一番上のお姉ちゃんは北杜。優しくて怒った所はほとんど見たことがないけれど、末っ子が生まれた時にウンザリした顔で「また増えた」と言ったのを僕は知っている。今でもそれはふたりだけの秘密だ。大人になってからは結婚して3人の女の子のお母さん。
二番目のお姉ちゃんは西夏。気が強くて周りが言いづらいことも全部口に出す。自分が正しいと思ったことは絶対に譲らない。「みっくんはいつでもあたしのこと信じてくれるもんね」が口癖だ。結婚した後もバリバリ働いてめちゃくちゃ稼いでる。
末っ子は胡東子。ワガママだけど、そのワガママで何故かいろんなことが良い方向に進んでしまう。甘えるのも得意だし友達が多い。スポーツ万能で大学を卒業した後はスポーツインストラクターをやっている。
僕は二番目のお姉ちゃんと末っ子の間。三番目で瀬戸家の長男。ほーちゃんほど優しくはないしせいちゃんみたいにメンタルは強くない。ことちゃんみたいに甘え上手でもない。皆スラッとしてモデルさんみたいだねと褒められているのに僕だけチビで脚が短い。ことちゃんが高校生になった時に背を抜かれて、僕はきょうだいの中で一番チビになった。
学校の成績だけは負けたくないと思いとにかく勉強した。県内有数の進学校に通って国公立大学に進学した。「チビでガリ勉とか非モテもいい所だよね」とせいちゃんに言われた。「服のセンス悪い。みっくんの隣歩きたくない」とことちゃんに拒否された。「みっくん頭良いから僻んでるだけだよ、多分」とほーちゃんにフォローされた。
せいちゃんとことちゃんの言うこともわかる。友達と遊ぶとか、部活を頑張るとか、恋愛を楽しむとか、そういうことは切り捨てて生きてきた。きょうだいという狭い世界で争うのももう辞めにしよう。とはいえ何から始めたら良いかわからない。とりあえずサークル活動でもしてみようかと思った。趣味は思い付かなかったが、家族全員が認めている僕の特技がカメラだった。ほーちゃんとせいちゃんの結婚式はもちろん、ことちゃんに至っては入学式から僕が撮っている。写真部にでも入ってみようと決めた。
サークルや同好会ではなく「部」と銘打っているだけに比較的真面目な活動と真面目なメンバーが揃っていた。チャラチャラした人とは気が合わなさそうだったので助かった。活動は主に年数回の写真展の企画運営、卒業アルバム委員会の運営だ。部員は全員卒業アルバム委員会の所属になっていて、大学の卒業アルバムを作っている写真館の撮影の手伝い等をする。写真館の人は部員向けの講習会を開催したりといろいろ世話をしてくれる。
僕は兼部もアルバイトもしていなかったので比較的多く活動に参加していた。部室に行けば大概瀬戸がいる、という感じだった。2年生になり代替わりすると、僕が代表になった。
活動自体は悪くなかった。それなりに楽しかったしやり甲斐もあった。ほーちゃんの家の三姉妹は写真展に出す写真のモデルになってくれた。せいちゃんはSNSに載せる自分の画像を撮影してくれと頼んできた。ことちゃんの部活の大会は毎回撮影に行った。瀬戸君の撮る家族ってキラキラしてるよね、と写真館の門脇さんに褒められた。家族の仲が良いってのが伝わるよね、と。
門脇さんは時々写真を撮りに行こうと僕を誘ってくれた。野草園やら動物園やらいろいろな所にカメラを持って行った。彼は面倒見が良く話好きで、穏やかそうな見た目のおじさんだった。部の飲み会ではいつも隣で僕の写真を褒めて励ましてくれた。
「瀬戸って門脇さんに気に入られてるよな」と周りから言われてからいろいろなことが気になり始めた。それまではいつも僕を気にかけてくれるいい人としか思っていなかった。誰にでもそうしていると思っていたので気に入られている自覚はなかった。どうして気に入られたのだろうか。僕と同じくらい真面目に活動してる人はいるし、もっと撮影が上手い部員もたくさんいるのに。
今まで門脇さんとふたりで撮影に行くことを何とも思っていなかったが、それも後ろめたくなってきた。最初は「僕だけではもったいないから」という理由で他の部員も誘った。次第に門脇さんに対して違和感がどんどん募っていって「ひとりでは何となく怖いから」という理由に変わっていった。誘った部員に「ふたりで行ってこいよ、おまえら仲良しなんだからさ」と茶化された時、やっぱりおかしいと思った。僕だけ特別扱いなんだ。何故だろう。
