僕は、ここにいてもいいですか。

それから十数年。
僕はある市民講演会に講師として招かれていた。
壇上で話す僕の後ろには、『死刑と裁判員制度について』という看板が掲げられている。
僕は200人ほどを前にして、自分の研究テーマについて講演を行った。
1時間ほどで講演を終えると、安堵のため息をつきながら控室へ戻った。
パイプ椅子に腰かけ、ペットボトルの水を流し込んでいると。
トントン――。
誰かが扉をノックした。
「どうぞ」
そう言うと、扉はゆっくり開いた。
その姿が見えた瞬間、思いがけない人物の登場に目を見開いた。
「やあ、リン」
「……えっ」
そこに立っていたのは、紛れもなく直海さんだった。
直海さんは驚異的なほどに昔と変わっていなかったため、一目ですぐにわかった。
「忘れたのか?俺だよ、駿河直海。リンの家庭教師だった」
……ったく、この人は。馬鹿じゃないのか?
忘れるわけないじゃないか。
「いやぁ、まさかリンの講義を聴くことになるとはなぁ」
腕を組んでにやりと笑う。
十数年ぶりの再会だというのに、このライトな感じに苦笑しそうになる。
この人には時間の感覚というものがないのだろうか。
「え?なんでここにいるの?」
「俺さ、ここで中学校の先生してるの」
直海さんは屈託なく笑った。
昔と変わらない笑顔、雰囲気。
胸が……
熱くなってしまう。
どれほど会いたかったか。
あなたがいなくなってから、僕はずっと不器用だった。
「そうだったんだ……」
僕は、思わず直海さんを下から上へなめるように眺めた。
「そんな珍しいもの見るみたいに見るなよ」
「いや。だって、珍しいでしょ」
「まあでも、元気そうでなによりだよ」
それはこっちの台詞だ。
イギリスに留学したきり、音信不通になってしまって。
生きているのか死んでいるのかすらわからなかったのは、あなたの方なのに。
「直海さんも、生きててよかった……ほんとに」
「おおげさだなぁ」
「おおげさじゃないでしょう。手紙も電話も通じなくなったら、心配になるよ」
「まあ、そりゃそうか……悪かったな」
直海さんはばつが悪そうに頭を掻いた。
「せっかくだから、どこかでお茶でもする?」
「悪いな。俺、この後用事があるんだわ」
「そうか。だったら仕方ないね」
「悪いな。じゃあ、またな」
そう言うと、直海さんは部屋を出て行った。
扉がばたんと閉まり、また控室にひとりになると、今さっきまでの出来事が嘘のように思えた。

じゃあ、またなって。
連絡先、わからないじゃないか。
思わず苦笑がもれる。

ああ。
あなたはそうやってまた、僕の前から姿を消してしまうんだね。
まるで気まぐれな風のようだ。
決して、つかまえることはできないんだね。
十数年もの時間が過ぎれば、それぞれの時間がある。
積み重ねたものがある。
少しずつ積み重なったものは、簡単には変えられない。
僕たちはもう、勢いだけでは動けない年齢になってしまったのかもしれないな。
なんてことを思っていると、今度はノックもなしに突然扉が開いた。
「直海さん」
「これ、渡しとくな」
そう言うと、直海さんは僕に名刺を手渡した。
僕も名刺を渡そうと取り出している間に、直海さんはさっさと部屋を出て行ってしまった。
「忙しい人だな」
僕は受け取った名刺を眺めた。
本当に先生してるんだ。
そして、裏側を見たとたん、思わず吹き出してしまった。
そこには、慌てて書かれた携帯電話の番号に添えて、『メッセージ24時間受付中♡』と書かれていた。
「まったく、あなたって人は……」
名刺を握りしめたまま、僕は笑わずにはいられなかった。

知らない間に、涙が頬を伝っていたけど。