恋は燦然と、

「なに見てるの?」
 突然話しかけられ、驚いて振り向くと、後ろの席の転校生が、上半身を伸ばして、おれの手もとを覗き込んでいた。
 話しかけられたのははじめてだった。戸惑っているおれに、燦は人懐っこい笑顔でいった。
「それ、ジョナサン・スーの新作映画のティザーじゃない?」
 だれもが知る巨匠というわけではないが、インディペンデント映画の世界ではそれなりに知られた映画監督。知っている人間に会ったのは、東京での映画オタクのオフ会で知り合った学生監督の茅野以来はじめてだった。
「知ってんの?」
 思いがけず身近に同じ趣味を持つ人物がいたのかもしれない。そう思うと、無意識に声が弾んだ。しかし、返ってきた答えは想像をさらに超えたものだった。
「それ、おれの父親」
「……マジ?」
 唖然としているおれに、燦は無邪気に頷いてみせた。ネットメディアで見たことがある監督の顔を思い出そうとした。目の前の同級生と似ているかといわれれば、判断できない。
「親父の作品、好きなの?」
「まあ……」
 好きどころではなかった。中学時代にミニシアターで作品を観て以来のファンだ。細部にまでこだわった独特の演出と巧みなカメラワーク、音楽や衣装に至るまで、すべてにおいてだれにも真似することのできない強烈な個性に魅入られた。夢中になって何度も繰り返し作品を観た。新作が公開されれば必ず都心の映画館に足をはこんだ。彼の影響を受け、映画監督を夢見るようにもなった。
「うれしいな。知ってるひとはじめて見た」
 机の上に頬杖をつき、相好を崩す。だれもが警戒を緩め、好きになってしまうような眩しい笑顔だった。
「もしかして、映画好き?」
 曖昧に頷く。教室内で注目を浴びつつあるのに気づいていた。いじめの対象にはなっていないものの、燦が目立つ存在であることに変わりはなく、彼のよく通る声に、クラス中が耳をそばだてていた。
 おれもいじめられているわけではないが、それはなるべく目立たないように息をひそめて学校生活を送っているからだ。燦のように腕っぷしに自信があるわけでもなく、明るい性格でもない。すこしでも気を抜けば、すぐに立場は変わる。
 中学時代にはオタクであることを理由に散々揶揄われてきた。高校に進学して、だれともよけいな話をせず、空気に徹することによって、ようやく安寧を手に入れた。絶対に失いたくなかった。
「どういう映画が好きなの?」
「あ……なんだろ、アクション系とか」
 曖昧に答える。燦の人懐っこい笑顔は、いわゆる陰キャといわれる枠内に位置するおれには眩しすぎて直視できなかった。
「もしよかったらさ、うちにホームシアターあるから、見にこない?」
 周囲の視線にもおれの葛藤にもまるで頓着せず、燦が身を乗り出す。
「ほーむしあたー……」
 間の抜けた調子で復唱する。
「室内にスクリーンがあって……」
「知ってる、そんくらい」
 金持ちだという噂は耳にしていたが、自宅にホームシアターがあるとは、想像以上だ。
 おれのほうはといえば、父親は休職中で、母が食堂とスナックのアルバイトで稼ぐわずかな給料でどうにか生活している。暮らしに余裕はなく、週3日コンビニでバイトをして小遣いを稼ぎ、映画館に通っている。ホームシアターという響きに惹かれないといえば嘘になる。しかし、たいして親しいわけでもなく、どちらかといえば住む世界があきらかにちがう同級生の家に遊びに行くことには抵抗があった。
 燦がカミングアウトしているゲイだということも気になっていた。父親のファンだということに親しみを感じただけで、他意はないだろう。ここまでオープンに振る舞っているのだから、当然、決まった相手がいるはずだし、そうでなかったとしても、おれのようなタイプが気に入られるとは思えない。警戒するのは、杞憂というよりも、むしろ自意識過剰だ。
 断る理由を探し、黙り込んでいるおれに、燦は重ねていった。
「親父が昔つくった未公開作品のDVDあるよ」
 抗いがたい魅力を孕むその一言に、おれは拒絶の言葉を呑みこんだ。