行かないのかみたいな話をされると面倒だからだ。
「まだ。でも今日は配達も少ないけぇ、実質終わりみたいなもんやけどな」
 想定した通りの答えが返ってきた。へぇとだけ言って麦茶に口をつける。
「あっ、そういえば今日は、病院で遅くなるから、昼飯準備できんってばあちゃん言っとったけど、昼飯代はあるんか」
 そうだった。今日はおばあちゃんがいない日だった。そういえば昨日の朝、そんなことを言ってたな……すっかり忘れていた。
「ない」と嘘をついたけどお父さんは疑いもせず、ポケットから財布を出し、千円をくれた。ちょっと心が痛んだけど、父さんだからまぁいいか。
 これで二千円。千五百円はゲームの利用権の更新用にプリペイドカードを買うから、残りは五百円か……今日もまたカップラーメンかな。
 ぼくは麦茶を飲み干して、グラスを持つ。
「お父さんはまだ飲む?」と聞くと、「いや、もう行くわ」と言うので、父の分のグラスと麦茶も持って立つ。グラスは軽くすすいでから逆さまにしてタオルの上に並べ、麦茶は冷蔵庫にしまった。
 冷蔵庫を閉じると貼ってあるカレンダーが目に入った。今日は5月の平日。この時間なら、まだみんな授業中だろう。
 行くなら、今のうちだな。
 ぼくは自分の部屋に戻って、先ほどの千円を、おばあちゃんが渡してくれた千円が入っている財布に入れ、それを持って玄関に出た。
 玄関では、父が靴を履いているところだった。ぼくも横に並んで、靴を履こうとする。でも、学校指定の靴しかなかった。
 思えば、学校指定の靴以外を買ってもらっていない。中学に上がってからは部活ばっかりでどこかに出かけることは極端に減ったし、そもそもぼくはファッションには興味がない。履けたらいいやと思って、新しい靴を買わなかったことを少しだけ後悔する。いちおう小学校時代の靴はあるけど、もうサイズが合わないので、靴箱の奥にしまってあるはずだ。
 仕方なく学校指定の靴を履いていると、
「なんだ、学校に行くのか?」と聞かれる。
「そんなわけ」
 “ないじゃん”がなぜか喉に詰まって、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。ちゃんと言い直そうかとも思ったけど、やめた。父さんにそんな気を使うのは気の無駄だ。
 乗せてってやろうかという声を無視して、玄関を出てすぐのところに置いてある自転車にまたがった。これも学校指定の自転車だけど、靴と同じく、これしかないので仕方ない。
 最近乗っていなかったのもあってサドルに砂が乗っていたらしく、ズボン越しにお尻に変な感触がある。でも、しばらく走ってから立ち漕ぎに切り替えると、砂は風で簡単にどこかにいった。
 車二台が通り過ぎるのがやっとの幅しかない田舎道を自転車で走っていると、何台かの軽トラックとすれ違う。そのうち一台の軽トラックがすれ違って少ししたところでエンジンを止めた。
 面倒だなと思いながら振り返ると、昔のプロ野球球団の帽子をかぶったおじさんが、「やっと学校行く気になったんか?」と窓から少し体を乗り出して聞いてくる。「違いまーす!」と大声で答えたらおじさんは満足したのか、「きいつけえよ」とだけ言って、再びエンジンをかけて去っていった。
 何に? 学校行かないといい大人にならないからってこと? あぁいや、純粋に道に気をつけろってことか? もしかして、ぼくの運転が危なくて注意したってことか?