肩を叩かれたり頭を撫でられると怖くなってきた。普通はこんなことしないんじゃないかな、と思っても誰にも相談できなかった。せっかく楽しく活動しているのに部の雰囲気を悪くしたくないと思っていた。僕が多少我慢すれば良い。仲良しと思われているならそれでも構わない。代替わりすれば代表の仕事もなくなるし3年生になれば就活も始まって活動にはあまり関わらなくなる。そのまま門脇さんとの関係もフェードアウトできるだろう。
卒業アルバム委員会の活動が一段落した2年生の冬、門脇さんから「うちで飲まないか」と誘われた。「他の部員にも声掛けます」と申し出ると「瀬戸君だけでいいよ」と言われた。「卒アル制作一番頑張ってたの瀬戸君じゃない。瀬戸君だけでいいよ」と。委員会の活動もほぼ終わった。3月の写真展で代替わりもする。これで最後になるだろう。そう言い聞かせて誘いを受けた。
門脇さんは独身で独り暮らしだ。割と立派なアパートに住んでいた。暗室を作りたくて部屋数の多い部屋を選んだと門脇さんは言っていた。撮影ブースやら高画質なディスプレイのパソコンやらが揃っていて、写真部の部室を広くしたような部屋だった。
アルコールには強くも弱くもない。それなりに楽しく酔えるが飲み過ぎるとそれなりに気持ち悪くなる。どの程度飲めるか自分でもちゃんとわかっている。だから「酒のせいで」という言い訳は通用しない。完全に油断したというか、まさかそこまでしないだろうという気持ちだった。ある程度酔いが回ってきたタイミングで押し倒された。馬乗りになった門脇さんを押し退けようとすると顔と腹を殴られた。メガネがズレて視界がボヤけた。
門脇さんの力が強いわけでもない。酷い怪我を負ったわけでもない。こちらがもっと強く抵抗すればどうにかなったかもしれない。だが暴力を振るわれたこと自体に驚いたし怖くなった。体から力が抜けてしまった。服を捲られて下着を脱がされた。ことちゃんにさえ触らせなかったような所を触られた。写真を撮られた。
どうやって門脇さんのアパートを出たのか覚えていない。気が付いたらタクシーの後部座席に座っていて僕の住んでいるアパートの前まで来ていた。お金は既に支払われていた。インナーの裾が見えていて、せいちゃんにまた「だらしない」と言われてしまうと思いながらズボンに押し込んだ。
しばらくは大学へ通った。頭はぼんやりしていたが体は動いた。が、ある日突然体も動かなくなった。朝いつもどおり大学へ行こうと身支度をして玄関まで歩いた辺りで急に何もできなくなった。変な汗が出てその場にへたり込んだ。携帯電話が何度か鳴ったが出られなかった。
どれくらい時間が経ったのかはわからないが、インターホンが鳴った。応答できないでいるとドアをやや乱暴に叩かれた。
「みっくん、みっくーん。おーい。いるのー?いないのー?おーい」
ことちゃんの声だ。僕が進学して独り暮らしを始めた時から何故か毎朝ことちゃんからメールが届いていた。無視も可哀想なので返信はしていた。今日はまだ返していなかった。
「みっくーん、みっくーん。もうしょうがないなあ。開けるよー?いいねー?」
実家に置いていた合鍵でことちゃんがドアを開けた。「あ、みっくんいたんじゃん。返事してよ」と唇を尖らせた制服姿のことちゃんの顔を見た瞬間涙がドッと溢れてきた。
その日から僕は大学を休んでアパートの中で過ごした。そんな生活を1ヶ月続けてもう通えないと悟った。「すみません。もう大学は行けません」と泣きながら母親に電話した。程なくして退学届を提出し実家に帰った。
何があったかは誰にも言えなかった。門脇さんから連絡が来ていたらどうしようと怖くなり携帯電話は解約した。撮られた写真がどこかに流出していたらと思うとインターネットも見られなくなった。人に会うのが不安で外に出られなくなった。
みっくんは頑張り過ぎたのだ、と家族は解釈して静かに見守ってくれた。ことちゃんを除いて。
