君の心が聴けた日を記念日としよう

翌朝、ソファーの上で目が覚める。どうやらそのまま眠ってしまったようだ。汗を染み込んだ昨日の服は強烈な臭いを放ち、身体もベタベタになっていた。

「お?起きたか?さっさと着替えちまえよ。すげぇ臭いしてるぞ」
「あ、うん」

服を脱ぎ捨てシャワーを浴びる。

「あ、そうだ部活に連絡してないや…」

なんでこんな時に思い出すんだ。どうせなら上がってから頭の中に出てきてくれればいいものを。ゆっくり入りたかったが、気になってウズウズしてしまう。

「早いな。もう上がったのか」
「うん。部活に連絡してないの忘れてて」
「あぁそれなら大丈夫だぞ。父さんが連絡しといた」
「え?ありがとう…なんて連絡したの?」
「体調不良だって言っといた」

さすがに母さんのことは正直に話せないか。

「あんまり言わない方がいいと思うんだ」
「何を?」
「母さんのこと。なんで正直に言わなかったんだろうとかそんな感じのこと思ったろ?」

この人はエスパーか何かか。

「変に言って周りに気を遣われるよりいいと思ってな。その方が母さんも俺も慎太郎も楽だろうから」

一理ある。いちいちどうしたのって質問に返すのも面倒くさいし、その度に思い出さなきゃいけないのも辛い。

「そうだな…そうしよう!」

ーープルルルル。

父の携帯が鳴った。

「はい……はい……あ、そうですか。では今から向かわせて……はい……失礼します」

電話を切りこちらを振り向く。

「病院に行こう。もう目覚ましたって」
「え?もう?早いな」
「うん。でもまだ母さんには説明してないらしい。俺ら3人が揃ったタイミングでちゃんと説明するんだって」
「そうなんだ」


ーー病室内。

「母さん…」
「あら、慎太郎。今日は部活休み?」
「さすがにね」

痛々しい母の姿を見て胸が苦しくなる。

「母さんごめん…俺がわがまま言ったから…」
「何言ってんのよ。何も悪いことしてないでしょ?私のほうこそ試合見に行けなくてごめんね。元気になったら今度こそ見に行くから」
「うん…」

病室の扉が開き、担当医の安田が入ってきた。

「皆さんお揃いですか?」
「はい」
「ご家族の方には昨日ある程度ご説明しましたが、念のためもう一度聞いておいてください」
「真由子さんの状態ですが……」

昨日と同じ説明だ。これを聞いた母がどう思うか。それだけが心配だった。

「……いわゆる、完全麻痺です。回復の見込みはほとんどありません」
「え…?え?いやちょっと、え?」

あまり状況を飲み込めていないようだ。気が動転している。

「今、私についてる足がですか?」
「はい…」
「ついこの間まで動いていた足がですか?!」
「そうです」

呼吸が少しずつ荒くなっていく。

「そんな…でも形はあるし、存在はしてる…」
「おそらく触られた感覚もなく動かすこともできないと思います。便意すら感じることもできません。手先も同じように…」

母は足を思い切り動かそうとする。しかし上半身が動くだけで足は一切動かない。肘は曲がっても手先の感覚がない。自分が今何に触ってるのかさっぱりわからない。

「ね、ねぇあなた…!慎太郎!これ本当?!ねぇ!」

かける言葉が見つからない。慎太郎は目を合わせることなく唇を噛み締めて静かに頷いた。

「う、嘘よ!私を元気付けようと嘘ついてるだけでしょ?!ねぇ…」

母の目からはポロポロと涙が落ちている。

「触ってみてよ…」
「え?」
「触って!私の足に!」
「でも…」
「いいから!」

慎太郎は恐る恐る母の足に手を伸ばし。力強く握った。

「…うぅ」

感覚がない。嘘じゃない。みんなが言っていることは本当だった。

「そんな…こんなの…こんなの人間じゃない!こんなんだったら死んだほうがマシだった!」
「それ本気で言ってんのか?」

後ろで静かに見守っていた、父が突然、口を開いた。

「俺は真由子に命があって本当によかったと思ってる。それは慎太郎も同じ。お前が死んだら悲しむ人はたくさんいる」

母はただ父を見つめていた。

「慎太郎は自分のせいで事故にあったとずっと落ち込んでた。死んだらどうしようってずっと不安がってた。命に別状がないって聞いた時、久しぶりにこいつの笑顔を見たよ。それでもまだ死んだ方がいいか?」
「……いえ、私が悪かったわ。ちょっと気が動転してたかも」

