君の心が聴けた日を記念日としよう

 ーーはぁっ!はぁっ!

顔から噴き出る汗を腕で拭い、全速力で病院へ向かう。

「すみません!母が!はぁ…はぁ…母がいるはずなんです!」

突然、病院の受付へと入り込んできた若者に待合にいた人たち全員が視線を向けた。

「お、落ち着いてください」
「あの!母が!」
「まずは落ち着いてください。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「立石です!母が救急搬送されたと聞いたのですが」

若い受付員はパソコンに向かい何かを打ち込んでいる。きっと調べてくれているのだろうが、その時間も慎太郎にとっては惜しかった。

こっちの気が短くなっているのはわかるかっているが妙に落ち着いて行動する受付員に徐々に腹が立ってきた。

急いでんだよ!早くしろよ!と言いたいところだがぐっと飲み込んだ。その代わり、机を一定のリズムで指で叩いたり、片足をトントンしたり、行動として苛立ちが表れていた。

「確認が取れました。現在緊急手術中となります。待合室のほうへ案内いたしますのでこちらはどうぞ」

受付を右に進み、診察室、放射線室を通り過ぎさらに奥へと進んでいく。少し薄暗くなった廊下のその先に手術室はあった。手術中と赤いランプが灯っている。

「手術が始まって1時間ほどが経過しています。おそらくまだ時間がかかると思いますので、こちらの部屋でお待ちください」

案内された待合室には長机が2つに椅子が4つ。自動販売機が一台設置された狭い部屋だった。

椅子に浅く座り天井を向いてふぅーっと息を吐く。

特に触る用事もないがポケットからスマを取り出しSNSを見る。内容が入ってこない。ホーム画面に戻り、どのアプリを開こうかと模索するもどのアプリもしっくりこない。

立ち上がり自動販売機以外何もない部屋を散策する。

とにかく落ち着かなかった。何かしていないと何か考えていないと母が死んでしまうのではないかと、ずっとそんなことを思ってしまう。

何故事故にあったのが母だったんだろう。そもそも外に出なきゃ事故に遭うこともなかったんじゃないのか?俺が試合見に来て欲しいなんて言わなければこんなことにならなかったんじゃないか?

そんなネガティブな気持ちが慎太郎の心を蝕んでいく。気づけば勝手に涙がこぼれ落ちていた。

「慎太郎!」
「あ、父さん…」

慎太郎は泣いてるところを見られまいと急いで涙を拭いた。

「母さんはどうだ?」

首を横に振る。

「まだあの中にいる」
「そうか…なんだって母さんがこんなことに」

慎太郎は俯いたまま手術室に近づき、口を開く。

「俺のせいなんだよ」
「え?」
「俺のせいで母さんがこんな目に遭ったんだ」
「どういうことだ?」

父はゆっくりと近づき、手術室の横にあった長椅子に腰を下ろした。

「俺今日試合だったんだよ。背番号1での初めての試合」
「あぁ知ってるよ」
「その試合見て欲しくてさ、いつもは来ないけど今回は来てくれないかって母さんに頼んだんだよ…。そしたらこんなことになっちゃって…俺が…俺が試合見に来てって言わなければ事故に遭うこともなかっただろうし!俺が余計なこと言ったから…」

泣きたかなかった。情けないし、ダサいし。何よりここで泣いたらまるで母の死を認めてしまうような気がしてならない。しかしその意思とは反対に勝手に涙が溢れてくる。

「慎太郎にはそう見えてたのか?」
「どういうこと?」
「母さんなぁ…試合すごく楽しみにしてたんだ。久々に試合を見に行けるって。慎太郎が1番取って帰ってきたってすごく喜んでた。久々にあんな笑顔な母さんを見たよ」

そう聞くとなおさら悔やまれるような気がする。

「だからさ…自分のせいだなんて思わなくていいんだよお前は心の優しい子だからどんな言葉をかけたとしても、どうしても自分のせいにしちゃうかもしれないけどそんなことはない。大丈夫だからな」

自分で中にあるリミッターのようなものが外れた。泣いていいんだよ。そう言われているような気がした。慎太郎は父に抱かれながら子供のように泣いた。


ーーガチャン!

手術中というランプが消え、扉が開く。

「あ、先生ですか?私その…」
「立石真由子さんのご家族の方ですね?」
「はい…」
「私、手術を担当させていただきました。安田と申します。真由子さんの状態についてご説明いたしますので控室でお待ちください」

控室へと促され、医師を待つ。そわそわして落ち着かない。

「お待たせいたしました。では説明の方に移らせていただきますね」
「はい。お願いします」
「手術は無事終了しました。今のところ命に別状もありません」

その言葉を聞いた瞬間、身体中に乗っかっていた重りが全て消えてなくなったような気がした。

「ぃよかったぁぁ」

父も安堵したようだ。

「ただですね。今回の場合、後遺症が残ると思われます」
「後遺症ですか?」
「はい。真由子さんの容態なんですけれども、頸髄を損傷しています」
「頸髄…ですか?」
「はい。いわゆる首の部分ですね」
「首って危ないんじゃ…」
「落ち着いて聞いてください。頸髄にも場所によって後遺症のレベルが違います。今回の真由子さんの場合C5と呼ばれるレベルになります」
「C5ですか?」

いまいちよくわからない。父もそんな様子だ。

「頸髄損傷レベルC5。これは下半身の麻痺と手先の麻痺を表します。ケースや損傷度合によってはリハビリで良くなるケースもありますが、真由子さんの場合、完全麻痺となりますので回復は難しいかと…」

消えていった重りは一瞬にして戻ってきた。
完全麻痺って要するにもう歩けないってこと?え?なに?急に言われてもどういうことか全く理解できない。

慎太郎は説明を受けたのはいいものの急すぎる展開に頭がついていかなかった。

「それってやっぱりお医者さんでもどうすることもできなかったんですか…?」
「はい。運ばれてきた時にはすでに」
「そうですか…」
「父さん…」
「すみません。命を助けていただきありがとうございました」
「はい。全身麻酔ですのでしばらく目は覚さないと思います。目が覚めた時点でこちらからご連絡いたしますのでそれまで自宅の方で待機をお願いいたします」
「あの…お見舞いとかには…」
「もちろん来ていただいて構いません。お母様もお喜びになられると思います」

2人は病院を後にし、車に乗り込んだ。車の中は一切会話はなく、AM局のラジオが流れていた。

「あ、そうだ。お前ご飯食ってないだろ?コンビニ寄るからなんか買ってこい」
「…うん」

なんか買ってこいと言われても特に食欲があるわけではない。いつもならショーケースの揚げ物やお弁当などに目が行くが、今日は一切見向きもしなかった。サンドイッチを一個だけ買い、車へと戻る。

「それで足りんのか?」
「…うん。大丈夫。足りなかったらあとで自分で買いに行くよ」
「そうか」

家に帰り、玄関の扉を開ける。いつもならリビングの明かりがついていて、ただいまという声が響いてくるが今日は部屋の中は暗く、その声も聞こえてこなかった。

「明日は土日だろ?部活どうするんだ?無理しなくてもいいんだぞ」
「流石にちょっと無理だから休むよ」
「そうしたほうがいい。多分自分でもわからないほどショックを受けてるだろうからな」

そう言いながら父は温かいココアを出してくれた。
いつもなら絶対に足りないはずだが、今日はサンドイッチ一個でもお腹いっぱいになった。