恋は燦然と、

「はじめまして。相です。よろしくお願いします」
 燦が頭を下げ、再び顔を上げる。その表情を見て、茅野は察したらしかった。ゆっくり首を傾けて、隣のおれを見る。
 責めるような視線から逃げるように下を向き、茅野が印刷してくれた撮影資料に目を落とした。
 夜行バスで到着に着いたのは朝7時ごろだった。8時に茅野と新宿のカフェで待ち合わせ、朝食を取りながら、翌日からはじまる撮影の打ち合わせをした。
 今日に至るまでに何十回とオンラインミーティングを重ねてきたが、実際に顔を合わせて話し合うのははじめてだ。もう何本も自主制作映画を発表している茅野はさすがに手際がよく、おれの代わりにスタッフの手配やロケ現場の交渉まですべて済ませてくれていた。撮影がはじめてのおれと素人の燦は、茅野の提案や報告に頷くだけだった。
 ロケ先の外観や現地で仕入れる小道具、消耗品など、事前に伝えていた細かい条件や必要事項も完璧に網羅されており、準備の周到さに舌を巻いた。自身も脚本家兼監督として活動しているから、おれの懸念やこだわりも理解しているのだろう。
 茅野にサポートを頼んだのはおれの監督として最大の功績といえた。彼がいてくれれば、学生の処女作でもどうにかなるだろう。
 ただ、問題は残されていた。最大の問題だ。
「約束は?」
 燦が電話のために席を外したとたん、茅野がテーブルの上に身を乗り出して囁いてきた。
「絶対まだ話してないだろ!」
「おっきな声出さないで」
 おれも腰を浮かせて、口の前に指を立てる。店の外のテラス席で、燦がだれかとスマホで話をしているのが見えた。こちらに背中を向け、おれたちの会話は聞こえていないはずだ。
「ちゃんと話すってば」
「撮影前に話すって聞いたはずだけど?」
「だから撮影前に話すって。まだ撮影はじまってないじゃん」
 おれの屁理屈に、茅野は呆れ顔で首を振った。罪悪感がないといえば嘘になる。ここまできて見棄てることができない茅野の親心とクリエイターとしての心理を知ったうえで、利用しているのだから。
「頼むよ、もう……」
 シーフードサラダのリーフレタスをフォークで突きながら、茅野がため息をつく。
「今日話すから」
 おれの皿にはトーストとベーコンエッグが半分以上残っている。昨晩からなにも食べずに作業して長時間かけて移動したから空腹のはずだが、食欲は湧かなかった。
「迷惑はかけないよ。約束する」
 おれの誓いを茅野は本気にしていないようだった。サラダを口に入れ、フォークを持った手を閃かせる。
「ほんとに友達?」
 茅野も窓の向こうの燦へ顔を向け、いった。質問の意図がつかめず黙っていると、おれのほうに向き直り、いった。
「あの子、ほんとに誠心のこと好きじゃないの?」
「まさか」
 椅子に座りなおし、笑った。茅野は訝しげに眉を顰めている。
「なんで?」
「なんかおれへの態度に若干の違和感あった気がする」
「気のせいでしょ」
 バスのなかで燦に抱きしめられたことを話すべきか迷ったが、それこそおれの勘違いかもしれない。バランスを崩したおれを支えてくれただけで、悩むほどのことではないのかもしれなかった。明日から撮影がはじまるというときに、わざわざ大袈裟にすることもないだろう。燦もなにもいわないのだから、なかったことにするほうがいい。そう思った。
 燦が電話を終え戻ってくるのが見えて、ふたりとも口を噤んだ。テーブルの上に広げた輪番表やスタッフリストをひとつひとつ確認しながら、かすかな不安を密かに共有していた。