回線が繋がったことを知らせる機械音とともに、茅野の疲れた顔がディスプレイに映し出された。寝不足なのか、瞼が腫れ、目の下がくすんでいる。
茅野もすこし前から自分の監督作の撮影準備に入っている。学校の課題も含め、慌ただしい日々であることはあきらかだった。
多忙を極めたなかで、おれの作品のポストプロダクションを担ってくれている。いわゆる映画の仕上げの段階で、色彩や明るさを微調整するカラーグレーディングといわれる作業や特殊効果、効果音の挿入やノイズ除去を行う。
「ある程度仕上がったよ」
黒縁眼鏡をずらして眉間を指圧しながら、いった。
「今、データ送った」
メールの受信ボックスを確認すると、たしかにファイルが届いていた。重い映像ファイルを開くのにはかなりの時間がかかる。ダウンロードをクリックして、通話の画面にもどった。
「ありがとう」
安堵のため息が漏れた。じゅうぶんに余裕を持たせたスケジューリングをこころがけたつもりだったが、慣れない編集作業に手間取ったせいで、よけいな時間を食いつぶしてしまった。おかげで茅野の制作スケジュールに食い込むことになり、彼の目の下に隈をつくることになった。
おれも毎晩作業に没頭して、心身ともに限界を超えていた。コンクールの出品期限が迫るなか、間に合わないのではという不安で、学校でもバイト先でも気もそぞろでなにも手につかなかった。
「本当にありがとう」
茅野は撮影現場でも未熟なおれを全面的にサポートしてくれた。スタッフやキャストをまとめ、おれが抱くイメージを完璧に把握したうえで、目指す画が撮れるよう工夫を凝らしてくれた。高校生の自主制作映画にもかかわらず、いっさい手を抜くことはなかった。
超短期スケジュールのなかでも大きな問題なくスムーズに撮影を終えられたのも、茅野のおかげだ。そして締め切りに間に合わせるため、徹夜で作業にあたってくれた。
「茅野さんがいなかったらどうなってたか……本当に……」
「お礼をいう相手はおれじゃないよ」
茅野は低い声でいった。掌で雑に頬を擦る。言葉の意味をはかれずに戸惑っているおれを見て、いった。
「燦にいったんだろ。撮影の前の日に」
おれは茅野との約束を守った。そうしなければ映画が完成しないとわかっていたからだ。しかし、秘密が暴かれたときどうなるか恐れた結果、最悪のタイミングになった。
あの夜、ホテルで燦と別れたとき、おれは不安でたまらなかった。翌朝の撮影に燦が姿を見せないのではないか、きたとしても、ふだんどおりの実力が出せるかどうか、考えれば考えるほど心配で眠れなかった。
しかし、翌朝、現場に燦があらわれ、その心配が杞憂だったことに気づかされた。
クランクイン時の燦は、熟練の俳優を思わせる堂々とした立ち居振る舞いだった。それでいて、撮影がはじまるとまるで少年のように活き活きとして、圧倒的な存在感を示した。撮影前夜にあんなやりとりがあったとはとても思えなかった。
まったくの未経験にもかかわらず、燦は台詞を飛ばすことも動きを誤ることもほとんどなく、過去の亡霊に囚われた孤高の殺し屋を見事に演じきってみせた。わずかな動揺も緊張も見せず、終始落ち着いていた。
「たいしたもんだよ。現場でも驚かされたけど、映像になってみると、まあ、たいしたもんだ」
おなじ言葉を二度繰り返し、そのことにさえ気づいていないようだった。軽く首を振って、続けた。
「これが出たらたいへんだぞ。制作会社やら芸能事務所やらから問い合わせが殺到する」
茅野のため息はおれのものとは種類が異なっていた。ほかのなにともちがった。今まで一度も、だれからも聞いたことがなかった。
「正直いって……」
眼鏡をはずし、親指と中指で両側のこめかみを揉みながら、いった。
「あんな嘘ついてまであの子にこだわる理由が理解できなかった。でも、わかったよ。もちろん、嘘はよくないけど……」
いつもの皮肉めいた軽快な口調は影をひそめ、表情には翳りが見えた。
「おまえは成功する、間違いなく」
