恋は燦然と、

「カナダからきました。相燦です」
 身長180センチはゆうに越える体に真新しい制服を纏わせ、彼はいった。
「名字が『相』で名前が『燦』。呼び方はどっちでもいいです。アイサンでも、アイサンサンでも」
 爽やかな笑顔を見せ、顎を突き出すようにして、教室内を見渡す。
「父親が台湾人で母親が日本人。親の仕事の都合で小学生の頃アメリカに移って、そのあとカナダに引っ越した感じです」
 だれもが黙って互いに顔を見合わせていたが、目の前の異質な男に興味を引かれているのはあきらかだった。時期はずれの転入生はただでさえ注目の的だったが、珍しい氏名とバックボーン、そしてテレビに出てくる芸能人のような長身と張りのある筋肉、笑うたびに覗く白い歯は、ことさらに人目を引いた。
 男子生徒たちは警戒の眼差しでよそものを見つめ、女子生徒たちは都会の洗練された空気を身につけた美男子の登場に色めき立っていた。岐阜県の小さな街の公立高校だ。区内の中学からそのまま進学した生徒がほとんどで、転入生そのものが珍しかった。
 不躾な眼差しを全身に浴びながらも、相燦という転入生は涼しい顔で背筋を伸ばし立っていた。
「じゃあ、相くんの席は……」
 担任教師が空席を探して首を伸ばす。思わずぎくりとして視線を逸らした。唯一空いているのがおれの後ろの席だったからだ。
「あ、すみません。もうひとつだけ」
 席を指定しようとする教師を制して、転校生はもう一言、付け加えた。
「ぼくはゲイで、恋愛対象は男性です」
 唖然としている教師と2年D組の36人の生徒をあらためてまっすぐ見つめ、輝く笑顔を見せてから、慇懃に頭を下げた。
「これからよろしくお願いします」

「なんだそりゃ」
 ディスプレイのなかで、茅野郁浩が間の抜けた声を上げた。
「転入初日の挨拶でカミングアウト?」
 差別や軽蔑というよりは好奇心を刺激されたようで、ワーキングチェアを軋ませて身を乗り出す。
「ぶっ飛んだ奴だなあ」
「やばすぎでしょ?」
 ため息を吐きながら、コーラの缶に手を伸ばす。炭酸の抜けたぬるいコーラをひと口飲んでから、いった。
「すごい空気だったよ。見せたかった」
「うん、見たかったよ」
 たぶん本心だろう。映画監督を目指して大学で専門知識を学び、自身で脚本も手がける茅野はあらゆる異常に敏感だ。ふだんと変わらず平坦で感情の読めない口調ではあったが、おれの話に興味をそそられている。
「カナダとか台湾ならともかく、田舎の高校でそんなこといったら、いじめとかからかいの対象になるんじゃない?」
「ふつうはそうだろうけどね、そいつ、子どもの頃からテコンドーやってて、台湾のジュニア代表に選ばれたこともあるんだと」
「ははあ、なるほど」
 学校という閉ざされた世界において、攻撃対象となるには、マイノリティという要素だけでは不足だ。『決して反抗しないマイノリティ』でなくてはならない。自らの安全が担保されない状況で堂々と他者を差別できる人間は稀だ。
 転入初日の昼休みに女子生徒から請われて板割りを披露した。おれも教室にいて目撃したが、たしかに、見事なものだった。長い脚をしならせて廃材を真っ二つにする姿を映した動画が学校中に広まった。彼が性的少数者であるという事実以上の速度で拡散した。はじめのうち、もの珍しげにクラスを覗きにくる上級生の姿もみられたが、翌日からはだれも彼に頓着しなくなった。
 よく練られた作戦だ。転入初日にして、男子の嫉妬や揶揄を退け、女子に付き纏われることも教師に睨まれることもない平穏な学校生活を手に入れた。
「カナダの学校でもちょっかいかけてくるやつがいて、殴られたから返り討ちにしたら、退学になりかけたんだってさ」
 世界でもっともLGBTQ+に寛容な国のひとつであり、同性婚もすでに合法化されているカナダでさえ嫌な思いをさせられたのだ。さらに保守的な日本でどのような目で見られるか、想像しなかったはずがない。安全で快適な高校生活を送るため、彼なりに工夫したのだろう。実際、相燦は頭がよく、日本語、英語、台湾語が堪能なうえに成績も常にトップクラスで、要領もよかった。あっという間にクラスに溶け込み、文化祭の役員を務めるなど、中心的な存在になっていた。
 ふと視線を上げると、ビデオ通話の相手が意味ありげに笑っていることに気づいた。
「なに?」
「いや、べつに」
 フード付きパーカーの首を窄めて、茅野がいう。
「仲良くなったんだなって思ってさ。ほら、地元に友達いないって、前いってただろ?」
「仲良くなんてない」
 あからさまに顔をしかめて、否定した。
「ただ成り行き上……」
 うまく説明できずに、口籠もる。直接顔を合わせていないのにもかかわらず、おれの様子に気づいて、茅野が眉を上げる。
「友達じゃないの?」
「友達っていうか……」
 小さな変化や違和感に敏感なのは芸術家ならではの注意力だろうか。茅野がじっとおれを見ている。さぐるような目つきに居心地の悪さをおぼえ、顔を逸らした。
「実はさ、前に話したショート作品の件で……」
「ああ、あれ?」
 感想を聞くために一度メールで送っただけだ。かなり前の話だし、おぼえていないかと思ったが、おれの説明を待たずに声を上げる。
「おぼえてる?」
「コンクールに出品したいっていってたやつでしょ。おぼえてるよ。プロットよかったから」
 茅野と知り合ったのはSNSだった。映画好きが集まり雑談や作品の感想を語り合うコミュニティで会話するようになり、去年、東京で開かれたオフ会で初対面を果たした。それから何度かメールのやりとりやビデオ通話を通して交流している。
 互いに映画監督を目指していたが、5歳年上ですでに東京で実践的な活動をしている茅野は、田舎の高校に通いながら将来を模索しているおれにとってメンターでもあり、また兄のような存在でもあった。
 大学生ながら、著名な映画監督に師事し、自身でも精力的に作品を制作し、海外の映画祭での受賞経験も持つ茅野の高評価を受け、思わず胸が躍った。しかし、諸手を挙げて喜べる状況ではなかった。
「けど、アクションシーンが多いし、演者のポテンシャルにだいぶ左右されるから、学生の自主制作映画としては……」
 そこまでいって、茅野が言葉を途切れさせた。顎に指先をあて、いった。
「そっか。主演俳優を見つけたわけね」
 さすがの洞察力だ。とはいえ、友人が極端にすくないうえに田舎町に住むおれが役者探しに苦労していることは以前から知っていた。何ヶ月も前に転校してきた同級生の話を唐突にはじめたこと、彼がテコンドーの選手だということから考えれば、想像するのは難しくない。ただ、それ以上の現状を説明する必要があった。
「で、その彼は、引き受けてくれたの?」
「まあ……」
「なにか問題? 芝居できないとか?」
「いや、そこはたぶん問題ないと思う。ただ……」
 コーラの缶をテーブルに置き、両手を頭の後ろに回して体を伸ばした。天井の照明が眩しく、また顔をしかめる。
 輪郭の曖昧な照明の光をぼんやり見つめながら、おれは相燦とはじめて話したときのことを思い出していた。