雨がしとしとと降り続いている。
なにも考えず、闇に飛び込んだ。
走った。
ただ、走った。
「君島麟太郎」という人格を全否定された気がした。
雨のしずくが髪を伝って顔に滴り落ちる。
なにもかも流れてしまえ。
無になってしまえ。
ずぶ濡れになった僕は、あるアパートの前で足を止め、一室を見上げた。
明かりが灯っているのが見えると、僕の胸は少し熱くなった。
外階段をゆっくり上り、その部屋の扉まで来ると、僕は大きく深呼吸をし、チャイムを押した。
「は~い」
直海さんの声がした。
どたどたと足音が近づいてくる。
そして、直海さんは扉を半分だけ開けて顔を出した。
僕は顔を上げられなかった。
直海さんは、ずぶ濡れになった僕を見て驚いたのか、一瞬言葉を失くしたようだったけど、
「入んな」
とだけ言って、僕を招き入れてくれた。
服がぐっしょり濡れていた僕は、玄関で立ち尽くしていた。
直海さんは急いで洗面所へ行き、バスタオルを持って戻ってくると、
「早く拭きな。風邪ひくぞ」
と言って、僕にバスタオルを軽く投げた。
受け取った真っ白なバスタオルは、ふわふわで少し石鹸の匂いがして、心地よかった。
「とりあえずシャワー浴びな。着替えは俺の貸してやるから」
僕は力なくうなずくと、直海さんに言われるがまま浴室へ行った。
蛇口をひねると勢いよくお湯が出て、一気に湯気が広がった。
冷え切った体に打ちつけるシャワーは、一瞬感覚がなくて、そして急に熱く感じた。
熱を感じたとたん、僕は自分が今生きていることを思い出した。
浴室を出ると、きちんとたたまれたトレーナーとジャージが置かれていた。
トレーナーの袖に手を通すと、バスタオルと同じ石鹸の香りがした。
うつむいたまま部屋へ戻ると、直海さんは、
「お。ちょうどいいな」
と言ってにっこり笑い、テーブルにカフェオレの入ったマグカップを2つ置いた。
「まあ、座んなよ」
直海さんはそう言うと、床に散らばった本やCDを押しのけた。
僕がラグマットの上に腰を下ろすと、直海さんはカフェオレを僕に勧めた。
マグカップを両手で包み、少しだけ口にすると、想像以上にミルクと砂糖が入っていて甘かった。
だけどその甘さが、体の芯まで届いたような気がして少しほっとさせてくれた。
直海さんは僕になにも尋ねず、ただ、カフェオレを口に運んでいる。
「ねぇ。直海さん」
「ん?」
「……さっきは、ごめん」
小さく呟くと、直海さんは穏やかな笑みを浮かべた。
「リンはなにも悪くないじゃないか。俺の方こそ悪かった。余計なことをしたね」
「……余計なこと?」
「リンの母さんを驚かせてしまった」
「違う」
僕の声が低くなった。
「え?」
「どうして直海さんが謝るの?」
「……」
「どうして、全部自分のせいにするの?」
唇を噛む。
「なんだよ!どいつもこいつもさ。みんな勝手なことばっかすんなよ!父さんも母さんも、直海さんまで!僕の気持ちも知らないで!」
ああ、なに言ってんだ。
こんなこと言いに来たんじゃない。
こんなことが言いたいんじゃない。
「どうした、リン。なにがあった?」
直海さんは、心配そうに僕の顔を見つめている。
「なんでもないよ!もう帰る!」
帰るって、どこへ帰るつもりだ?
