恋は燦然と、

「ちょっと待て!」
 再び、茅野が声を上げた。
「それおれじゃない?」
 画面から抜け出してくるのではないかと思うほど大きく身を乗り出して、いった。愕然とした表情が画面いっぱいに映し出され、思わず椅子を軋ませて身を引いた。
「わかっちゃった?」
「わかっちゃったじゃないのよ。確実におれじゃん。なにしてくれてんのよ」
 息継ぎもせずに一気に捲し立てる。驚きのあまり、怒りを通り越して呆れているようだった。
「いやもうマジでびっくりするわ。おれらそういう関係だっけ?」
「全然」
「なに、おまえおれのことそういう目で見てたの?」
「冗談でしょ。キモすぎ。鳥肌立った」
「いやそれこっちの台詞なのよ」
 深いため息を吐いて、乱暴に頭を掻きむしる。
「なに勝手にひと巻き込んでんだよ。超迷惑なんだけど」
「だって、ある程度具体的なビジョンがないと詰められたときボロ出るじゃん」
 椅子の上で膝を抱え、首を窄める。
「ちょっと人物設定借りただけだって。モデルっていうか、モチーフ的な。遠距離ってことにしとけば、会わせることもないし、誤魔化しやすいと思って……」
「肖像権の侵害です」
「ケチくさいこといわないでよ。制作で困ったことあったら手伝うっていってくれてたじゃん」
「これは映画づくりとは別の問題」
「いいじゃん。実際、今説明されるまでなんも実害なかったっしょ?」
「そういう問題じゃないんだって。知らないうちにひとを騙すための材料として使われてんのが嫌だつってんの」
 茅野の主張はもっともで、返す言葉もなかった。
「……ごめんなさい」
 膝を抱えた姿勢のまま、うなだれた。茅野がもう一度頭を掻きむしる。疲れたような声でいった。
「よくないことしてる自覚はあんのかい?」
「ある……」
「反省してる?」
「してる……」
「……わかった」
 茅野は唇を窄めて息を吐き、ワーキングチェアに座りなおした。
「ならもうすこしだけ話聞いてやる」
「ありがとう」
「あと10分以内に終わらせろよ。課題残ってんだから」
 これ見よがしに腕を捻って腕時計を見るしぐさは、厭味ではなく照れ隠しだとわかっていた。厳しく叱責するのは嫌な男だからではなく、むしろ逆で、おれのことを思ってくれているからこそ、率直に誤りを指摘している。何度もネット上でやりとりをしているとはいえ、一度しか直接顔を合わせたことのない高校生のために、こうして時間を作っている。その実直さと人間としてすぐれた視点は、彼の作品にも明確に刻まれていた。だからこそ、たくさんのアマチュア作品のなかで、目を引かれた。恋愛感情とはまったく別だったが、友人として、先輩として、信頼を寄せていた。
「それで?」
 コーヒーを淹れなおし、電子煙草にフィルターを圧しこんで、茅野はワーキングチェアの上であぐらをかいた。
「その天然の相燦くんとは、その後どうなった?」

 はじめて会話し、放課後に燦のマンションでいっしょに映画を見てから、おれたちは連絡先を交換し、学校でも話すようになった。
「ごめん。遅くなった」
 校舎から足早に出てくる燦の姿を見て、おれはスマホから視線を上げた。
「委員会長引いちゃって」
「いいよ。そんな待ってないから」
 並んで校門を出る。すれ違う下級生がさりげなく視線を向けてくる。燦は無表情にやり過ごしたが、おれは落ち着かない気分だった。燦といると、どうしても視線を集めてしまう。
「脚本、読んでくれた?」
 あえて軽い口調で尋ねた。おれより10センチ以上背が高い燦と並ぶと、自然と顎が上がる。
「読んだよ」
「どうだった?」
「おもしろかった」
「ほんとに?」
 安堵と期待、わずかな不安が綯い交ぜになった不思議な高揚があった。興奮を抑え、いった。
「どう? やれそう?」
「たぶんできると思う。練習すれば」
「そっか」
 ほっと胸を撫で下ろす。断られる可能性もじゅうぶんにあった。覚悟していただけに、理想的な返事をもらえたことに安心していた。
「けど、忙しいんじゃないの」
「全然。とくにやることもないし、暇だから」
 自分の作品をつくることは最大の目標で夢だった。中学時代に脚本の構想を立て、茅野やオタク仲間の意見も参考にしながら何度となく改稿を重ねた意欲作だが、役者を見つけるすべを持たないことがネックだった。アクションもので、演技力以上に身体能力が不可欠だった。コンビニのバイトの給料をある程度貯めてはいたが、プロの役者やスタントマンにギャラを払えるだけの余裕はない。
