御伽噺にはなれない―お人好し文官と奇人魔術師の宮廷事件簿―

「あの、今回はどうして」

 教務棟の彼の部屋に入り椅子に腰をかけたところで、アルドリックは少し性急に問いかけた。
 教務机で頬杖をつく彼の表情はいつもと同じ静かさで、防音を張り巡らせた室内に余計な雑音は届かない。
 この部屋だけの静寂の中で、エリアスは小さく息を吐いた。

「面倒なにおいがしたからな」
「面倒なにおい?」
「ビルモスだ。念のためと思って見に行けば、ものの見事に絡まれているときた。さすがに放っておけないだろう」
「いや、僕も絡まれるつもりはこれっぽちもなかったんだけど」

 なかったのだが、絡まれたことも、助けられたことも事実である。アルドリックは肩を落とした。

「……なんだか、ごめん」
「戦う理由を探しているただの戦闘狂だ。気にするな」

 知りたくなかったよ、という何度目になるかも知れぬ台詞を呑み、はは、と疲れた愛想笑いを刻む。よほど哀れに見えたのだろうか。こちらを見やったエリアスが、宥めるつもりらしいことを言った。

「べつに、適当に反故にすればいいだけの話だ」
「そういうものなの」

 愛想笑いを刻み直せばいいのか、どうなのか。わからなくなり、アルドリックは膝に目を落とした。この学院は、理解したくない事象であふれている。

「きみはさ」

 うつむいたまま、アルドリックは問い重ねた。

「嫌じゃないの? その、……ここで、いろいろと言われることは」

 さざ波のような大きさであっても、届けば同じことだ。エリアスは気にしない顔をするけれど、自分の耳には嘲笑が残っている。

 ――やっぱり、たいしたことないんだ。
 ――本当。すごい逃げっぷり。学院生だったころも、ああやって誤魔化してたんじゃない?

 くすくす、と。小馬鹿にしたように囁き合う声。
 この子であれば、友人がいなかったとしても、ひとりで勉学に励んでいただろう。三日前、楽観的に自分は考えていた。そういう子だから、と。
 だが、数日を過ごす中でわかったのだ。この学院は、ヒエラルキートップが白と言えば、黒いものでも白になる。ヒエラルキー最上位は、魔術兵団を目指す優秀な生徒たち。彼らのさらに上に君臨する指導者が、シュミット女史だ。
 その彼女が見下しているという雰囲気を出すだけで、宮廷勤めを選ばなかったというだけで。十年にひとりの天才も、馬鹿にする対象になる。アルドリックはぎゅっと手を握り込んだ。

「僕は嫌だよ」
「嫌? なぜ」
「それは……」

 自分の勝手な憧れを、踏み潰された気がしたから? 答えに迷い黙り込めば、かすかな溜息が響いた。

「いまさらだ」
「でも」
「慣れていると言っただろう」
 
 惚れ薬を持って、宮廷を連れ回したときのことだろうか。第三者からの不躾な視線に。気に食わないが慣れている、と。たしかに彼は言った。
 再度黙ったアルドリックに、エリアスは繰り返した。

「気にするな」
「……でも」
「簡単に再起不能にできる相手と思えば、まともに取り合うほうが馬鹿げている」
「駄目なやつだなぁ、きみも」

 平淡なはずの彼の声音に感じた気遣いに、どうにか茶化すように笑う。だが、アルドリックの心の内側はささくれ立っていた。

 ――こんなふうに苛立つことなんて、滅多にないはずなんだけどな。

 人当たりの良さと気の長さだけが、数少ない長所だというのに。心を持て余したまま、自嘲する。
 慣れない環境に身を置き、事件の手がかりを見つけることもできず、焦っているのだろうか。それもあるだろう。だが、それだけではきっとない。