「真由子さんの容態ですが、まだ手術後で安定しないのでしばらく入院生活となると思います。退院までの期間はご家族の皆さんには退院後の介護の準備の時間に充てていただけるとありがたいです」
「介護の準備?」
「えぇ。この先、歩くことや1人で排泄行為を行うことが困難を極めるため、ご家族のサポートが必要となります」
「なるほど。退院まではどれぐらいで?」
「1週間程度を予定しています」
「わかりました」

「じゃあ真由子、また明日来るから」

母は静かに頷いた。

慎太郎たちは病院を後にした。

「どうするか…」
「何が?」
「いやぁ介護だよ。覚悟はしてたけどいざとなると大変だなぁ」
「介護施設とかじゃダメなの?」
「それも考えたんだけどあの様子だと家族の近くにいた方がいいような気がする」

確かに。今あの不安定な状態で、俺と父さんの目の届かないところに行ってしまってはこっちとしても不安だし、母さんも何をしでかすかわかったもんじゃない。

「じゃあどうするの?」
「自宅介護にしようと思って。大変だけど母さんのためだ」

自宅介護か…ということはきっと付きっきりになるんだろうな。ある程度の自由はなくなるなぁ。まぁしょうがないか、誰も責められない。


ーー時は戻り、現在。
慎太郎は待合室の椅子に背中を預け目を瞑っていた。

「あの子また来てるよ……」
「……平日なのにねぇ」
「誰かの……なのかな……」

聞こえてないとでも思っているのだろうか。院内は静まり返ってるんだ。少しでも話せばその声は周りに聞こえるのに決まってるのに。

ここに母さんがいなくて良かった。噂されてるところを見られたらどんな風に暴れ出すかわからない。

「慎太郎」
「おぉ。終わった?どうだった?」
「帰るよ」

はいはい、無視ですか。

周りからの視線が集まっている。慎太郎はペコペコと少し頭を下げながら病院を後にした。

「変な噂されてた?」
「まぁ…でも母さんというよりは俺の」
「そう。だから病院は嫌なのよ」
「そんなこと言ったってしょうがないじゃない」
「最近は近所の人たちにも怪しい目で見られてるような気がする。特にあのクレーマーおばさん」

それは俺も感じている。普段話しかけられることなんてないのに今朝は向こうら話しかけてきた。

「でもそこまで干渉してこないよ。多分」
「ふざけんな!冗談じゃない!今まで健康に過ごしてきてた人が障害を持って帰ってきたら話題になるに決まってるでしょ!馬鹿にされるに決まってる!」

耳がキーンとなるほどの大声だ。

「そこまで悪い人かな?大丈夫だとは思うけど」
「それでもよ!そもそも障害があることをあまり周りに知られたくないのに近所に知れ渡ってるってだけでこっちからしたらすごいストレスだわ」


ーー翌朝。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

ヘルパーと入れ替わるように慎太郎は登校のために家を出る。

「あら、今日は学校なのね」

この時間におばさんに会うのは珍しい。まるで待ち構えていたようだ。

「まぁ学生なので。何もない平日は普通に学校ですよ」
「そりゃそうね。ところでさっき家に入って行った人は誰?」
「はい?」
「誤魔化しても無駄よ。見てたんだから」

まじでこいつなんなんだ。そこまで俺らに執着する理由はなんだ?何が狙いだ?

「あぁ…家事手伝いですよ。最近散らかっててどうしようもなかったんでお願いしたんです」
「ふーん」

おばさんの目線はうちの玄関に向いている。

「なんですか?」
「いや、なんでもないわ。遅刻するわよ早く行きなさい」
「はぁ…じゃあいってきます」

心配だが、このままここでおばさんと言い合ったって意味がない。

おばさんの冷たい目線を感じながら学校へ向かった。


ーーその日の夜。

「ただいまー」
「あ、おかえりなさい」
「え?村瀬さんどうしたんですか?もう契約時間はとっくに…」

いつもなら家に帰った時にはいないヘルパーの村瀬が今日はまだ家にいた。

「実はどうしてもお伝えしなきゃいけないことがありまして…」