「でもほんとにおれでいいのかな」
 マンションのエントランスを抜け、連れ立ってエレベータに乗りながら、燦が呟く。
「演技とか経験ないからちょっと心配」
「平気だって。おれも練習付き合うから」
 おれたちを載せた箱が最上階に到着すると、室内に入る。おれが頻繁にきていることもあって、リビングもキッチンも片付いている。
 この日も燦の母は不在だった。マンションは最近購入したものではなく、燦の母が高齢の父親のために購入したらしい。若い頃に上京し、美貌を生かしてモデルと水商売を兼業していた燦の母は、結婚前から自立した女性だったようだ。離婚で帰国することとなり、結婚前に住んでいた東京ではなく、生まれ故郷の岐阜を選んだのは、燦の祖父が亡くなって部屋が空いていただけではないだろう。燦も精神的に不安定な時期だ。親子ともに都会での暮らしに疲れていたのかもしれない。
 スーパーで買ってきた野菜や肉を袋から出して、冷蔵庫に入れる。遊びにきたときには夕食をごちそうになることが増え、食事代の代わりに料理をすることがあった。余裕があれば、数日ぶんの作り置きを冷蔵庫に入れて帰る。
 燦の母はほとんど自宅には寄りつかないようで、実質的にひとり暮らしに近かった。離婚して間もない母親は定職には就いていないようだったが、元夫から振り込まれる養育費と多額の慰謝料でじゅうぶん暮らしていけるのだという。マンションのローンもすでに完済しており、悠々自適の生活といっていいだろう。
 芸術家の父親は燦の母の前にも二度結婚しており、母親が異なる兄と姉がいるそうだ。父やきょうだいとは折り合いが悪いようで、話題を避けているようだったから、それ以上のことは聞いていない。
「おまえ、部活とか入んないの?」
 転入から数ヶ月経っていたが、学級委員を除いてとくに目立った活動はしていない。複数の運動部から勧誘されていたが、すべて断っていた。
「うん。うちの高校、テコンドー部ないしね」
「空手部があるじゃん」
「空手とテコンドーは全然ちがうんだよ」
「そうなのか」
 おれにはちがいがよくわからなかったが、燦なりにこだわりがあるのだろう。
「けど、おれとばっか遊んでたら、変に思われない?」
「べつに思われないでしょ」
 燦はクラスでも委員会でもうまくやっていたが、おれ以外には特別親しくなることはなかった。常に愛想よくだれにでも親切ではあったが、どこか壁を感じさせた。
 ただし、おれにだけはちがった。燦は常におれの後をついて歩き、どうでもいいようなメッセージを毎日LINEで送ってきた。
 あらゆる意味で注目を浴びる存在の燦に懐かれるのは悪い気分ではなかったが、周囲の連中はおれたちが距離を縮めていることを不思議に思っているようだった。当然だろう。どう見てもおれたちに共通点は見いだせない。
「誠心は変に思われるの怖い?」
 聞き返されて、思わず返答に窮した。いつの間にかすぐそばに燦が立っていて、野菜をキッチン台に並べるおれの手もとを眺めていた。
「ほら、誠心はカミングアウトしてないでしょ。おれと仲いいと、誤解されるんじゃないかなって」
 はじめてここへきた日、会話の流れからつい嘘をついてしまったおれは、周囲に秘密にするよう頼み込んだ。噂が流布される心配はしていなかった。燦が他人のプライバシーを吹聴するような人間とは思わなかったからだ。
「おれもべつに気にしてない」
 咄嗟についた嘘は訂正できないままでいる。もしおれが同類だと知らされなければ、燦はこんなふうにおれを信頼し、自主制作映画への出演という無茶な頼みを引き受けることもなかっただろう。
 もし本当のことを知ったら、燦はおれの嘘に怒り、幻滅するに違いなかった。映画への出演どころか、こんなふうにいっしょに夕食を取ったり映画を見たりすることもなくなるだろう。はじめのうちは、映画制作のことだけを考えていたが、燦との時間を過ごすうちに、浮き立つような気持ちと、他では代替できない安らぎを棄てがたく感じるようになっていた。茅野やネットで繋がっているオタク仲間にはそれなりに気を許せるが、物理的に近くにいるわけではない。はじめて体験する親友と呼べるような関係に、擽ったいような胸躍るような気持ちになっていた。もちろん、その関係はおれの嘘の上に成り立っており、すぐにでも崩れ去るような脆いものだったが。