黙っているおれに、茅野はいった。
「脚本はもともとよかった。アイデアもいい。演出も見せ方も光るものがある。それ以上に、重要なのは執念だよ。どんな手をつかってでも理想の画を撮るっていう執念。それが一番大事だってことにはじめて気づかされた。初心に返らされたよ。おれも負けてられないって、気合い入った。そういう意味では感謝してるし、今回関われたのは、おれにとってもプラスになったと思う」
これ以上ない評価を受け取ったのに、すこしもうれしくなかった。ただ、虚しさだけが心に広がっていった。
「けど、誠心はそれでいいの? 本当に?」
眼鏡をかけなおし、茅野がおれを見た。おれの目をまっすぐに見据え、いった。
「コンクールで賞を獲って、上京して、映画監督になるのが目標だってことはわかってる。でも、そのために失うもののことは考えた?」
「……どういう意味かわからない」
おれの答えに、茅野はしばらく無言だったが、やがていった。
「メイキング映像をまとめて、ファイルに入れてある」
突然まったくちがう話をはじめた意図がつかめず、戸惑った。
「見て」
それだけをいって、茅野は一方的に回線を遮断した。突然黒くなった画面に、虚ろな表情の自分が映った。背後で物音がした。両親が帰ってきたのだ。父親がまたどこかの店で泥酔して問題を起こしたようで、迎えに行った母と烈しい口論をしながら帰宅した。
互いに罵りあう両親の声を遠くに聞きながら、おれは黙ったままじっと画面を凝視していた。やがて、受信ファイルのダウンロードが完了したことを通知する音が鳴った。
東京から帰る夜行バスに、燦は乗っていなかった。ホテルとおなじように、自分で新幹線に乗り、帰って行った。
おれはひとりでバスに乗り、隣の空席から目を背けるようにして窓枠に額を圧しつけていた。連日の撮影で体は疲弊しきっていたはずなのに、眠ることもできず、流れる闇を見つめつづけた。今こうして漆黒の画面を見つめるように。
ゆっくりと手を伸ばし、ファイルを開いた。オープニングの映像が流れ、おれの耳から両親のわめき声が消えた。
茅野もすこし前から自分の監督作の撮影準備に入っている。学校の課題も含め、慌ただしい日々であることはあきらかだった。
多忙を極めたなかで、おれの作品のポストプロダクションを担ってくれている。いわゆる映画の仕上げの段階で、色彩や明るさを微調整するカラーグレーディングといわれる作業や特殊効果、効果音の挿入やノイズ除去を行う。
「ある程度仕上がったよ」
黒縁眼鏡をずらして眉間を指圧しながら、いった。
「今、データ送った」
メールの受信ボックスを確認すると、たしかにファイルが届いていた。重い映像ファイルを開くのにはかなりの時間がかかる。ダウンロードをクリックして、通話の画面にもどった。
「ありがとう」
安堵のため息が漏れた。じゅうぶんに余裕を持たせたスケジューリングをこころがけたつもりだったが、慣れない編集作業に手間取ったせいで、よけいな時間を食いつぶしてしまった。おかげで茅野の制作スケジュールに食い込むことになり、彼の目の下に隈をつくることになった。
おれも毎晩作業に没頭して、心身ともに限界を超えていた。コンクールの出品期限が迫るなか、間に合わないのではという不安で、学校でもバイト先でも気もそぞろでなにも手につかなかった。
「本当にありがとう」
茅野は撮影現場でも未熟なおれを全面的にサポートしてくれた。スタッフやキャストをまとめ、おれが抱くイメージを完璧に把握したうえで、目指す画が撮れるよう工夫を凝らしてくれた。高校生の自主制作映画にもかかわらず、いっさい手を抜くことはなかった。
超短期スケジュールのなかでも大きな問題なくスムーズに撮影を終えられたのも、茅野のおかげだ。そして締め切りに間に合わせるため、徹夜で作業にあたってくれた。
「茅野さんがいなかったらどうなってたか……本当に……」
「お礼をいう相手はおれじゃないよ」
茅野は低い声でいった。掌で雑に頬を擦る。言葉の意味をはかれずに戸惑っているおれを見て、いった。