引きこもりが始まって約1年後、ことちゃんがスポーツの名門校に進学した。家にいる僕に買ってきたばかりの本を押し付けて「みっくんご飯作ってよ」と言った。ことちゃんは寮生活をするものとばかり思っていた僕は驚いた。「家が好きなの。みっくんもそうでしょ」と言われぐうの音も出なかった。
仕方がないので本を見ながらアスリート向けの栄養バランスを重視した食事というものを作り始めた。最初は食材を自分で買っていたことちゃんは2年生になると「レギュラーに選ばれたから買い物の時間ない。みっくん買ってきて」と言った。客の少ない時間を選んで買い物をする生活をしばらく続けて、少しずつ外出を増やしていった。僕はことちゃんに「甘いものが食べたい」と言われれば高たんぱく低脂質なスイーツを作り深夜に「お腹空いた」と言われれば鶏胸肉に火を通したりなどした。大学に進学してもことちゃんは実家から通学するのを辞めなかった。ことちゃんの大学卒業が決まった日、彼女は僕に言った。
「近くで発掘調査するから臨時職員募集してるって。みっくん歴史勉強してたんでしょ?行ってきたら?」
アルバイト経験のなかった僕は文化財担当の職員にかなり迷惑をかけた。挨拶から指導され毎日のように叱られた。覚えることや改めることがあり過ぎて落ち込む暇もなかった。作業は炎天下の体力勝負。調査というよりは土木作業だった。
調査も終盤になった所で所属長から言われたのが、「長く続けてくれる子で良かった」という一言だった。聞けば文化財担当の職員は指導が厳し過ぎて途中でリタイアする非常勤が続出しているそうだ。知らなかった。食らい付くので精いっぱいだったので心が折れる暇がなかった。僕は仕事の経験もないし他に比べる職場がなかったので気が付かなかったのだ。発掘調査を終えた後文化財担当の職員が「瀬戸君が来てくれて本当に助かった」と言っていたのが印象的だった。実家の近くの公民館で非常勤職員の募集があると教えてもらったので面接を受けた。
公民館に採用されて、とりあえず何かしら仕事は続けられることをせいちゃんに報告すると「あたしは信じてたよ、みっくん絶対復活するって」と言われた。さらに「みっくん覚えてるか知らないけどさ」と話し始めた。「あたし中学の頃虐められてたじゃん。ハブられてるマリちゃん庇ってさ。その時みっくんずっとあたしが正しいって言ってくれたでしょ。あれ結構救われたんだよね。だからあたしもみっくん信じてた」
ほーちゃんは「せいちゃんとことちゃんには黙ってて欲しいんだけどね」と前置きして「ことちゃんのワガママ、わざとなんだよ」と言った。「ことちゃん、お父さんとお母さんがすごい喧嘩して空気悪い時に限って遊園地行きたいって言い出してたでしょ。あれ楽しい所に行って仲直りして欲しかったんだって。だからみっくんにご飯作らせてたのもそういうことなんじゃないかなーって。ことちゃんのこと許してあげてね」
公民館に勤める人達は皆優しくて厳しい指導をするような人はほとんどいなかった。これくらいの緩さが普通だったのかもしれないなと思う一方で、最初からこの職場にいたら僕は挨拶もろくにできない人間のままだったかもしれないなとも考えた。
この頃まで僕はペーパードライバーだったが、仕事で公用車を運転しなければいけないということで数年ぶりにハンドルを握った。MT免許を持っているので、本庁へ備品を借りに行く時や普段運転をしない職員の送り迎え、移動図書館車の職員の代理等あらゆる車を運転することになった。
そうしているうちに運転が楽しくなってきた。家と一緒に移動しているような安心感もあった。数年かけてお金を貯めて中古のN-VANを購入し、外泊だとか外食だとか、引きこもっているうちにできなくなっていたいろいろなことを車でカバーした。
箭内さんが公民館に異動してきたのは僕が32歳になる年の春で、正職の病休やら非常勤の退職が重なった時期にやって来た待望の職員だった。僕より10も歳下であるにも関わらず既に社会的規範を熟知した大人の男性だった。僕がまともに大学に通っていたとしてもこうはなれなかっただろうなと思った。人手不足で一年目からいろいろな仕事を任されて大変そうだった。仕事終わりにドライブをして午後9時頃に帰路に着くという時、公民館の事務室がまだ明るいことが何度もあった。箭内さんまだ仕事してるのかな、と心配になった。