今の僕に、帰る家なんてないじゃないか。
一瞬そう思いながらも、勢いよく立ち上がり、玄関の方へ歩き出そうとした時だった。
直海さんにしっかりと手首を掴まれていた。
直海さんはまっすぐ僕を見つめている。
「リン。ここへなにしに来たんだ?」
その静かな問いに、目をそらせた。
「まさか、シャワーを浴びにきただけじゃないだろう?」
直海さんの視線が、痛かった。
僕は。
僕は……。
憤りと困惑が入り混じったさっきの父さんと母さんの顔が浮かんだ。
親でさえ、僕を認めようとしてくれなかった。
だけど。
ここに来れば、直海さんだったら、受け入れてくれるかもしれない、と思ったんだ。
直海さんなら、僕という存在を認めてくれるかもしれない、と思ったんだ。
それをはっきりと自覚すると、涙が頬を濡らした。
すると、直海さんは僕をぐいと引き寄せ、優しく抱きしめてくれた。
温かい。
ああ。
生きているんだ。
僕は、ここにいるんだ。
ここにいても、いいんだ。
直海さんの服をきゅっと掴んだ。
直海さんは僕の背中を優しくさすってくれていた。
『いいんだよ。大丈夫だよ』
と言ってくれている気がした。
なにも考えず、闇に飛び込んだ。
走った。
ただ、走った。
「君島麟太郎」という人格を全否定された気がした。
雨のしずくが髪を伝って顔に滴り落ちる。
なにもかも流れてしまえ。
無になってしまえ。
ずぶ濡れになった僕は、あるアパートの前で足を止め、一室を見上げた。
明かりが灯っているのが見えると、僕の胸は少し熱くなった。
外階段をゆっくり上り、その部屋の扉まで来ると、僕は大きく深呼吸をし、チャイムを押した。
「は~い」
直海さんの声がした。
どたどたと足音が近づいてくる。
そして、直海さんは扉を半分だけ開けて顔を出した。
僕は顔を上げられなかった。
直海さんは、ずぶ濡れになった僕を見て驚いたのか、一瞬言葉を失くしたようだったけど、
「入んな」
とだけ言って、僕を招き入れてくれた。
服がぐっしょり濡れていた僕は、玄関で立ち尽くしていた。
直海さんは急いで洗面所へ行き、バスタオルを持って戻ってくると、
「早く拭きな。風邪ひくぞ」
と言って、僕にバスタオルを軽く投げた。
受け取った真っ白なバスタオルは、ふわふわで少し石鹸の匂いがして、心地よかった。
「とりあえずシャワー浴びな。着替えは俺の貸してやるから」
僕は力なくうなずくと、直海さんに言われるがまま浴室へ行った。
蛇口をひねると勢いよくお湯が出て、一気に湯気が広がった。
冷え切った体に打ちつけるシャワーは、一瞬感覚がなくて、そして急に熱く感じた。
熱を感じたとたん、僕は自分が今生きていることを思い出した。
浴室を出ると、きちんとたたまれたトレーナーとジャージが置かれていた。
トレーナーの袖に手を通すと、バスタオルと同じ石鹸の香りがした。
うつむいたまま部屋へ戻ると、直海さんは、
「お。ちょうどいいな」
と言ってにっこり笑い、テーブルにカフェオレの入ったマグカップを2つ置いた。
「まあ、座んなよ」
直海さんはそう言うと、床に散らばった本やCDを押しのけた。
僕がラグマットの上に腰を下ろすと、直海さんはカフェオレを僕に勧めた。
マグカップを両手で包み、少しだけ口にすると、想像以上にミルクと砂糖が入っていて甘かった。
だけどその甘さが、体の芯まで届いたような気がして少しほっとさせてくれた。
直海さんは僕になにも尋ねず、ただ、カフェオレを口に運んでいる。
「ねぇ。直海さん」
「ん?」
「……さっきは、ごめん」
小さく呟くと、直海さんは穏やかな笑みを浮かべた。
「リンはなにも悪くないじゃないか。俺の方こそ悪かった。余計なことをしたね」
「……余計なこと?」
「リンの母さんを驚かせてしまった」
「違う」
僕の声が低くなった。
「え?」
「どうして直海さんが謝るの?」
「……」
「どうして、全部自分のせいにするの?」
唇を噛む。
「なんだよ!どいつもこいつもさ。みんな勝手なことばっかすんなよ!父さんも母さんも、直海さんまで!僕の気持ちも知らないで!」
ああ、なに言ってんだ。
こんなこと言いに来たんじゃない。
こんなことが言いたいんじゃない。
「どうした、リン。なにがあった?」
直海さんは、心配そうに僕の顔を見つめている。
「なんでもないよ!もう帰る!」
帰るって、どこへ帰るつもりだ?
今の僕に、帰る家なんてないじゃないか。
一瞬そう思いながらも、勢いよく立ち上がり、玄関の方へ歩き出そうとした時だった。
直海さんにしっかりと手首を掴まれていた。
直海さんはまっすぐ僕を見つめている。
「リン。ここへなにしに来たんだ?」
その静かな問いに、目をそらせた。
「まさか、シャワーを浴びにきただけじゃないだろう?」
直海さんの視線が、痛かった。
僕は。
僕は……。
憤りと困惑が入り混じったさっきの父さんと母さんの顔が浮かんだ。
親でさえ、僕を認めようとしてくれなかった。
だけど。
ここに来れば、直海さんだったら、受け入れてくれるかもしれない、と思ったんだ。
直海さんなら、僕という存在を認めてくれるかもしれない、と思ったんだ。
それをはっきりと自覚すると、涙が頬を濡らした。
すると、直海さんは僕をぐいと引き寄せ、優しく抱きしめてくれた。
温かい。
ああ。
生きているんだ。
僕は、ここにいるんだ。
ここにいても、いいんだ。
直海さんの服をきゅっと掴んだ。
直海さんは僕の背中を優しくさすってくれていた。
『いいんだよ。大丈夫だよ』
と言ってくれている気がした。