「燦にいったんだろ。撮影の前の日に」
おれは茅野との約束を守った。そうしなければ映画が完成しないとわかっていたからだ。しかし、秘密が暴かれたときどうなるか恐れた結果、最悪のタイミングになった。
あの夜、ホテルで燦と別れたとき、おれは不安でたまらなかった。翌朝の撮影に燦が姿を見せないのではないか、きたとしても、ふだんどおりの実力が出せるかどうか、考えれば考えるほど心配で眠れなかった。
しかし、翌朝、現場に燦があらわれ、その心配が杞憂だったことに気づかされた。
クランクイン時の燦は、熟練の俳優を思わせる堂々とした立ち居振る舞いだった。それでいて、撮影がはじまるとまるで少年のように活き活きとして、圧倒的な存在感を示した。撮影前夜にあんなやりとりがあったとはとても思えなかった。
まったくの未経験にもかかわらず、燦は台詞を飛ばすことも動きを誤ることもほとんどなく、過去の亡霊に囚われた孤高の殺し屋を見事に演じきってみせた。わずかな動揺も緊張も見せず、終始落ち着いていた。
「たいしたもんだよ。現場でも驚かされたけど、映像になってみると、まあ、たいしたもんだ」
おなじ言葉を二度繰り返し、そのことにさえ気づいていないようだった。軽く首を振って、続けた。
「これが出たらたいへんだぞ。制作会社やら芸能事務所やらから問い合わせが殺到する」
茅野のため息はおれのものとは種類が異なっていた。ほかのなにともちがった。今まで一度も、だれからも聞いたことがなかった。
「正直いって……」
眼鏡をはずし、親指と中指で両側のこめかみを揉みながら、いった。
「あんな嘘ついてまであの子にこだわる理由が理解できなかった。でも、わかったよ。もちろん、嘘はよくないけど……」
いつもの皮肉めいた軽快な口調は影をひそめ、表情には翳りが見えた。
「おまえは成功する、間違いなく」
黙っているおれに、茅野はいった。
「脚本はもともとよかった。アイデアもいい。演出も見せ方も光るものがある。それ以上に、重要なのは執念だよ。どんな手をつかってでも理想の画を撮るっていう執念。それが一番大事だってことにはじめて気づかされた。初心に返らされたよ。おれも負けてられないって、気合い入った。そういう意味では感謝してるし、今回関われたのは、おれにとってもプラスになったと思う」
これ以上ない評価を受け取ったのに、すこしもうれしくなかった。ただ、虚しさだけが心に広がっていった。
「けど、誠心はそれでいいの? 本当に?」
眼鏡をかけなおし、茅野がおれを見た。おれの目をまっすぐに見据え、いった。
「コンクールで賞を獲って、上京して、映画監督になるのが目標だってことはわかってる。でも、そのために失うもののことは考えた?」
「……どういう意味かわからない」
おれの答えに、茅野はしばらく無言だったが、やがていった。
「メイキング映像をまとめて、ファイルに入れてある」
突然まったくちがう話をはじめた意図がつかめず、戸惑った。
「見て」
それだけをいって、茅野は一方的に回線を遮断した。突然黒くなった画面に、虚ろな表情の自分が映った。背後で物音がした。両親が帰ってきたのだ。父親がまたどこかの店で泥酔して問題を起こしたようで、迎えに行った母と烈しい口論をしながら帰宅した。
互いに罵りあう両親の声を遠くに聞きながら、おれは黙ったままじっと画面を凝視していた。やがて、受信ファイルのダウンロードが完了したことを通知する音が鳴った。
東京から帰る夜行バスに、燦は乗っていなかった。ホテルとおなじように、自分で新幹線に乗り、帰って行った。
おれはひとりでバスに乗り、隣の空席から目を背けるようにして窓枠に額を圧しつけていた。連日の撮影で体は疲弊しきっていたはずなのに、眠ることもできず、流れる闇を見つめつづけた。今こうして漆黒の画面を見つめるように。
ゆっくりと手を伸ばし、ファイルを開いた。オープニングの映像が流れ、おれの耳から両親のわめき声が消えた。



