御伽噺にはなれない―お人好し文官と奇人魔術師の宮廷事件簿―

 ――それに、ただの同僚に恋心を指摘されたくはないだろうし。

 自分の立場に置き換えると、顔から火が出るほど恥ずかしい。なにより、彼女はきちんとした大人なのだ。
 弁えているに違いないと言い聞かせ、「じゃあ」とアルドリックは立ち去ろうとした。

「わ、……と、魔術師殿」

 思いのほか近くにいたエリアスとぶつかりそうになり、驚いた声になる。が、彼は一瞥を向けただけだった。

「それを使うつもりなのか」
「え」

 これまで三度。一度も口を挟まなかったエリアスが、静かに忠告を告げる。
 ぎょっとしたものの、「魔術師殿」と袖を引くことはできなかった。

「やめておけ。人の心を変えることのできる薬など存在しない」

 涼しい顔のエリアスと、真っ赤な顔で瓶を握りしめるクレイを順繰りに見やる。
 ついてくると言い張ったのは、落とし主に釘を刺すためだったのだろうか。小さなころと同じだ、なんて。上から目線で呆れていた自分が居た堪れないやら、なにやらで、アルドリックは溜息を吞んだ。
 薬の恐ろしさを知る魔術師として、彼の忠告が正しいこともわかる。だから、静止することはできなかった。でも。

「勇気が必要だったんだよね」

 やんわりと割って入ると、縋るようにクレイの目線が動いた。きれいな瞳を見つめ、そっと笑いかける。
 彼女が思いを寄せて嫌がる人など、きっと宮廷にはいないだろうに。本心でそう思うけれど、彼女は不安だったのだ。
 だから、惚れ薬に頼って、勇気を出そうとした。正しいやり方ではなかったとしても、気持ちを晒し上げる真似はしたくない。その思いで、アルドリックは続けた。

「でも、大丈夫。おまじないに頼らなくても伝えることはできるよ。叶うかどうかはわからないけど、一歩進むことは、きっと」
「……ありがとうございます」

 本意を咀嚼するような間のあと、自分たちそれぞれにクレイは頭を下げた。泣き笑いの顔でほほえみ、瓶を包んでいた手を広げる。

「アルドリックさん、ごめんなさい。せっかく届けてもらったんですけど、お返ししてもいいですか」
「もちろん」

 エリアスが頷いたことを確認して、アルドリックは小瓶に手を伸ばした。なんでもないふうに笑い、胸ポケットにしまい込む。

「落とし主不明ということにしておくよ」
「よろしくお願いします」

 もう一度頭を下げ、クレイは表情を改めた。

「じゃあ、私はこれで。早く持って行かないと」

 ちょっと冷めちゃったかな、とはにかみながらトレイを持ち上げる。恋をしているのだなぁとわかる横顔。どこか照れ臭そうだった彼の表情を思い出し、アルドリックはお節介を焼くことに決めた。

「そうしてあげて。バナードさん、きみからの紅茶、楽しみにしているみたいだったから」
「え、……え?」

 狼狽する彼女を、行ってらっしゃい、と見送って、ようやくエリアスへと向き直る。

「ありがとう、魔術師殿」
「なにがだ?」
「彼女と話をさせてくれて。見守っていてくれただろう?」

 そう言えば、エリアスは呆れたふうに眉を寄せた。だが、アルドリックは、照れた顔と知っている。

「おまえは本当に人が好い」
「最後まで付き合ってくれるきみも、十分に人が好いと思うけど。まぁ、でも、とりあえず」

 遅くなったけど、行こうか。子どもの時分とさして変わらない文句で誘ったアルドリックに、エリアスは眉を寄せたまま、けれど、ひとつこくりと頷いた。