 考えがまとまらないまま、再び自転車を漕ぎ出す。ギアを一番上にしていたせいで、少し漕ぎはじめが大変だった。
 そんなふうに、国道に出るまでの道のりで、何度か地域の人に声をかけられた。面倒だけど、それを無視したら陰でなんて言われるかわからない。そんな陰口を叩くような人たちではないだろうけど、ぼくはすでにもう一つ変なウワサが立っている。それに自分から油を注ぎたくない。
 国道に出る手前に駄菓子屋があり、ぼくは店の前で自転車を止めた。
 中に入るとレジにおばちゃんがいない。まるで盗んでくださいと言っているようなものだ。もちろん、小学生のお小遣いでも買えるような駄菓子を盗むわけもなく、目当てのカップラーメンコーナーまで歩く。駄菓子何個分もするそれを手にとって、レジの前で「おばちゃーん!」と呼ぶと、呼んだのが申し訳なくなるくらいゆっくりのスピードで、奥から駄菓子屋のおばちゃんが出てきた。先ほどまで見ていたであろうテレビの音を聞きながら、会計を済ませると、駄菓子屋の店員のおばちゃんが「お湯と箸、いるかえ?」と聞いてくる。
「家で食べるんで大丈夫です」と断ると、「学校で食べるんかと思ったわ」と返ってきた。
 多分、悪気はないんだと思う。でも、なんだかそう言われると、学校に行っていない自分が間違いと言われている気がする。今日学校休みなので、と嘘をつこうとも考えたけど、この小さな村でそんなすぐバレる嘘をついても仕方がない。愛想笑いだけ返して店を出て、再び自転車に乗った。
 少し進んだところで「やっぱり学校で食べるんやないの! 箸はいらんのー?」と大声でおばちゃんがぼくを呼ぶ。家でカップ麺を食べると言っておきながら、逆方向に漕ぎ出すぼくを見て、不審に思ったのだろう。
「あー、家帰る前にちょっと寄るとこあるだけですー!」とおばちゃんと同じくらいの大声で返して、急いで自転車を漕ぎ出す。
 国道に出ると、大きな川が目の前に広がった。この村は川に沿って国道が続いているので、道が曲がりくねっている。さっき右に曲がったかと思えば左に曲がるなんていうのはしょっちゅうだ。
 しかも国道とはいえ、二車線しかなく、道幅も狭いので、自転車で道路を走っていると、追い抜こうとする車とぶつかりそうになることがある。歩行者には反対車線に歩道があるけど、自転車にはない。
 平日の昼間で人はいないので、歩道を走っても多分バレないとは思う。でもどこで誰が見ているか分からない。これ以上、悪いウワサは立てたくなかった。
 次の目的地である書店は大きなカーブの途中のふくらんだところにある。もともとは川に続く崖だったが、数年前に埋め立てられ、そこに書店ができた。ここができる前は書店が車で一時間以上かかるところにしかなかったのもあって、できた当時はとても喜ばれていた。最近、カフェが併設されたこともあって再び賑わっており、すっかりこの町の人気スポットだ。
 とはいえ今は平日のお昼どきだからいたとしても主婦とか平日休みの大人だけで、クラスメイトや先生はいないだろう。もう少し後になると、小学生の下校時間と重なり、交通安全で立つ先生に見られかねない。なので、急いで向かう必要がある。
 ぼくはギアを最大にして立ち漕ぎで書店まで急いだ。
 駐輪場に着き、自転車を停めようとしたところで「おい」と声をかけられた。
 その声に思わず体がこわばる。逃げたいのに、体は動いてくれない。
「不登校のくせにサイクリングとは……いい度胸してるじゃねぇか」
 この時間帯に学校外にいるということは、そっちも休んでいるじゃんか。そう思いはしても、もちろん声には出せない。すると「何黙ってんだよ!」とお腹を殴られる。もちろん痛い。でも、自分から痛いなんて口にできない。それなのにこいつは「痛いか? なぁ」と聞いてくる。無視したらまた殴られるので「痛い……です」と返す。
「妹が受けた痛みはこんなもんじゃねぇんだぞ!」
 先ほどより強く、今度は腕を殴られた。
「お前のせいで……妹は! 大会に出られなくなったんだ! その痛みに比べれば、こんなの痛くないよな!」
 痛いと答えればこう言われて殴られ、痛くないと言えば「俺のパンチが弱いっていうのか?」と殴られる。結果、こいつが満足するまで続く。
「なんで、外に出てんだよ。お前みたいなクズが……一生家から出てくんなよ。死ね」
 死ねという言葉に胸がドクンと高鳴った。正直、ぼくは殴られる痛みよりも、この言葉のほうがつらい。
 お母さん、と呟きそうになったのをズボンの裾を掴んでこらえた。すると、ズボンの中に入れていた財布が落ちる。男はそれを拾ってお金がいくらあるかを確認し、
「なんだ? たった1500円かよ……こんなんじゃ、隣町にも逃げられやしねぇよ。何に使うつもりだったんだよ」
 プリペイドカードと答えようとして、“プリ”のタイミングで殴られたので、変な声で擬音を発したみたいになる。
 男はそれを笑ってから、
「プリペイドカードか……。どうせそれで今流行りの戦争ゲームでもやってんだろ? うちの妹だけじゃ飽き足らず、本当にお前は暴力最低男だな!」と言い、また腕を殴る。今日一番強く殴られ、また「痛いか? あぁ?」と聞かれる。でもぼくは答えられなかった。
 暴力最低男。その文字が、声が、音がぼくの頭の中を埋め尽くす。ぼくは殴られても何も言えず、その場に倒れ込んでしまった。
 そんなぼくの背中にこいつは「お前、あそこで本盗んでこい。今日出たばっかの最新のやつ」と言い放った。
 ぼくの回答は“はい”か“YES”しかない。いや、“YES”なんて答えようものなら、たぶんふざけてんのかと殴られる。それを骨の髄まで知っているぼくは、
「はい」
 と答えることしかできなかった。