恋は燦然と、

 燦の顔が近づいてきて、おれは咄嗟に顔を背けた。
「誠心」
「だめだ。ごめん。だめ、無理」
 舌を縺れさせながらいって、燦の胸に手を張って避けた。
「なんで?」
 燦の声が上擦る。燦も余裕がなく、困惑していた。おれの身勝手な態度に怒ったのかもしれない。こんなふうに突然訪ねてきて、思わせぶりな態度と思われてもしかたない。
「誠心」
 おれの腕をつかみ、もう一度おれの体を自分の腕のなかに引きもどす。上半身を捻った不安定な姿勢で抱き竦められた。
「嫌?」
 全身が熱い。燦の息が耳元をすり抜け、背骨を振るわせる。
「嫌なら嫌っていって」
 嫌なはずがなかった。夜行バスでも、新宿のホテルでも、燦を怖いとか、嫌悪を感じるだとか、そんなことは一度もなかった。
「おれのこと嫌い?」
 首を振った。
「じゃあ好き?」
 燦の切迫した声がこめかみを掠める。今まで何度もはぐらかしてきた。もうできない。これ以上嘘はつけなかった。
「好きっていって」
 もう知られている。おれ自身も自分の気持ちに気づいてしまった。それでも、頷くことができない。
「……やめよう」
 代わりにいった。
「やめよう、これ以上は」
 胸の前で交差する燦の腕をつかんだが、力は入らなかった。
「……どうして」
 燦が掠れた声で呟く。
「誠心といたい」
 嗚咽が漏れそうになり、必死で耐えた。唇を噛んで、首を振った。
「おれ、燦に嘘ついてたんだよ」
「わかってる」
「今さらなかったことにできない」
「おれは気にしてないよ。もう忘れて」
「無理だ、そんなの」
 思わず振り返った。燦が虚を衝かれたようにおれを見つめていた。
「おれたち、付き合っても、うまくいかない。おれが燦に嘘ついてた事実は消えないし、おれは自分勝手で、燦とおなじようにはできない。この先もまた燦のこと傷つけるんじゃないかって……」
「傷つけてよ」
 おれの言葉を遮るように、燦がいった。
「傷つけていいよ。おれだって誠心を傷つけるかもしれない。お互い本音出し合って、傷ついたら癒やして、そうやって絆を強くしていけばいい」
 燦の直線的な言葉はおれの心を烈しく揺さぶった。
「はじめる前からうまくいかないなんて、そんなふうに決めつけないでよ」
 そういって、燦はおれの腕をつかんだ。ソファに座らされ、互いに向き合うと、再び両方の掌で顔を包まれた。
「嘘ついたこと、そんなに気になる?」
 おれの首を掌で擦りながら、燦はいった。
「なら、嘘をほんとにすればいい」
 燦のいわんとすることがつかめず、戸惑った。黙りこくっているおれに、燦はもう一度いった。
「誠心はおれが好きだよね?」
 無意識に頷いていた。燦はやわらかく表情を綻ばせ、いった。
「おれは男で、誠心はおれが好き。なら、誠心は男が好きってことになるよね?」
 それほど単純に考えていいものなのか判然とせず、肯定するのは憚られた。困惑するおれには構わず、燦は続けた。
「誠心は男が好きで、誠心には彼氏がいる」
「いないけど……」
「いるよ」
 燦ははっきりといいきった。
「誠心には彼氏がいて、誠心は彼のことが好き。彼も誠心が……」
 燦の顔が近づいて、額同士が擦れ合った。熱い息が混じり合って、霧散した。
「誠心が彼を好きな気持ちの何倍も、彼は誠心が好きだよ」
 かなり強引なロジックだ。思わず笑ってしまった。ここにきて、はじめて笑えた。強張っていた体から力が脱けて、気持ちが楽になっていくのを感じた。
 いつの間にか、燦のペースに巻き込まれている。それが不思議と嫌ではなかった。はじめから素直になれていればよかったのかもしれない。嘘をついているという罪悪感と自分への自信のなさから、疑心暗鬼になり、勝手に距離をつくっていた。燦はおれを認め、受け入れ、見つめ続けていてくれたのに。
 ごく自然と、唇が触れあった。まるでそうなることが当然のように、おれたちはソファの上でキスをしていた。
「燦……」
 唇が離れ、抱きしめられると、溜めていた息とともに、声を漏らした。
「燦って、すごい」
「え?」
 おれの肩や頭を撫でていた燦が、首を傾ける。
「なに? キスが?」
「ちがう。馬鹿」
 また笑ってしまった。罪悪感や後ろめたさはいつの間にか消え、あたたかい気持ちで満たされていた。
 傷つきやすく、繊細なのに、一方では力強く、強靱な意志を持つ男。はじめからそうだった。教室でカミングアウトしたときも、カメラの前で芝居をしたときも、ずっと燦は変わらなかった。
「誠心のほうがすごいよ」
 おれの背中に回した手に力をこめて、燦はいった。
「子どもの頃から両親は仲悪くて、どっちも浮気してたって、前に話したよね」
 頷く。燦の胸に顔を圧しあてると、呼吸に合わせて胸が上下する。燦の鼓動に耳を澄ませ、燦の声を聞いていると、不思議と穏やかな気持ちになれた。
「自分は絶対そうなりたくないって思ってたけど、同性が好きだって自覚あったから、ふつうに結婚して子どもを育てるのは難しいし、よけい意地になって、幸せになろうとした。人生は恋愛だけじゃないのに、自分の理想に縛られて、ほかのものが見えなくなってた。そのことにやっと気づいた」
 おれは顎を持ち上げて燦を見つめた。軽く擽るようにおれの唇に指先を触れさせ、燦はいった。
「今までのおれは、自分とおなじように愛してくれるひとを求めてた。自分が尽くしただけ相手にも応えてほしい。そうすべきだって、押しつけてた。自分勝手なのはおれも同じだよ」
 過去の恋愛を思い出しているのか、わずかに眉間に皺を刻み込んだ。
「恋愛以外のことに興味を持てたのも、いっしょにいられるだけで幸せな気持ちになれたのも、誠心と会えたから。誠心といっしょに、おれも自分の人生を歩みたい。ふたりで支え合いながら、それぞれの夢を叶えたい」
 燦は変わらないと思ったが、ちがった。おれが変えたというなら、おれにとっても、同じだ。燦と会う前のおれは、自己評価が低く、卑屈で、自分の人生に絶望していた。燦と出会って、おれの人生は輝いた。自分自身を許し、受け入れられるようになった。
 そのことを伝えたかったが、燦のようにうまく言葉にできる自信がなかった。だから、燦の首に両腕を回し、これ以上はできないほど体を密着させた。
「燦が好き」
 短い一言を口にするのに、ひどく時間がかかってしまった。燦の首に顔を埋め、もう一度繰り返した。
「燦のことが好き」
 流されたわけでも絆されたわけでもない。ただ素直に、心から思った。
 燦がおれをきつく抱きしめ、二度目のキスをした。おれたちは何度も互いの唇を奪い合いながら、嘘を真実にした。