箭内さんは仕事の苦労や疲れをあまり他人に見せない人だった。飲み会ではまた様子が違うのかもしれないが、外食が苦手な僕は職場の飲み会も欠席していたのでその辺りはよくわからない。僕も箭内さんぐらい大人にならないと、といつも思っていた。
彼は私生活のことも積極的に話さなかったので、両親が早くに亡くなっていることも、福島の祖父母に育てられたことも、祖父が認知症で介護が必要な状態であることも、退職を告げられた時に知った。そんなに大変ならもっと年休使えば良かったのに。僕が気の利く人間だったらもっと手伝えたかもしれないのに。少し悔しかった。自分が社会に溶け込むのに精一杯でいつも顔を合わせている人を助けられなかった。
箭内さんの祖父が倒れて急遽福島まで行かなければならないということで、僕が送り迎えを申し出た。僕が引きこもりからここまで何とか復活できたのは家族の存在があったからだ。おじいさんは離れていても大事な家族だろうし、何かあったらできるだけ早く駆けつけたいと思うだろうから、少しでも手伝いたかった。
福島と家を行き来するドライブも楽しかったし、箭内さんと話すのも彼のいろいろなことを知ることができて嬉しかった。ひとりで目的地に向かってひたすら走るのも好きだが、誰かに会いに走るのも悪くないな、と思えた。箭内さんが僕を遠ざけようとした時はものすごく寂しくなって、自分が彼との時間を、自分が思っていた以上に大事にしていることに気が付いた。箭内さんが下心を持って僕に接しているのなら、それに真剣に向き合うしかない。そうしないと箭内さんと過ごす時間を取り戻せないと思った。
とりあえず、引きこもりになった経緯と臨時で発掘調査の仕事をしていたことは箭内さんに話した。大事な話ならあの場所がいいかなと思いこちらから「コンタクトデッキで会いましょう」と誘った。
箭内さんは文化財担当の職員を知っていた。「あー、あの人」と納得したように頷き苦笑いを浮かべた。「厳しいって有名でした」
「有名なほど厳しいんですか」
「仕事はすごくできる人なんですけど、言い方がキツいというか」
「でも言ってることは正しかったから」
「そういうふうに考えられる瀬戸さんはすごいですよ。俺だったら心折れてます」
箭内さんだったらそもそも怒られないんじゃないですか、と思った。
「今の話聞いて納得しました」と箭内さんが言う。「確かに瀬戸さんと初めて話した時安定感あるというか、ちゃんとしてるなって思ったんですよ。あの人の所で最後まで働いてたならそりゃそうなりますよね。面構えが違う」
「自分ではあんまりそう思わないけど」
「なんで非常勤で働いてるのかな、とも思ってました。仕事できる人ならもっと給料いい一般企業あるのにって。その理由も、その、納得です」
「うん、まあ、昔の話なんですけどね」
「俺、自分のことで精一杯で瀬戸さんのこと全然助けられてなかったんだなあって」
「それはこっちの台詞です」
「俺にも手伝わせてください」
「あ、じゃあ」僕は閃いた。「今日のお昼、物産館で一緒に食べて欲しいです」
「あそこで何食うんですか」
「ピンカラ石ラーメン」
「石?石食うの?」
「あと、んだんだボールとほだほだボールも気になってて。あ、んだんだとほだほだはテイクアウトできるらしいんですけど、ピンカラ石ラーメンは、ほら、石だから」
「んだんだ?」
元々食べることは大好きだ。コンビニのおにぎりや期間限定のスイーツもチェックするし、ことちゃんのご飯を作っていたこともあって料理もする。ただ、外食だけは引きこもってからできていなかった。せっかく箭内さんと過ごす時間を作れるようになったのに一緒にご飯を食べに出掛けられないのはもったいない。そろそろ本格的に克服したいと思った。
「まあ、とりあえず下山しますか」と、メニューの全貌を把握できていなさそうではあったが箭内さんは頷いてくれた。コンタクトデッキの階段を下りる。
ちなみに、何度もコンタクトデッキに立っているが、未だにUFOとは遭遇していない。
