恋は燦然と、

「……なんで嘘ついたの?」
 燦の言葉はやわらかく、怒気は感じられなかった。おれを気遣うような態度が、返ってつらかった。燦はとっくに気づいていたのだ。気づいていて、なにもいわずに求められる役割をこなしていた。
「おれに口説かれるの嫌だった?」
 燦が首をひねっておれの顔を見る気配がした。
「おれを遠ざけようとして、彼氏持ちのふりしたの?」
「ちがう」
 慌てて顔を上げた。視線がぶつかり、緊張で体が強張った。
「ちがうよ。だって、そんな……そんなの意味ない」
「なんで?」
「なんでって……おまえ、おれなんかタイプじゃないじゃん」
「そんなのなんでわかるの」
「わかるでしょ、そりゃ……」
 これ以上会話を続けたくなかったが、嘘をついていた引け目があった。顎が鎖骨に埋まるのではないかというほど深く俯き、呟いた。
「おまえの元彼、めっちゃかわいかったじゃん。この前告ってたのもイケメンだったし……」
「外見関係ないって、おれいったよね、前?」
 内面を重視するというのなら、なおさらおれはありえない。醜悪な嘘で燦を欺き、彼を利用した。そう話したかったが、ひたすら惨めで、声が出なかった。
「それに、誠心かわいいよ」
 あまりにもさらりとした口調で、一瞬、なにをいわれたのか理解できなかった。一拍措いて、全身が燃え上がった。
「な、なにいってんの……」
 かろうじて、それだけをいった。笑い飛ばしたかったが、笑顔をつくるまでの余裕はなかった。
「おれ、前からかわいいって思ってたよ」
 燦の顔を正面から見ることができない。ただ、こめかみに視線だけを感じていた。燦の話し方はいつもとほぼ変わらず、声の調子だけではその本心をうかがい知ることは難しかった。それでも、後ろめたさと羞恥で、顔を上げられない。燦がどんな表情なのか知りたい欲求よりも、自分の顔を見られたくなかった。ひどい顔になっていることはあきらかだったからだ。
「誠心……」
 燦の手が伸びてきたのが気配でわかる。肩に指先が触れると、無意識に体が跳ねた。
「……嫌だった?」
 燦の声が低く掠れる。
「嫌っていうか……」
 烈しく動揺し、舌が縺れた。厳しく責められ、詰られるものと覚悟していた。こんなことは想像していなかった。できるはずがない。
「誠心、だれかと付き合ったことある?」
 おれの過剰な反応のせいか、燦が尋ねてくる。ますます顔が熱くなり、急激に鼓動が早まった。
「な、なんでそんなこと聞くんだよ」
 バスのなかで、いきなり抱き竦められたことを思い出した。こめかみを掠める熱い息。圧しつけられた心臓の音。あのとき感じたかすかな違和感。胸に浮かんだ疑問が、唇の裏で蠢いた。
「燦って……」
「なに」
「……ごめん、なんでもない」
「いってよ」
 息ぐるしさが増す。燦の視線を感じ、いたたまれなくなった。
「燦ってさ、あの……おれのこと好き……とかないよね?」
 そんなことは聞くべきではなかった。すくなくとも、今夜はだめだ。わかっていたのに、言葉が唇をこじ開けて外へ出てしまった。
「好きだよ」
 燦は躊躇うことなく即答した。動揺し、狼狽えるおれとは対照的に、ごく自然な態度で、いいきった。
「う、うそ……」
 あまりにも驚いてしまって、声が震えた。咄嗟に顔を上げると、燦がおれを見ていた。深夜の夜行バスで、薄暗い車内の灯りの下で見たあの眼差しだった。その目に見つめられた瞬間、燦の言葉が冗談でも嘘でもないことが理解できた。
「……いつから?」
「いつからだろ……いっしょに映画の準備してるときかな」
 おれの問いに、燦は真剣な表情で考え込んだ。
「おれ、夢とか目標とかなかったから、やりたいことのために全力で頑張ってる誠心見てると、すごく力をもらえるし、影響受ける」
 以前にもおなじことをいわれた記憶があった。燦の部屋で衣装を見繕っているときだったか。あのときは擽ったいような気持ちだったが、そんな意味だとは考えもしなかった。
「いっしょにいると楽しいし、落ち着けるし……いっしょじゃないときも、誠心のこと考えるようになって……気づいたら、好きになってた」
 一瞬たりともおれから目を逸らすことなく、燦はいった。真摯で切実な告白だった。笑い飛ばし、冗談として処理することなど、できるはずがなかった。
「こんなふうにいうつもりなかった」
 おれが黙っていると、燦は苦痛に耐えるように眉間に皺を刻み込んだ。
「前に浮気されて、ものすごく傷ついたのに、今度は彼氏いるひと好きになっちゃって、つらかったし、悩んでた……」
 おれに恋人などいないのだから、本来なら、おれを好きになったことで、罪悪感を抱く必要はない。おれがついた嘘が、真実を知るよりもずっと前から燦を苦しめていた事実に、愕然とした。
「……誠心は?」
「え?」
 おれを見つめる瞳がかすかに揺れた。
「誠心は……どう思う?」
「どうって……」
「おれのこと」
 当然、聞かれるはずなのに、まるで他人のことを話しているかのようで、現実味がなかった。しかし、目の前にいる燦は確かに存在しており、おれの返事を待っている。
「あ、その……えと……」
 告白されることははじめてだ。だれかにしたこともない。情けなくも、おれは完全に混乱して、パニック状態だった。
「おれのこと、あんまタイプじゃない?」
「タイプっていうか……」
「バリタチっていったこと、気にしてる?」
 意味不明な単語が出てきて、戸惑った。困惑するおれを見て、燦は「ああ」と小さく声を漏らした。
「……そっか。そこから嘘なんだ」
 さっきまでの熱が嘘のように、急激に体温が下がり、おれは身震いした。
 燦が唇を窄め、深く息を吐く。なにもいわれなかったが、軽蔑されたと感じ、全身が強張った。
「……嘘つかなかったら、おれと友達にならなかったじゃん、絶対」
「誠心……」
「映画にも出てくれなかったし……」
「誠心!」
 重い空気を切り裂くような声。思わず体が跳ねた。
 詰られるものと思い、身が竦んだ。しかし、燦はこの期に及んでもなお、理性的な態度を崩さなかった。
「誠心はわかってない」
 重く、沈むような声で、いった。
「全然わかってないよ」
 独白のように呟き、立ち上がった。拒絶を表すようなその広い背中が視界に入ると、とたんに恐怖が全身を襲った。
「ちょっと待って!」
 思わず声を上げていた。おれも立ち上がり、燦の背中に向かっていった。
「あの……」
 いうべき言葉がほかにあるとわかっていたが、正しいほうは出てこなかった。
「……明日の撮影、くるよな?」
 おれの問いに、燦はすこしの間、なにも反応しなかった。わずかに顎を傾けたが、振り返らなかった。一言だけ、答えた。
「行くよ」
 短く呟いて、燦は部屋を出て行った。追いかけることはできなかった。猛烈な吹雪に一瞬で凍らされたかのように、その場を一歩も動けなかった。